2007年6月4日、月曜日。明治神宮の絵画館前を出発した提灯行列のラスト──まだ陽が残る午後7時前、早稲田大学の大久保キャンパスから野球部の選手たちが行列に加わった。
「自分がいるこの4年間、再び早稲田黄金時代を切り拓きたいと思っています。わが早稲田大学野球部は一生、勝ち続けます!」
早稲田キャンパスで行なわれた祝勝会でスピーチする斎藤佑樹
【早稲田OBの圧とイケイケの先輩たち】
......たしかに言いましたね、そんなこと(笑)。優勝を決めた早慶戦を終えて、早稲田の学校関係者の方から提灯行列とはこういうもので、スピーチはこういう感じで、その後はこんな流れになるからね、ということを事細かに説明されました。
でも先輩たちからは「オレたちがこんな感じで言うから、斎藤はこんな感じで話したらどうだ」という、それとはまったく別のレクチャーを受けていたんです。その説明が対極というか(笑)、学校関係者はわりときっちり、でも先輩は勢いよくいっちゃえという感じで、違うことを言われていました。
自分でもスピーチでは何をしゃべろうかとあれこれ考えているうちに、わけがわからなくなってしまいました。結果、僕が本当に思っていたことをそのまましゃべれたかと言われたら、その気持ちからはかけ離れたスピーチになってしまったんです。
今でこそ僕も早稲田のOBだなんて胸張ってますけど(笑)、当時は自分なんてそのハシクレにも加えてもらっていないと思っていましたし、それこそOBには錚々たる先輩方がいらっしゃいました。だから勝手に圧を感じて、提灯行列という早稲田の伝統にしっかりと乗っからなければならないと思っていたんです。
調子に乗ったことをするんじゃないぞというOBの方々の圧を感じながら、でも優勝して興奮している現役の先輩方はイケイケの感じを出してくる。早稲田大学はすごいんだというOBの方々と、勝った勝ったと喜ぶ先輩たちのアドバイスが合わさった結果の「わが早稲田大学野球部は、一生、勝ち続けます」というスピーチになったという......そんな感じでした。
その後のことはあまり触れてはいけないのかもしれませんが(苦笑)、早稲田のもうひとつの"伝統"として、寮に戻ってからの優勝祝勝会があるんです。当然、僕はまだ1年生だからお酒は飲めないんですが、先輩たちの「かんぱーいっ」という発声で、ジュースで乾杯。そこからみんながウワーッと盛り上がるわけです。やがて4年生のコールが始まります。コールするのはメンバー外とか、メンバーには入っているけど試合にはそんなに出ていなかった4年生たちです。
そういう4年生が、試合で活躍した下級生たちに誰彼となく抱きつく雰囲気がありました。
で、「上本、チューしようぜ」みたい流れが僕らにも来る。僕も抱きついてもらって、「斎藤、斎藤」「ありがとう」「ありがとう」と言ってくれるんです。正直、戸惑いもありましたけど(苦笑)、うれしかったなぁ。つまりはこれって、先輩方に認めてもらった証なのかなと思って......1年春の優勝は、そんなことも含めて、大学で野球をやっていくうえでの自信になりましたね。
【大学選手権33年ぶりの優勝】
6月には全日本大学野球選手権がありました。僕は準決勝の創価大戦、決勝での東海大戦に続けて先発、早稲田が久しぶり(33年ぶり)に優勝しました。僕の記憶に残っているのは大会が始まる前、應武(篤良)監督に呼ばれて「準決勝、決勝、どっちも先発でいくぞ」と言われた時のことです。
日程を見ると、そこはたしか連戦だった(6月16、17日)と思うんです。リーグ戦だったら「土曜にいくぞ」とか、「日曜だからな」みたいな感じの言われ方だったのに、両方いくぞ、と言われて驚きました。
それも「どっちの試合も5回までだからな」と言われて、その意図が何だったのかはハッキリとは覚えていないんですが、たぶん優勝を決めた早慶2回戦のイメージがあったんじゃないかと思います。
僕が先発して6回を投げて、松下(建太)さんが7回からの2回を、須田(幸太)さんが9回を投げて勝ったあの試合......松下さんと須田さんが完璧なリリーフをするというイメージはつくりやすかったと思いますし、「斎藤にも連投させても5回まで投げるスタミナはあるだろう」ということだったのかなと思います。
大学選手権の初戦、早稲田は九州国際大を相手に危ない試合をしてしまいます。松下さんが先発して2−0でリードして9回を迎えたんですが、最後、ツーアウト1、3塁のピンチを背負います。ここで「斎藤、いけ」と言われて、急遽、リリーフ。バッターは松山(竜平、のちにカープ)さんでした。
3球目のストレート(144キロ)を東京ドームの左中間へ運ばれてフェンス直撃。
勝ち上がってきたのは創価大です。僕は立ち上がり、相手の4番バッター(小早川伸仁)にタイムリーを打たれて1点を先制されてしまいます。それでも1回裏、打線が大爆発。あっという間に6点をとって逆転してくれたので、2回からはリズムよく投げられました。予定どおり5回を投げて、あとは松下さんと須田さんがリリーフして、ついに決勝進出(10−1)、相手は東海大学です。
【史上初の1年生MVP】
いま思えば、あの時の東海大には荒波(翔、のちにベイスターズ)さん、加治前(竜一、のちにジャイアンツ)さん、市川(友也、のちにジャイアンツ、ファイターズ、ホークス)さんと、のちにプロ野球に進む選手が何人もいたんですよね。僕はあの試合、ストレートがそんなによくなかったけど、変化球がよかったイメージがあります(4番の加治前をスライダーとフォークで続けて空振り三振に打ちとった)。
6回の途中に1点をとられて(その時点で早稲田が3−1と2点リード)、僕は松下さんに代わりました。その後は松下さん、須田さんが抑えて、(4−1で勝って)早稲田は日本一をつかみとります。
大会のMVPが僕で(1年生での受賞は史上初)、最優秀投手が松下さんで......えっと、僕、また何か生意気なことを言ったんでしたっけ(苦笑)。いや、その時の言葉(試合後の取材で「そろそろ運を使いきるかなと思っていましたが、やっぱり何かを持ってますね。一生、こういう人生なのかな」と語った)を今、あらためて聞かされると、調子に乗ってたんだなと思うと同時に、やっぱり自分に対しての自信がまだなかったんだな、と思うんです。
つまり、運に頼るということは本当の実力は身についていない、ということじゃないですか。たぶん、当時の僕もそういう意図で言っていたと思うんです。準決勝も決勝も5回までだと言われて、強力な打線が点をとってくれて、自分の実力で投げきって勝ったとは思えていなかった。だから、運がよかったから勝てた、その運を持っていたからMVPを獲れたという不安。
でも大学野球でやるからには、先発完投は当たり前です。土曜日に投げて勝って、もし日曜日を落としても月曜日にまた投げて勝つのが大学野球のエースだという感覚でしたから、先輩たちに助けてもらって勝てても本当の自信は身についていなかったんだと思います。言葉のレパートリーもなかったし、自信がないことを悟られたくないという気持ちもあったのかもしれません。それであんな調子に乗った言い方になってしまったんでしょうね。
* * * * *
甲子園を席巻したハンカチ王子の大学デビューは、この上ないものとなった。春季リーグ戦で優勝、東京六大学史上初となる1年春のベストナイン、大学日本一に大学選手権のMVP──順風満帆に見える華やかな大学野球のスタートではあったが、その裏で寂しい現実もあった。早実のチームメイトが次々と早稲田大学の野球部を辞めていってしまったのである。
次回へ続く>>