西武・山田陽翔インタビュー(前編)

 エース兼4番打者兼主将──。

 近江高校(滋賀)時代はいくつもの重責を担い、甲子園の"アイドル"として沸かせたのが山田陽翔(はると)だ。

 高校3年時の2022年春に選抜準優勝、夏はベスト4とチームを牽引し、松坂大輔と並ぶ歴代5位タイの甲子園11勝を記録。2カ月後の同年秋、近江と同じブルーをチームカラーとする西武にドラフト5位で指名された。

 そして入団3年目の今季。4月3日の楽天戦で一軍デビューを飾ると、オールスターまでの27試合で防御率0.33と破竹の快進撃を続けている。

西武・山田陽翔は3年目の今季、いかにして覚醒したのか? 甲子...の画像はこちら >>

【プロ3年目で待望の一軍初登板】

「高校時代はキャプテンでエース、4番という重大な役割をたくさん担っていたので、自分がしっかりしなきゃという思いがありました。今は自分の仕事をまっとうすればいいので、それに集中できます。だから高校の時より、いいパフォーマンスが出せているのかなと思います」

 ?橋光成や今井達也、西川愛也や岸潤一郎など、かつて甲子園を沸かせたスターが西武には在籍しているが、山田の醸し出す雰囲気は独特だ。

 いわゆるZ世代特有の、どこかゆとりを感じさせる空気をまといながら、20歳以上も年上の取材者をも惹きつける包容力を備えている。21歳の山田は、取材中もたびたび笑顔を見せ、ユーモアを交えながら大人びた会話を軽やかにこなしてみせた。

 ひと言で表すなら、成熟している。

 そんな山田が圧巻の精神力を見せたのは6月12日、交流戦の阪神戦だった。4対1で迎えた8回一死満塁。一打逆転のチャンスにライトスタンドの阪神ファンはベルーナドームの天井を突き破るかのごとく応援のボルテージを上げていた。

だが、山田はまったく動じることなく、絶妙なピックオフプレーで一塁走者を刺すなど、このイニングを無失点で凌いだ。

「高校時代に甲子園の大観衆のなかで、たくさん経験させてもらいました。だから、そこまで慌てることはないし、しっかり冷静に自分を持つことができています」

 今年4月3日、プロ初登板の楽天戦後には「緊張しました」と話したが、固くなるという感覚ではなかったという。

「いい緊張感があって、楽しめたって感じですね。『抑えて次につなげるぞ』と。ここからスタートだっていう、ワクワクとした緊張感を持ちながら投げていました」

【中学時代に最速142キロをマーク】

 成績を見れば、充実したシーズンを送っていることは誰の目にも明らかだ。実際に向き合って話してみると、その内面の豊かさがより伝わってくる。今という瞬間を、心から楽しんでいる様子が全身から溢れ出ているのだ。

── 今、野球が楽しくて仕方ないですか?

「乾いた雑巾のように、吸い込むことが多すぎて」

── 投げたくて仕方ない?

「いやぁ(笑)。でも知識はたくさん、もっともっと勉強したいなと思います」

 なんでも貪欲に吸収する姿勢は、幼少の頃から変わらないという。

「通っていた保育園がけっこうアクロバティックなところだったんです。冬でも毎日マラソンをして、ブリッジ、体操、跳び箱とかをやっていて。それが楽しくて、小学校に入ってからも体操をちょっと続けました」

 母親の職場に近い保育園に通っていたところ、たまたま恵まれた環境が揃っていた。

卒園後、小学1年で野球を始め、中学3年時には球速142キロを記録。当時の身長は170センチほどで、いわゆる早熟型の選手だった。

 高校は兄と同じ大阪桐蔭にも誘われたが、「まだ甲子園で優勝のない滋賀で日本一になりたい」と、近江高校を選んだ。

 3年時のセンバツでは、1回戦から準決勝まで4試合連続で完投勝利を挙げた。昭和の高校野球を思わせる熱投ぶりは話題を呼んだが、一方でその起用法には賛否が分かれた。令和の価値観からすれば"登板過多"とも受け取られかねないが、「問題ない」とSNSで擁護する有名トレーナーの声もあった。

 身体の成長的に言えば、山田は当時から成熟した選手だった。インボディという体の成分を測る器具で、高1時点で98点(100点満点)を記録していたのだ。

「入団時の筋肉量で言うと、ライオンズのピッチャーの平均値にすでに達していました」

 そう証言したのは、秋元宏作スカウト・育成統括ディレクターだ。

【森脇亮介とのキャッチボールがヒントに】

 西武では入団1年目の春季キャンプから「状態がよかった」と山田自身は振り返る。それでも一軍デビューまで3年を要したのはプロの壁にぶち当たり、隘路(あいろ)にはまり込んだからだ。

「キャンプって、自分と向き合うだけじゃないですか。でも対プロのバッターになった時に、どうしてもその時の実力ではすぐに結果を出すことができず、ちょっと悩んでしまって。

いま思えば高卒でいきなり通用しないのは当然ですけど、何かのせいにしないとっていう感じで、『フォームのせいだ』と。それでフォームを少しずつ変えていくうちに、なかなか定まらなくなってしまって......」

 1年目は登板間隔を開けながら、二軍で3試合に投げた。2年目もなかなか上向く気配が見えないなか、オールスターを迎えた頃、光明を差し込む人物が現れた。西武の元投手で、引退後はバイオメカニクスを担当する武隈祥太氏だ。

「武隈さんと『フォームがこうなっているから、こう直していこう』としっかり話をさせてもらって、少しずつやるべきことが明確になり、よくなっていきました」

 具体的には、膝が"割れる"という悪癖があった。山田が説明する。

「膝が割れて、左足が沈んでから投げにいっていました。先に体が下がるから、並進運動のベクトルが上に向く。マウンドの傾斜をうまく使えていませんでした」

 どうしたら改善できるか。"変則フォーム"と言われる森脇亮介とキャッチボールをしている時、ピンと来た。

「左足を上げて、伸ばしたまま並進していく森脇さんのスタイルが、その時の自分にすごく合っていました。森脇さんを参考に、左足を伸ばして並進していく投げ方に馴染んだあと、自分の投げやすいように取り入れていきました。

(以前と並進運動の)ベクトルの向きが変わるだけで投げやすくなったので、フォームが馴染むのはすぐでしたね」

【身長差を埋めた並進スピード】

 ピッチングとは、身体全体を使っていかにボールに力を伝えるかという行為だ。

 175センチの山田は、プロでは身長の低い部類に入る。一般的に長身選手のほうが球速を出しやすく、NPB平均より約5センチ低い山田は不利とされる。

 そんな"常識"を少し異なる角度から捉えるようになったのは、今季開幕前、西武の先輩で自身より2センチ低い平良海馬と自主トレを行なった時だった。

「たとえば身長2メートルの選手は腕も長いですし、遠心力で投げられます。背が高い分、位置エネルギーを使って投げることもできる。自分はそのどちらも使えないとなると、横にいく(=並進運動)スピードで出すしかなくて。それは当たり前のことだと思い込んでいて、特に考えていなかったんです。

 球速100キロを投げる人が並進速度を10キロ上げだけで110キロになるという、単純計算がそもそもできていなくて。確かに並進のスピードを上げることによって、簡単に球速が上がるんだなと平良さんとの自主トレで思いました。その大切さを学んで理解して、上げようと頑張っています」

 山田のストレートの平均球速は140キロ台前半。NPBでは遅い部類に入るが、今季27登板で失点を許したのは2試合しかない。

 なぜ、ここまで打者を抑えられるのだろうか。

「しっかり真っすぐや変化球で、バランスよくゾーン内で勝負できているので。打者に的を絞らせず、結果、芯を外してゴロを量産できている。要所ではしっかり三振も奪えていますし。ジャストミートという当たりが減ってきたので、それは今の自分のスタイルからしてもいい影響が大きいのかなと思います」

 自分のスタイル──。

 MLBのデータ分析ウェブサイト「Baseball Savant」のように詳細なデータがあれば、山田のすごさはもっとわかりやすく伝わり、さらに脚光を浴びていたかもしれない。

 独特の投球フォームで投げ込む山田は、平均から外れた、じつにモダンでクレバーな投手なのだ。

つづく>>


山田陽翔(やまだ・はると)/2004年5月9日生まれ、滋賀県出身。近江高校では投打でチームを牽引し、甲子園に3度出場。2年夏ベスト4、3年春の選抜で準優勝、夏はベスト4に進出するなど、歴代5位の甲子園通算11勝を挙げた。22年のドラフトで西武から5位指名を受けて入団。1年目、2年目はファームで過ごしたが、3年目の25年シーズン、初の一軍登板を果たすと、その後もリリーフとして活躍。

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