「ホッとしました。プロ野球に行くために大阪桐蔭に来たというところから、もちろん甲子園優勝という大きな目標はありましたが、必ずドラフト1位で指名される選手にしなければならないと毎日やってきましたので。
前田悠伍がソフトバンクから1位指名を受けた直後の会見で、西谷浩一監督が口にした言葉には実感がこもっていた。
これまで多くの選手をプロの世界へ送り出してきた指揮官だが、入学時からドラフト1位を意識しての2年半はやはり重いものだったのだろう。ただ、ここでひと息つけないのが大阪桐蔭。すでにチームには、2年後の主役を思わせる1年生がスタンバイしているのだ。
【中田翔以来の衝撃】
ドラフトの2日前に大阪シティ信金スタジアムで行なわれた高校野球近畿大会初戦、大阪桐蔭が高田商(奈良)を6点リードして迎えた9回表。3番手でマウンドへ上がってきた背番号15が投げ込むストレートは、明らかにモノが違った。
森陽樹(もり・はるき)──近畿大会のパンフレットには身長189センチ、体重83キロ(試合後に確認すると現在は86キロ)と記されている。
このスケール感たっぷりのピッチングに受けた衝撃は、2年前の秋の前田を超え、遠い記憶となりつつ2005年夏の、当時1年生だった中田翔へとつながった。
中田が投げる速さと重さを兼ね備えたストレート、切れ味抜群のスライダーは「これが1年生か......」と思わせるほど、強烈なインパクトがあった。当時の中田は体もスリムでフォームも柔らかかった。
1年夏の甲子園初戦では、リリーフで146キロをマークし、その後の打席で左中間へ豪快な一発。「スーパー1年生」のフレーズがあっという間に全国区となった。
森には、その中田以来の衝撃を受けた。
近畿大会初戦から1週間後の報徳学園(兵庫)戦では、1点リードの8回から登板。この試合に勝てば、来春のセンバツ大会出場が近づく大事な試合。
しかも、この日投げた24球のうち変化球はわずか1球で、最速は初戦と同じ151キロ。第3試合ということもあり終盤には照明が灯ったため、打者の体感速度はさらに上がっていただろうが、明らかに振り遅れての空振り、ストレートに反応できず見逃しがほとんどだった。
よくスカウトが、選手評のなかで口にするのが「エンジン」というフレーズだ。
【憧れは佐々木朗希】
報徳学園戦の試合後、記者に囲まれながら、自分が何者であるのか、聞かれるまま、プロフィールを繰り返し口にしていた。
宮崎県の軟式出身で全国大会に出場したことがあり、当時の最速は143キロだったこと。高校に入り硬式球の重みが合ってボールが伸びるようになり、6月の練習試合で146キロを記録したこと。変化球はカーブ、カットボール、スプリットで、初戦はカーブを数球、この日はカットボールを1球だけ投げたこと。
── どういうピッチャーを目指していますか?
「千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手みたいになりたいです。高校3年で160キロ出すことを自分も目標にしているのと、タイプ的にも長身で似ているかなというのもあって、将来的には佐々木投手のような選手になりたいです」
── 2日前のドラフトは見ましたか?
「寮の食堂のテレビで見ていました。自分も2年後、絶対に前田さんみたいにドラフト1位で指名されてプロに行きたいので......そんな気持ちで見ていました」
── 甲子園とプロ野球、どっちの憧れが強いですか?
「まずは甲子園で優勝して、ドラフト1位でプロに行って......」
── その先にはメジャーへの思いも?
「あります。でもまずは日本のプロ野球で活躍して、段階を踏んでからです」
朴訥とした語りのなかに、刺激的な言葉が並んだ。
宮崎の中学軟式界から大阪桐蔭へ。今後の活躍とともにさまざま声が聞こえてくるようになるだろが、はるか先、はるか上を見てきた野球少年が、次の一歩として大阪桐蔭進学を選択したことは、ごく自然の判断だったのだろう。
「東北? 仙台? 何を言っているんですか。同じ日本じゃないですか。そんなことが話題になるのは日本だけですよ」
20年ほど前、野球留学を特集したある取材のなかで、ダルビッシュ有の父が語ったという言葉に出会った。大阪から東北高校(宮城)へ進んだ息子の選択について語るなかで口にしたという言葉は、今も頭のなかに残っている。
そのダルビッシュのプロ3年目の2007年に生まれたのが森。時代は変わり、日本人選手が次々に海を渡り活躍。とくに投手は、WBCの戦いを通じて「世界一」と評されるようになり、日本のエースがメジャーの主戦として投げる時代だ。その舞台で投げることを夢ではなく、リアルな目標として野球を続けてきた世代なのだ。
【高校時代の才木浩人を彷彿】
森は、近畿大会決勝の京都外大西戦では公式戦初先発も経験。はたして先発でどんなピッチングを見せるのか注目していたが、自身最長となる7回を投げ、3安打無失点、9奪三振。近畿大会で履正社(大阪)から10点を奪って勝ち上がってきた打線を楽々と封じた。
リリーフの時は勢い余ってフィニッシュで体が反転することがあったが、この日は力感を少し抑え、最速は148キロ。それでもキレのあるストレートを軸に圧倒した。
森のピッチングを繰り返し見るうちに、サイズ感、シルエット、ボールの質、タイプといった点で重なってきたのが、高校時代の才木浩人(現・阪神)だ。須磨翔風高(兵庫)3年時、ブルペンで見た才木のストレートは今も強烈なインパクトとして残っている。きれいな縦回転で体を使い、指にかかった時のストレートは、低めがまったく垂れずにキャッチャーのミットを突き上げた。
並んで観戦していた阪神の熊野輝光スカウトが「モノが違う」と絶賛し、帰り道でも才木の話題で持ちきりだった。
才木は縦のズレはあっても横のズレが少なく、大型の速球派ながら制球は安定していた。森のストレートも、この球速ながら暴れることはなく、近畿大会では計10イニングを投げて四球はわずか1。ストライク先行が目立ち、常にホームベース近辺にボールが集まる。
決勝のあと、森にどんなストレートが理想か尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「相手バッターが真っすぐとわかっていてもバットに当たらない、空振りをとれるボールです」
同じようなセリフを2年前の前田からも聞いたことがあるが、森は近畿大会で奪った16個の三振のうち、ストレートでとったものは12個。そのうち9個が空振りだった。ストレートに関しては、同時期の前田を上回っていると言ってもいいだろう。
今年も大阪桐蔭にはエース・平嶋桂知(ひらしま・かいち)を筆頭に好投手が揃うなか、「令和の怪物」に憧れる森が、神宮大会でどんなピッチングを見せてくれるのか。
「まだ1年の秋ですから」
周囲の盛り上がりを抑えるように、森の話題には控えめな反応が続く西谷監督だが、ここからまた16歳の右腕のゴールを頭に置きながら、目の前の勝利を求める日々が続いていく。2年後の秋、森は、そして西谷監督は何を語っているのだろうか。全国デビューの前からそんなことまで思わせる男──それが森陽樹である。