スキージャンプ
葛西紀明インタビュー(前編)

 今年の1月20日から行なわれたスキージャンプのW杯札幌大会で、急遽出場が決まった葛西紀明(土屋ホーム)は初日の予選で51位。上位50名が出場できる本戦を0.4点差で逃し、自身が持つW杯個人最多出場数を570に伸ばすことができなかった。

翌日の第2戦の予選も55位。葛西は、「どうせならもう少し調整してW杯に挑みたかったな、というのもありました」と振り返る。

スキージャンプ界のレジェンド、50歳の葛西紀明が明かす「モチ...の画像はこちら >>

地元・北海道でW杯予選に出場した葛西紀明

「やっぱりW杯に出たいと思って今シーズンは頑張っていたし、調子もそんなに悪くなかった。でも国内選考を兼ねた前の週のコンチネンタル杯札幌大会では、うまく風が当たらず結果を出せなかったので『流れを逃したな』と思ってガックリ。それで減量も止めて、結構食べていたんです。そんな時に、『他の選手が体調不良になったから選ばれたよ』という連絡が来ました」

 出場までの経緯を話し、こう続ける。


「自分で勝ち取った出場権じゃないから断ろうかなとも思ったけれど、『こんなチャンスはないな。これも運命かな』と思って出ました。ちゃんと調整していたら予選は通過したかもしれないけど、『これはこれでしょうがない』というのはあって。ただ、海外勢も含めたW杯組の選手とは明らかにジャンプスーツの形状が違うので、予選を通ったとしても30位以内に入ってポイントを取るのは相当厳しい、というのはありました」

 それでもここ2~3年のどん底からは抜け出し、W杯メンバーの姿も見えてきて、「これはちょっと調子がよくなったらいけるぞ」という自信も持てるようになった。それもあって、札幌大会はそれほど悔しさを感じず「逆に『ちょっと、いけるかな』という期待感も出てきました」と顔をほころばせる。

【スリップ現象に悩まされても前向きに】

 2018年平昌五輪後、葛西が口にしていた調子が落ちた原因は、踏み切りで立ち上がる時にスキーが、その瞬間にうしろに滑って、ジャンプ台に伝わる力が減ってしまう、"スリップ"という現象だ。

「18年の平昌五輪シーズンからスリップしてきたなと感じていて、『これになると、しばらく時間がかかるんだよな』と思いながら......。

わかっていても、なってしまいました」

 一方で、「何年かかけて抜け出せばいい」という気持ちで取り組めているので焦りはなかったと言う。

「20代でやっていたようなトレーニングを今はできないと思うけど、あの頃、死に物狂いでやったトレーニングのお陰で今も体力を保持できているので、今はやっていてよかったなと思っています。

 若い頃は体力や筋力、瞬発力は他の選手とは段違いにあったので、それが今は落ちてきて普通の人のレベルにいるのかと思います。だから、体自体は衰えてはいないけど、何年か前からは『筋力の問題じゃない』と気がついて。例えば(高梨)沙羅選手を見れば、明らかに男子より筋力はないのに、調子がよかったら僕らと同じくらい飛ぶじゃないですか。筋力もある程度は必要だけど、スリップしないでジャンプ台に垂直に力を伝える踏み切りができれば飛距離を伸ばせるということなんです。


 だから何年かかけてスリップから抜け出して調子が上がれば、まだいけるという気持ちでずっといます。(小林)陵侑(土屋ホーム)のレベルまではいけないとしても、他のW杯メンバーのレベルには調子さえ上がってくればいけるという自信はあります」

【50歳という年齢を迎えて】

 13~14年シーズンからW杯最年長表彰台記録や、最年長優勝記録を更新し始めた葛西。2014年ソチ五輪では、ラージヒルで個人初となる銀メダルを獲得し、冬季五輪のジャンプに限れば66年ぶりに最年長記録も更新。試合後の記者会見では外国メディアから競技歴の長さを賞賛されていたが、彼自身は50歳までやると口にした。その50歳を昨年の6月に超えた今、競技の続行をどう考えているのか。

「ソチ五輪のシーズンあたりから、もう『どこまでもやれたらな』と思っちゃいました。何か、『辞める必要はないな』って。

本当に燃え尽きたら辞めるかもしれないけど、まだ燃え尽きてないし(笑)。W杯に出れば楽しいし、賞金ももらえるし、みんなが『レジェンド頑張れ』って応援してくれるので。ジャンプ以外でもサッカーのカズさんも頑張っているし、ゴルフのフィル・ミケルソンも50歳を過ぎて優勝しているので、そういうアスリートがいてもいいんじゃないかなと。だから今も、ケガや故障がない限りはやれると思っています」

 ただ、20~21年シーズン以降、W杯から遠ざかっているなかで、国内でも上位に食い込めないようになれば気持ちも落ちてくるかもしれないと言う。それでも昨シーズン1月の雪印杯では2本ともヒルサイズ超えのジャンプを出して優勝し、HTB杯でも3位になった。さらに昨年9月の白馬サマージャンプ大会でも3位になっている。


「それが自信につながっていますね。それに去年の11月にチームで行ったスロベニア合宿では、一緒に行った竹内択(team taku)より飛距離が出て、自信を持って帰ってきたんです。でも12月の国内開幕戦の名寄の大会では、択が連勝して僕はダメだったから、『あれ、俺は択に負けてなかったんだけどな』と思って。そこから歯車が噛み合わなくなったんです。でも択は札幌大会のあとのW杯メンバーに入っているから、僕もちゃんと飛べれば入れるということだと思っています」

 飛び続けるには身体的な努力だけではなく、精神的な強さも必要だ。しかし、今の葛西はそれすらも楽しんでいるようだ。


「ちょっとしたことで(調子が)変わってしまうから、腹は立つけど面白いですね。本当は中学の頃とかソチ五輪の頃のように何も考えないで飛びたいけど、今はメチャクチャ考えています。でも、こういう経験も最近は楽しいと思うんです。悔しいけど、『あぁ、これも自分のジャンプ人生なんだな』と考えるようになりました。苦しい時期が続いて成績が出ないなかで悩んで、どうやったら飛べるんだろうと考えるのもジャンプ人生なんだと。

 だから、94年リレハンメル五輪のあと2度も鎖骨を骨折して、60m台でも怖くてゲートからスタートできずに歩いて降りていた頃とはまったく違います。あの頃はギラギラしていて、『原田さんや船木には絶対に負けない』という一心でやっていたと思います。今は、負けたくはないけど、『そのうち上がっていくから見てろよ』という気持ちでやっています」

【モチベーションは?】

 そう思えるようになったのも、長い期間いろいろ悩んだり苦しんだりしながらも、14年ソチ五輪シーズンには復調し、「まだこの年齢でも世界で活躍できる」という手応えを感じ、7回目の五輪でやっと個人のメダルを手にできた経験があるからだ。そんな葛西は今、ジャンプを続けるモチベーションをこう明かす。

「今もあの頃と体もそんなに変わらないし、問題は技術の部分だけだと思う。『これで調子が上がってきて、また世界で戦えるようになったら、これまでも海外の舞台で応援してくれていた人たちはどういう反応をしてくれるのだろう』という楽しみがありますね。それが一番のモチベーションかもしれません。今でも海外の合宿に行くと、『ノリアキ・カサイ!』と声を掛けてくれるから、僕がもし試合に出て『50歳の葛西が飛んでくるぞ!』となったら、すごく盛り上がるんじゃないかと。その声援を聞きたいですね」

 そんな葛西にはもうひとつ夢がある。身体能力の高さと感覚の鋭さを認めて「あんな動きはできない」とまで思っている小林陵侑と、自分が絶好調になって自信を持てたときに戦い、どのくらいのレベルの違いがあるかを知りたいということだ。一方で、それが実現したとしても、気持ちが燃え尽きることはないだろうとも言う。

「もし(2030年に)札幌五輪が実現したとしてもその時は57歳だから、そこまでいったら60歳までいきたいと思うでしょうね。大きなケガや病気をしたら終わりだと思うけれど、去年の年明けは体重を落とすために絶食もしたし、今年の札幌のコンチネンタル杯の前も朝晩走って、食べずに減量していて。走っている途中に『俺、なんでこんなに走っているんだろう』『すごいな、俺。まだ気持ちは衰えてないんだな』と思いました(笑)」 

【後編】葛西紀明が語るジャンプスーツ問題>>

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葛西紀明(かさい のりあき)
1972年6月6日生まれ。北海道・下川町出身。オリンピックには1992年アルベールビル大会から2018年平昌大会まで8大会に出場し、2014年ソチ五輪ではラージヒル個人で銀メダル、団体で銅メダルを獲得。W杯の個人出場回数は569回でギネス記録となっている。所属する土屋ホームでは、2009年から選手兼監督として小林陵侑や伊藤有希とともに世界を目指している。