北條史也インタビュー(後編)
前編:「北條史也が振り返る阪神時代の苦悩の11年」はこちら>>
2023年に阪神タイガースを戦力外となり、今季から社会人の強豪・三菱重工Westでプレーする北條史也。2018年に左肩脱臼の重症を負ったことで、以降のプロ野球人生に暗い影を落とすようになる。
【昨年の夏頃、戦力外を予感した】
── プロ6年目の2018年9月に左肩を脱臼して、具体的にはどんな変化があったのでしょうか?
北條 ボールを投げる時、左肩を投げたい方向に向けるんですけど、肩が入ってこない感覚があるんです。だから投げたボールも、今までより弱く感じてしまう。高めのボールに腕を伸ばして捕る怖さもありました。とっさの動きに弱くなった感じがします。脱臼したのが右肩だったら、もっと早く戦力外になっていたでしょうね。
── 打撃面にも影響はあったのでしょうか?
北條 振りにいく瞬間にガッと体が固まったり、腕を伸ばしたいのに伸びなくて打球が弱くなったり。
── 3回目の脱臼となった2021年オフには左肩を手術しています。
北條 手術をして、「もう肩が抜けることはない」と言われていました。でも、寒い季節になると今でも肩は絶対に痛くなりますね。そのほかにも腰、ふくらはぎ、足首とケガが増えました。
── 北條さんが言う「第二次プロ生活」では、ファームで過ごす時間も長くなりました。ウエスタン・リーグでは若手が優先的に起用されるなか、中堅・ベテランは出場機会が限定的で難しさもあったと想像します。
北條 若い時に、30歳くらいの人がそういう使われ方をしていたのを見てきたので。自分もそういう歳になったんだなと。起用するのは自分ではないし、操作はできません。
── 2023年はファームでも打率.234と不本意な数字に終わりました。これも故障が大きな原因だったのでしょうか。
北條 なんですかね......。別に言い訳はしたくないですし、自分の実力です。
── 戦力外通告を受けると予感した時期はありますか?
北條 夏くらいじゃないですか。
【チームの優勝にむなしさを感じた】
── 阪神のリーグ優勝はどこで見たのでしょうか?
北條 遠征に行っていて、あとから動画で見た記憶があります。「見たっちゃ見た」という感じですね。
── 複雑な思いもあったのではないでしょうか。
北條 そうですね......。
── 「むなしさ」ですか?
北條 なんでそういうタイミングで優勝なんだ......って、むなしい感じ。腹が立つというより、悲しくなりました。一軍の試合に出してもらうようになった4年目(2016年)はただ必死についていっただけですが、その後は「優勝したい」という気持ちが年々ふくらんでいましたから。
── 戦力外通告を受けた際、球団からはどんな言葉をかけられたのでしょうか?
北條 11年間貢献してくれた、よくやってくれた、ありがとう、と。感謝の言葉をいただきました。
── 戦力外通告を受けても、阪神への愛着は残っていますか?
北條 もちろん、阪神にいてよかったと思っています。
【金本知憲からの「もう野球をやめろ」】
── 12球団合同トライアウトは受けなかったのですね?
北條 戦力外通告を受けるタイミングで金本(知憲)さんにお電話したんです。その時、金本さんからは「もう野球をやめろ」と言われました。NPBの他球団を目指すのはやめたほうがいいと。家族もおるんやし、戦力外で入った選手は結構な成績を残さないと長続きしないと。たしかに自分にそこまでの成績を残せる自信はなくて......。それでも、期限まではNPBからのオファーを待っていました。
── 三菱重工の大川広誉GMからのオファーはすぐに来たそうですね。
北條 はい。NPB球団からのオファーを待っていいから、プロで11年間やるような経験を持った人材がほしいと。僕という人間を求めてくれているんだなと感じて、ありがたかったですね。NPBのオファーを待ちながらも、気持ちは三菱に傾いていました。金本さんにも「社会人野球という経験していないところでプレーしたいです」とお伝えしたところ、「そうか」と理解していただきました。
── 三菱重工Westでは野球に専念する「プロ契約」になるそうですね。責任も重大だと思いますが。
北條 まだ実感はしていないですが、あまり感じすぎると余計に野球を楽しくできないので。それでも、社会人はチームとして1試合を勝とうという気持ちが強い世界ですし、「北條を獲ってよかった」と思われる成績を残したいです。野球への姿勢もしっかりしたところを見せないといけないですし、そこはプロと変わらずやっていこうと考えています。
── 近年はサードやセカンドでの出場が多かったですが、社会人で再びショートを守る可能性はありますか?
北條 うーん、ショートをやれる自信はないですね(笑)。少しでもやっていれば想像はできるんですけど、近年は全然守っていないので。
── 最後に、プロの世界で奮闘している同期生・田村龍弘選手(ロッテ)への思いをお聞かせください。
北條 最近の成績は満足がいってないと思いますし、このくらいの歳になると1年1年「今年で終わりかも」と考えているはずです。あいつのよさが出るのはキャッチャーとして試合に出てこそ。まだ今年で30歳ですし、キャッチャーは息が長いポジションというイメージもあるので、あと10年はやってほしいですね。昔と比べて野球に対して貪欲になっていると思いますから(笑)。
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三菱重工・大川広誉GMのコメント
「北條選手の戦力外通告のニュースを見て、すぐ『ウチに来てくれる可能性があるかな?』と思いながらもオファーをさせてもらいました。一番評価させてもらっているのは人間性。高校時代の恩師である金沢成奉さん(現・明秀学園日立監督)には野球界の大先輩としてお世話になっていたんですけど、その金沢さんから北條選手の人間性のすばらしさを聞いていました。北條選手はタイガースの顔でもありましたし、関西を本拠地にしている三菱重工Westでも社員から応援してもらえると感じました。チーム内には高いレベルを目指す若い選手も多いので、坂本勇人選手(巨人)など名選手と一緒に野球をしてきた北條選手の経験をぜひ伝えてほしいなと。もちろん、数字を残してもらいたい思いもありますが、それ以上に北條史也という存在がチームにもたらしてくれるものは大きいと考えています。北條選手としても、野球人としてキャリアアップするうえでいい経験にしてもらえたらありがたいですね」
(おわり)
北條史也(ほうじょう・ふみや)/1994年7月29日、大阪府生まれ。光星学院高(現・八戸学院光星)では1年秋から主軸を担い、2年夏から3年夏まで3季連続甲子園準優勝を果たした。12年のドラフト会議で阪神から2巡目で指名され入団。プロ4年目の16年には自己最多の122試合に出場し、打率.273、5本塁打をマーク。18年にも打率.322を記録したが、同年9月に左肩を脱臼。20年以降は出場機会を減らし、23年は一軍に昇格することなく、戦力外を受けた。その後、社会人野球の三菱重工Westに加入することが決まった。