競輪・犬伏湧也、苦難の果てに3度目で養成所合格 今永昇太の衝...の画像はこちら >>

【S級S班としての自覚】

 怪物――。

 犬伏湧也(徳島・119期)を評するとき、この言葉がこれまで何度も躍ってきた。そんな彼がとうとうその評価に値する称号を手にした。

今年4月、S級S班への昇班。約2200人いる男子の競輪選手のなかで実力上位9人しか選ばれない最上級のクラスだ。

 デビューから4年間の実績、そして昨年の「KEIRINグランプリ2024」では賞金ランキング10位で補欠選手となったことで、その実力はすでに証明済み。昇班についても納得の声が挙がっていた。S級S班になったことを本人に聞くと、引き締まった表情で語り始めた。

「責任感もありますし、周りからの目もありますし、やっぱり自分がSSとして求められる走りにしっかりと応えられるように、レース前から挑んでいます。いざSSになってみると、意識のレベルが一段高くなったような、そんな感覚です」

 S級S班は競輪界の花形だが、犬伏はそれに奢ることはなく、謙虚さを忘れていない。師匠の小倉竜二(徳島・77期)との関係にも変化はなく、「弟子になったころから厳しく教えてもらってきましたし、そこは変わらず毎度毎度厳しくご指導いただいています」と気の緩むスキはない。レース展開もこれまでどおり勇猛果敢。ほとんどのレースで見せ場を作っており、自身の強みを最大限に発揮しようとしている。

「自分は自転車の伸びが武器だと思っているので、そこを生かした競走をしています。長い距離を踏むことは練習していて、踏めるようにはなってきているかなと思いますが、もともとの脚質的にはスプリンターだったので、そこをベースに練習で距離を伸ばしているという感じです」

 犬伏はどっしりとかまえた軸のブレないタイプで、後続をぐいぐい引っ張るパワフルな走りと、格上選手にも真っ向勝負を挑む物怖じしない性格が特徴。

その闘犬のような猛々しいレースぶりに、かつてベテランのトップレーサーは彼の苗字になぞらえて、「なんとか手なずけないと」と笑顔で語っていたほどだ。

競輪・犬伏湧也、苦難の果てに3度目で養成所合格 今永昇太の衝撃、大学中退、1年間の就職、涙した日を語る
パワフルな走りが信条 photo by Takahashi Manabu

【プロ野球の夢を捨て競輪選手へ】

 ポテンシャルはもともと高かった。小学2年生から野球を始め、高校では徳島の強豪・生光学園に進学した。途中まではピッチャーをやっていたが、その後、外野手に専念。左打ちの4番としてチームの中軸選手だった。

「僕は足が速いほうだったので、足を生かしたプレーを考えたら外野手が向いているのかなと思って外野手をやっていました。高校2年から試合も出ていましたので、チームのなかでは目立つ存在だったかもしれません。4番として(ホームランなどの)派手な記録はないですが、足が速かったので、内野ゴロでもセーフになることが多かったです」

 聞くと50mは5秒8、100mは10秒台だったとか。陸上競技の選手でも全国レベルの快速ぶりだ。この特徴を生かし、甲子園を目指して懸命にプレーしたが、最高成績は3年時の県大会ベスト4。目標には届かなかった。それでも犬伏は野球でもっと上に行きたいと考えていた。

「高校のときからプロは目指していました。

ただ高校からはいけないと思ったので、大学でもう1回4年間やってみて、プロを目指そうかなと思っていました」

 そうして進学した駒澤大学で自分の競技人生を決定づける衝撃的な出会いがあった。それが同大学の2学年上の先輩、今永昇太(シカゴ・カブス)との対戦だった。

「すごかったです。これは打てる気がしないと思いました。こんな人がいるんだと、大学ってすごいなと思いました。今永さんの球ってストレートが速く感じるんですよね。140キロ後半くらいなんですが、もっと速いように感じます。紅白戦で対戦しましたけど、振り遅れましたね。これは無理だなと思いました」

 犬伏は今永の圧倒的な実力に心が揺らいだ。俺は本当にプロになれるのだろうか――。霧が晴れないなかで、今度は別の出会いが訪れる。

「そのタイミングで小倉さんと話をさせてもらうきっかけがあったんです。

競輪選手はこういうものでとイチから教えてもらいました。やる気持ちがあれば、自分で決めなさいという感じでした」

 実は、犬伏にとって競輪は身近な存在だった。祖父の小林峰夫が元競輪選手で、小さい頃から「競輪選手になりなよ」と何度か誘われていたという。

 今永のすごみ、小倉との出会い、そして競輪との縁。犬伏からプロ野球への思いが消えた。そして大学2年の夏に中退を決断した。

「野球への未練はなかったです。もういいかなと思いました。親からは『もう一回考え直してみろ』とめっちゃ反対されました。でも無理なものは無理なので、僕の意志は固いと伝えました」

 こうして犬伏は競輪への道を歩み始めた。そこには競輪選手になって見返したいという思いもあった。

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野球でも才能を発揮していた犬伏 photo by Takahashi Manabu

【3度目の試験で合格】

 しかし事はうまく進まなかった。競輪の経験がなかったため、10月に実施される日本競輪選手養成所への試験を1年見送ることにした。

そこから1年間、懸命に努力をしたが、翌年の試験には合格できなかった。自分の決断が正しかったことを証明するためにも、そこで諦めるわけにはいかなかった。

「僕はそのとき20歳を超えていたので、社会人として生活面もちゃんとしていかないといけないと思いました。きつい練習が終わって、そこからバイトに行ってという生活をしていて、一番きつい時期でした」

 しかし無念にも2回目も合格者リストに名前はなかった。

「結構ショックでした。2回目の試験のときはタイムもめちゃくちゃよくて、自分のなかでは手ごたえがあったんですけど、それでも落ちたのはやっぱりしんどかったです」

 養成所の試験は自転車による走行タイムだけではなく、筆記試験や作文、面接などがある。それらを総合的に判断して合否が決定される。スピードには自信があっただけに、"なぜ"という言葉が何度も頭に浮かんだ。「一番きつい時期」を送ってきたなかでの不合格に、犬伏は「心が折れた」という。

「もう1年、このしんどい生活をしないといけないのかと考えると、就職したほうが生活面では安定するので、競輪選手になることを1回諦めました。この生活がいつまで続くんだろうというのが一番きつかったですね」

 犬伏はジムのパーソナルトレーナーの仕事に就いた。そこから1年間はいち社会人として働いていたが、どこかで競輪選手を諦めたことに対する後悔があった。

「俺はこのまま終わっていくのかという感覚があった」という。そんなとき偶然、小倉と出くわした。

「『もう1回挑戦してみろ』と言われました。僕の仲のいい同級生で蒋野(翔太/徳島・115期)がいるんですが、彼からも『もう1回競輪選手を目指したらどう?』と誘いがありました。それで目指そうと思いました」

 犬伏はトレーナーだったこともあり、就職しているときにもみっちりトレーニングを積んでいたため、ある程度フィジカルは維持できていた。そうして最初の試験から3年後の24歳のとき、ようやく合格の知らせを受けた。その瞬間、涙があふれ出た。

「うれし泣きはそれまでしたことはなかったんですけど......」

 犬伏はそう言って笑顔を見せた。こうして晴れて競輪選手への門を叩くことができた。

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「一番きつい時期」を振り返る犬伏 photo by Takahashi Manabu

【目標はGⅠ優勝】

 競輪選手を目指してから4年間のさまざまな思いを持って向かった養成所は、犬伏にとって、希望と自己実現の場だった。「自分の力がどれだけ通用するのか、楽しみのほうが大きかった」というように、養成所での規律ある生活やハードな訓練はむしろ望むところだった。

「野球ではもっと厳しい環境でトレーニングをしていたので、自分を鍛えるためにはちょうどいい感じかなと思っていました」

 結果的に競走訓練48回の出走で32回1着を獲り、在所成績で1位となった。

養成所で過ごした約10カ月間を「わりとすぐに終わった」とさらり言ってのけるほど、他を圧倒しての卒業だった。

 2021年5月にデビューすると、その年には早くもS級2班に昇級。翌2022年のオールスター競輪でGⅠ初出場を果たし、GⅠ初勝利も手にした。現在に至るまで順調すぎるほどの競輪人生を送っているが、そんななかでもうまくいかない時期もあった。

「去年(2024年)は前半が悪くて、そこはきつかったですね。後半はなんとか巻き返しはできたんですが、僕は1年間安定した走りをしたいので、そこが課題ですし、その難しさを感じましたね。その前までは勢いで行けていた感じはあったんですが、やっぱり警戒もされてきました」

 2024年の前半は決勝に進めない開催が続き、成績も安定しなかった。しかし7月に地元・小松島競輪場で開催されたGⅢ「阿波おどり杯争覇戦」での優勝がきっかけで気持ちに変化が生まれて徐々に復調。そして10月のGⅠ「寛仁親王牌・世界選手権記念」が転機となった。

「最終日、小倉さんと橋本強さん(愛媛・89期)と連係したんです。相手が深谷さん(深谷知広/静岡・96期)と雨谷さん(雨谷一樹/栃木・96期)との三分戦(※)だったんですが、しっかりと先行できて、自分が1着で入れました。そこからよくなったような感じがありました。師匠を後ろに連れるというのは緊張することなんですが、毎回ああいうレースができると、GⅠにも生きてくると思いました」
※レース中に一時的に組むチーム(ライン)が3つ存在するレース

 その直後のGⅢ「万博協賛ゴールドカップレース」でも優勝を手にし、さらに11月の「競輪祭」で自身GⅠ最高位となる2着に入った。

 今後の最大の目標はGⅠでの優勝だ。次の開催は6月17日(火)~22日(日)の第76回高松宮記念杯競輪、その先は8月12日(火)~17日(日)の第68回オールスター競輪だ。「今はそこに向けてどう自分の体を作っていくかに意識を集中している」と虎視眈々と頂点を見据えている。

 またS級S班となった今、その称号に恥じぬ走りも見せたいと考えている。

「SSになった時点から、四国(の選手たち)を引っ張っていかないといけないという意識はあります。ただ引っ張るというよりは、レースで後ろに着いてくれる人がしっかり信頼してもらえるような選手になれれば、自ずと引っ張って行けるのかなと思っています」

 21歳から自転車に乗り始めた犬伏は、今年で30歳。プロ野球の夢を諦め、3回目の試験で合格して競輪界に飛び込み、今こうしてS級S班という最上位クラスで戦う激動の20代を過ごしてきた。そんな彼に「競輪は天職か」と最後に問うと......。

「天職だと思います。優勝できたときにはやってきてよかったと思いますし、まだまだ課題はありますが、その課題も少しずつですけど、クリアできているというところが、やっていて面白いなって思います」

 課題を克服した暁には、どんな選手へと変化を遂げているのだろうか。"怪物"という言葉には「得体の知れない」という意味が含まれているが、今の犬伏にはきっとまだ得体の知れない何かが隠されているということだろう。

競輪・犬伏湧也、苦難の果てに3度目で養成所合格 今永昇太の衝撃、大学中退、1年間の就職、涙した日を語る
競輪界を代表する選手のひとり photo by Takahashi Manabu

【Profile】
犬伏湧也(いぬぶし・ゆうや)
1995年7月22日生まれ、徳島県出身。小学2年から野球を始め、強豪高校に進学。4番バッターとして活躍する。大学でも野球を続けるが2年で中退し、競輪選手を目指す。日本競輪選手養成所に3度目の受験で合格。在所成績1位で卒業する。2021年にデビューし、翌2022年の「オールスター競輪」でGⅠ初出場を果たす。2023年5月のGⅠ「日本選手権競輪」で初のGⅠ決勝に進出し、2024年11月のGⅠ「競輪祭」では決勝で2着となる。2025年4月からS級S班として活躍中。

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