連載「斎藤佑樹野球の旅~ハンカチ王子の告白」第34回

 3月6日の札幌ドーム。ファイターズとのオープン戦の試合途中、何人かのジャイアンツの選手がファウルグラウンドでアップを始めた。

小笠原道大阿部慎之助高橋由伸坂本勇人長野久義といったレギュラー陣が横一列に並んで、ゆっくりと走り始めたのだ。そして、なぜか試合中盤から彼らはラインアップにその名を連ねた。

斎藤佑樹のプロ1年目「この世界で勝つのは大変」と痛感させられ...の画像はこちら >>

プロ1年目、巨人とのオープン戦で原辰徳監督にあいさつする斎藤佑樹

【自信が持てなかったワケ】

 言われてみれば、そんな感じでしたね。試合後、記者の人たちから、あれは僕が6回から登板することになっていたからだ、と聞かされました。「主力をスタメンで出場させると2、3打席でお役御免となるから、斎藤くんと対戦できないでしょう」って......つまり、あのジャイアンツが僕の登板のタイミングを見計らって、試合後半からレギュラーを揃えてきたってことですか。なんだか怖い話ですね(笑)。

 覚えているのは、高橋由伸さんにカットボールを続けて投げたことです。

すべてインコースへ、3球続けたのかな。あの頃の僕にとって、スライダーはワンバウンドにするイメージで低めへ投げる決め球で、追い込んでから振らせて空振りをとりたいウイニングショットでした。

 一方のカットボールは、バッターが真っすぐに絞っていそうなケースでスッと投げてストライクをとる、カウントボールというイメージで投げていました。あの日は何が何でも抑えたいマウンドだったので、相手バッターのペースに巻き込まれず、立ち遅れないための最適解があの配球でした。怖がらずにインサイドへ投げて、カウントを有利にするピッチングがしたいと考えていたんです。

 もうひとり、印象に残っているのが空振り三振をとった右のラスティ・ライアル選手との対戦です。

僕は大学時代、スライダーでたくさん三振をとれていたので、プロでもスライダーで三振をとりたかったんです。でも、キャンプ中の練習試合では思うようにスライダーで三振がとれませんでした。プロを相手に僕くらいのレベルのスライダーでは空振り三振はとれないのかなと自信をなくしかけていましたが、初めてライアル選手をスライダーで空振り三振に仕留めて、ほんの少しだけ自信になった記憶が残っています。

 自信を持てなかったのも当然でした。名護キャンプで間近に見たダルビッシュ(有)さんがあまりにすごすぎたからです。プロの世界で勝つのは大変なことなんだなと痛感させられました

 僕はダルビッシュさんのピッチングを名護のブルペンの真後ろから見ていたんですが、速いのはもちろん、投げるボールが迫ってくる感じで、ものすごく大きく見えたんです。

プロで活躍するピッチャーってこういうボールを投げるのかと驚かされました。

 同時に、そんなすごいダルさんでもその前のシーズンが12勝......そう考えると、僕はプロで2ケタ勝つと豪語してプロの世界へ入ってきましたが、「いやいや、プロで2ケタ勝つことって簡単じゃないんだな」と、今さらながら教えられた感じがしました。

【理想のパワーピッチャー】

 僕、それまでプロ野球をちゃんと見ていたわけではなかったので、じつはローテーションのこともよくわかっていなかったんです。僕が入った2011年の先発ローテーションの候補は、ダルビッシュさん、(武田)勝さん、(ボビー・)ケッペル、(ブライアン・)ウルフといて、それに続くのが左の八木(智哉)さん、右の糸数(敬作)さんでした。

 正直、ローテーションに入れるとも、入れないとも思っていなかった(苦笑)。自分の能力が開幕一軍のレベルに達していれば、何人目かなんて関係ないし、いずれは一軍で先発するレベルに達することだけを目指して努力するだけで、誰がライバルなのかという発想がそもそもなかったんです。結果、開幕ローテに入ろうが試合で勝とうが負けようが、それはあくまで次の話で、自分のレベルをもっともっと上げることだけを考えようと思っていました。

 ただ、葛藤もありました。ダルビッシュさんを見て、僕がプロでパワーピッチャーとして勝負したいなんて言っていいのかなと思ってしまったんです。僕は吉井(理人/当時のピッチングコーチ)さんに聞かれて、パワーピッチャーでいきたいと答えているんです。そうしたら吉井さん、「おお、いいやんか、それでいこうや」って言ってくれたんです(笑)。

 僕の思い描くパワーピッチャーというのは、ストレートが速くて、変化球でも空振り三振がとれて......つまりダルビッシュさんのようなピッチャーですよね。じゃあ、大学時代の自分がそうだったかと言われると、大石(達也、早大~ライオンズ)よりスピードは出ていませんでしたが、それでも150キロは出していますし、三振もたくさんとれています(当時、東京六大学リーグ歴代9位の通算323奪三振)。

だったらプロでパワーピッチャーを目指してもいいだろうと思っていたんです。

 でも、そんなことを小耳にはさんだのか、ファイターズの山田(正雄)GMが「佑ちゃんのいいところは、いつでも変化球でストライクがとれるところなんだから」と言うんです。そう言われて、そうかもと思ってしまいました(苦笑)。パワーピッチャーへの憧れを捨てられないのに、初球から変化球で簡単にストライクをとって、2球目も変化球で追い込んで、3球続けての変化球で三振、なんていうのも僕にはアリなんじゃないかと......ストレートで押しまくるだけがパワーピッチャーじゃないし、松坂(大輔)さんみたいに力強い変化球を自在に操れれば、それもパワーピッチャーなんじゃないかとか、そんなことを考えていました。

【苦労させられたOBたちの助言】

 そもそもプロ1年目のキャンプには、いろんなOBの方がいらして、いろんなことをアドバイスしてくれます。でも、みなさん、それぞれ違うことを言うんです。

 ざっくりと例を挙げれば、「ストレートを投げ込んでおけ」と言う人もいれば「変化球を磨け」と言う人もいる。フォームにしても「右ひざは曲げたまま投げたほうが、股関節が使えるからいい」と言う人がいるかと思えば「右ひざは真っすぐ伸ばすのが基本」と言う人もいる。「踏み出した左足のヒザは突っ張ったほうがいい」と言う人もいれば、「絶対に突っ張っちゃいけない」と言う人もいる。

 ホント、バラバラなんです。そこには苦労させられた記憶があります。だから僕は吉井さんを頼りにしていました。迷った時は吉井さんの言うことを聞くようにしていたんです。吉井さんは「佑ちゃんが真っすぐを投げたいんだったら、真っすぐで勝負すればいい」と言ってくれて......実際、最初の実戦登板となった韓国のチームとの練習試合では、「今日は全部まっすぐでいこうや」ということになりましたからね。僕は思わず「ホントですか?」と聞き返してしまいました。

 でも実際、ストレートだけで勝負して、無失点に抑えました。ベンチに戻ってきたら吉井さんに「ほら、抑えられるやろ、意外に簡単なんや」と言われました(笑)。ダルビッシュさんのストレートを見て失いかけていた自信を、吉井さんによって取り戻してもらった感じでしたね。

 プロに入って1年目、キャンプでもオープン戦でも壁はいくつもありましたが、どうせぶつかってなにかしらの結果は出るんだから、壁を高く感じても意味はないんだな、ということを教えられた気がします。

 開幕まであと2週間という2011年3月11日、僕は大学時代の友だちと東京の新宿にいました。休みの日で、買い物をしていたんです。外を歩いていたら、急に激しい揺れを感じました。「これはヤバい」と思ったら、目の前のドラッグストアの棚に並べてあった品物が全部落ちていて、いや、これはすごい地震だなと思いました。東日本大震災です。

 その後、スケジュールがどうなったのか、具体的な記憶はないんですが、開幕が延期になって、札幌ドームで行なわれたオープン戦か実戦形式の合同練習だったかで何試合か投げたことは覚えています。

 最初はタイガースにめった打ちを喰らったんじゃなかったかな(3月21日、予定していた5回を投げきることができず、3回、79球で9失点)。でも次の札幌でのマリーンズとの試合(3月27日)ではいくつかの課題を修正して、結果もよかった。自分のフォームのなかでしっかり腕を振って、勝負しにいくことができていました。

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 斎藤の公式戦デビューは4月17日の札幌ドーム、マリーンズ戦に決まった。開幕前の実戦では抑えて期待させ、打たれてほら見ろとなじられ、次にはしっかりと抑えて「ホントに不思議なピッチャーだね」と言われていた。東日本大震災の余波が続く中、斎藤がいよいよプロ1年目のシーズンを迎える──。

次回へ続く