今中慎二が語る「10.8決戦」 前編

 長いプロ野球の歴史のなかでも印象的な戦いとして語られることが多い、1994年10月8日にナゴヤ球場で行なわれた「10.8決戦」。巨人と中日の最終戦時の勝率が同率首位で並び、勝利したチームがリーグ優勝という前代未聞の大一番。

同試合で先発した中日のエース・今中慎二氏に、試合前の雰囲気、自分を見失った瞬間、降板後の様子などを聞いた。

巨人と中日の「10.8決戦」を今中慎二が振り返る 落合博満の...の画像はこちら >>

【試合前の中日は「いつも通り」】

――勝てば優勝、負ければ2位が確定する試合。巨人側はナゴヤ球場への移動も含めて終始張り詰めた雰囲気だったようですが、中日側はどうでしたか?

今中慎二(以下:今中) 試合の前日も当日も緊迫した雰囲気はなく、いたって普通。特に気負うこともなく、いつもの試合前と同じような感じでした。ミーティングもいつも通りで、特別に何かをしたということはなかったですね。

 このシーズンは巨人が首位を独走していて、こちらはリーグ優勝を諦めかけていた感じだったのが、9月半ばから10月頭にかけて9連勝することができて、調子を落としていた巨人に追いつくことができたんです。ちょうどその時ぐらいからチームの雰囲気が盛り上がり始めたので、ピリピリした雰囲気はなかったですね。

――巨人は試合前、今中さんを攻略した試合の映像を見て意識を高めたり、長嶋茂雄監督が選手たちの前で「勝つ!勝つ!勝つ!」と言って気合いを入れたりしていましたね。

今中 巨人はビジターでホテルに泊まっているので、皆で集まりやすいからいろいろなことをしやすかった、というのはあるでしょうね。ホテル内でミーティングもできますし。僕らはホームなので、それぞれの選手が自宅からいつも通りに球場へ向かうだけでしたから。

――今中さんは決戦の日の先発を任されましたが、緊張しなかったのですか?

今中 あまりしていなかったですし、いつも通りでした。球場に着いた時はものすごい数のメディアがいたり、すでにたくさんのお客さんが外野に入っていたりと、いつもとは違う雰囲気は感じましたが、特に緊張することはなかったです。

高木守道監督が「どんな試合でも、いつもと同じように臨もう」というスタンスの方だったので、その影響もあったのかもしれません。

 それと、高木監督は僕が先発することを周囲に言いふらしていましたからね(笑)。巨人は試合直前まで誰が先発なのかわからない感じでしたが、中日側は「最終戦の先発は今中」みたいな(笑)。つまり、「いつも通りなんだな」と。

川相昌弘の三振時のうなずきに「ん?」】

――先発を任されたタイミングはいつ頃でしたか?

今中 1週間ぐらい前には言われていました。横浜戦(10月2日)で投げたのですが、その試合に勝って、「次の登板は最終戦になるぞ」と。10月6日には巨人がヤクルトに勝って、中日が阪神に負けたら巨人が優勝という追い込まれた状況になりましたが、うちは山本昌さんが完投で勝って、巨人がヤクルトに負けて同率首位になったんです。

――試合当日のコンディションはどうでしたか?

今中 前の試合で登板した時にちょっと風邪気味でしたし、シーズンの最終盤で肩の疲れも多少ありましたし......。投げられない状態ではありませんでしたが、万全ではなかったですね。

――今中さんは、この試合を迎えるまでの同シーズンの巨人戦の成績が5勝2敗1セーブ。さらにナゴヤ球場での巨人戦は11連勝中でした。優勝がかかった特別な試合ではありましたが、自信を持って臨めたのでは?

今中 僕の場合、この試合に限らず、どの試合も自信を持って臨んだことはありません。ただ、巨人戦はよく投げていたので、「また巨人戦?」みたいな気持ちはありました(笑)。

確かにナゴヤ球場ではそんなにやられたイメージはなかったのですが、東京ドームではやられることがあって。もともと東京ドームに苦手意識があったので、露骨に成績に出ているはずです。

――試合は6-3で巨人が勝利。2回表に巨人の4番の落合博満さんのソロ本塁打などで2点を先制されました。巨人打線と対峙した時、それまでの試合と違う何かを感じましたか?

今中 初回にちょっと違う感覚がありましたね。僕は初回を三者凡退で抑えることは滅多になかったのですが、その試合ではあっさり三者凡退で終わらせることができた。

結果だけ見ればいいことなのですが、自分の調子がよくて三者凡退に抑えられたわけではないですし、初回から飛ばしていたわけでもありませんでした。

 あと、2番の川相昌弘さんが見逃し三振した時にうなずいていたのですが、「なんでうなずきながらベンチに帰っとんのかな」と、ちょっと不気味でしたね。うなずきながらベンチに帰るなんて滅多にないじゃないですか。だから、「ん?」という感じは受けました。

――川相さんがうなずいていた意味は、その後わかりましたか?

今中 後になってみんなが言っていたのは、"癖"がどうのこうのということ。つまり、僕の癖を見抜こうとしていたようで、その確認のうなずきだったのかなと。

ただ、僕にとって痛かったのはそのことではなく、落合さんに打たれたことです。その後に打ち込まれてしまった発端なので。

【落合の一打で冷静さを失った】

――先制のソロ本塁打を打たれたことですか?

今中 いや、2回の本塁打に関してはソロでしたし、ダメージはそれほどありませんでした。自分がインコースに投げ切らないといけない場面で真ん中寄りに投げてしまったことも原因ですし、仕方がないと割り切れたんです。痛かったのは、3回表に取られた3点目。落合さんに、今度はタイムリーを打たれてしまったのですが、自分に対しての怒りがおさまらなかったんです。

 2回表に2点先制された直後、2回裏に味方が同点に追いついてくれたのですが、そのタイムリーで再びすぐにリードを許してしまった。それと、落合さんに対してインコースを投げ切ることができて打ち取ったような打球だったのですが、ファーストの後ろに詰まった打球が飛んで、それがタイムリーになってしまったことが自分で許せなくて......。

 冷静さを失ってしまい、試合の記憶もほとんど飛んでしまったんです。3番の松井秀喜がバントをしたこととか(3回表にバントを決め、落合のタイムリーをお膳立て)、珍しいことなのに飛んじゃっていましたし。試合が終わってからその話を周囲の人に聞いて、「えっ、松井ってバントしたの?」みたいな感じでしたから。

――落合さんにタイムリーを打たれて、自分を見失ってしまった?

今中 僕も若かったからか、冷静でいられなかったですね。感情があまり表に出るタイプではないので、周りはわからなかったかもしれませんが、その3点目は引きずりました。

 4回表には村田真一さんと(ヘンリー・)コトーにそれぞれソロ本塁打を打たれてしまったのですが、それも後で言われてかろうじて思い出したほどです。自分を見失っていたんだと思います。試合の中で覚えていたことは、立浪和義さんが一塁にヘッドスライディングをしてケガ(左肩を脱臼)をしてしまった場面ぐらいです。

――今中さんは4回裏に代打を送られて降板されていますが、その後はベンチにいたのですか?

今中 ベンチには行かず、ロッカーでしばらく茫然としていましたね。自分に対しての怒りがおさまらず、「もうマウンドに上がれないんだな、もう終わったんだ」と。普段はそんなこと思わないんです。いつもだったら「ノックアウトされたら仕方がない。次に投げる時に頑張ろう」と切り替えるのですが、やはり優勝がかかった試合で次がなかったですから。

――ロッカーで誰かに声をかけられましたか?

今中 いや、誰かと話した記憶がないですし、僕に声をかけられる雰囲気ではなかったと思いますよ。巨人の先発の槙原寛己さんは、僕よりも早い2回裏に降板して2番手の斎藤雅樹さんに代わっていましたけど、斎藤さんのピッチングはロッカーのモニターでも全然見ていませんでした。けっこう長く呆然とした後、立浪さんがケガをしてしまった頃(8回裏)にベンチに戻ったことはなんとなく覚えています。

 あと、この試合に限らず、自分は基本的にベンチにいないんです。自分が先発の試合中でも、投げ終えたらすっとロッカーに行っていました。ビジターでもそうなのですが、"消える人"なんです。

――その理由は?

今中 味方の攻撃を見たくないんです。攻撃を見て気持ちが入ってしまうと、チャンスで点が入らなかった時にダメージが残るので。とにかく投げることだけに集中していましたね。

(中編:落合博満から仕掛けられた心理戦 「俺はカーブを狙う」の挑発に「一球も投げられなかった」>>)

【プロフィール】

◆今中慎二(いまなか・しんじ)

1971年3月6日大阪府生まれ。左投左打。1989年、大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。2年目から二桁勝利を挙げ、1993年には沢村賞、最多賞(17勝)、最多奪三振賞(247個)、ゴールデングラブ賞、ベストナインと、投手タイトルを独占した。また、同年からは4年連続で開幕投手を務める。2001年シーズン終了後、現役引退を決意。現在はプロ野球解説者などで活躍中。