中田翔インタビュー(前編)
今年のプロ野球キャンプで最も熱い視線を浴びたひとりが、中日ドラゴンズに移籍した中田翔だ。グラウンドでは圧倒的な存在感を見せ、金髪頭に背番号「6」の大将はどこへ行ってもファンと報道陣に囲まれ、テレビに新聞の一面、雑誌の表紙と、連日メディアにも出ずっぱりと「中田翔フィーバー」がやってきた。
【この歳でフィーバーは恥ずかしい】
── 充実したキャンプを送られているようですが、プロ17年目での中田翔フィーバー。2008年、日本ハム時代でのプロ1年目の時と比べてどのように受け止められていますか?
中田 いやいや、フィーバーだなんてねぇ......この歳になってそう言ってもらえるのは恥ずかしい面もありますけど、正直なところうれしいですし、素直に「ありがたいな」と思いながら毎日を過ごしていますよ。こうやってドラゴンズでやらせてもらっていることも感謝しかないですし、応援してもらえることで、頑張ろうという気持ちがね、また湧いてきています。
── 立浪和義監督から「力を貸してほしい」と強烈なラブコールでドラゴンズへと移籍してきましたが、実際に中に入ってチームの印象はいかがですか?
中田 何度かみんなで食事会に行かせてもらって、いろんな人と野球の話をしてね。いや、若い子は素直でかわいい子たちばかりです。ひねくれた人間なんてひとりもいない(笑)。
── ドラゴンズは、2年連続最下位と苦しい状況が続いています。ベテランの人たちとはどんな話をされているのですか?
中田 いろんな話をしましたよ。本当に。
── 具体的には誰が目につきましたか。
中田 細川(成也)くんにしても鵜飼(航丞)くんにしても、ものすごいですよ。まだあまり話はできていないんですけど、いや、すごい。
【中日移籍を決めた理由】
── 入団会見では「一から出直す」という決意表明がありました。
中田 リセットというよりも「単純に試合に出られる可能性がある」「またスタートラインに立たせてもらえる」ということに対して、素直に喜びを感じているということですかね。またここからレギュラーを競って、勝ちとらなければならないですけど、でもそのスタートラインに立たせてもらえているんでね。そこは、ホントにうれしいなと思います。一方で、僕の場合はプロ17年目です。若い子たちとは違って、野球人生のラストスパートなので、これで結果がダメだったら辞めるだけ。
── 昨年はケガもありましたが、その後はなかなか試合に出られない日々が続きました。これまでのキャリアでも難しい経験だったのではないですか?
中田 昨年はもちろん自分の力不足もあったんですけど「今日の試合、出られるのかな」ということろからのスタートで、代打の1打席でホームランを打っても、次の試合でスタメンになれるわけじゃない。もちろん、チームとしての方針やいろんな事情が重なっていたということも理解していましたし、プロが勝負の世界である以上は仕方のないことだとは思うんです。
ただ次の年に新しい気持ちで頑張ろうという時に、ハッキリと「ファーストは岡本の固定でいく」というコメントがありました。僕自身、レギュラーとして試合に出続けることが無理だなと感じているのであれば、残りの契約の2年分ジャイアンツに残ってプレーをすることもあったでしょう。そういう決断に至らなかったのは、やっぱり「まだ試合に出たい」「打席に立ちたい」という気持ちが素直にあった。そこはもう自分自身を信じるしかないと、チームを出る決断を下しました。
── 今年はジャイアンツと、岡本選手との直接対決もあります。
中田 ヘンな気持ちは一切ないです。移籍が決まってから、和真とも「対戦するのが楽しみだね」っていう話もしましたし、負けたくないなって気持ちはもちろんありますし、なんというかこう......燃えてくるものも、もちろんありますけど、やっぱり楽しみというほうが大きいですね。それは同じく移籍してきた中島さんも同じだと思います。
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中田翔(なかた・しょう)/1989年4月22日、広島県生まれ。大阪桐蔭高から2007年のドラフトで日本ハムから1位指名を受けて入団。プロ4年の11年にレフトのレギュラーをつかみ、12年は全試合出場を果たす。14年に打点王のタイトルを獲得し、15年には自己ベストとなる30本塁打、102打点をマーク。以降も主軸として活躍するも、21年8月に同僚への暴力行為が発覚し無期限出場停止となっていたが、数日後に巨人への交換要員なしでのトレードが発表された。22年はシーズン途中から4番を務め、一塁でゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍し、新たに3年契約を結んだ。だが23年は出場試合数が激減し、シーズン終了後に自らオプトアウトを選択して巨人を退団。その後、中日への移籍が決まった。