スタンドがどよめいた。それはまるでドラフト品評会のようでもあった。

 2イニング28球。観客は今大会ナンバーワン投手と騒がれた健大高崎のエース・石垣元気の投じる一球一球に酔いしれた。だが試合は昨年夏の優勝校・京都国際に3対6で敗れ、石垣の夏はあっけなく幕を閉じた。

「先発したい気持ちはありましたけど、勝つためでもありましたし、タイブレークまでを想定してやってきたなかで、自分が後ろにいたほうが投手陣も安心できるということで、納得していました」

 試合後にそう語った石垣の表情に、落胆の色はなかった。

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【なぜ石垣元気は先発しなかったのか】

 史上初、前年の春夏の甲子園覇者が初戦で激突するという好カードは、試合前から大きな注目を集めていた。コンパクトでありながら、粘り強い打撃が持ち味の京都国際。その強力打線を、石垣を中心とした健大高崎の投手陣がどう抑えるのかが、この試合の最大のポイントだった。

 しかし、先発のマウンドに立ったのは石垣ではなく、背番号10の左腕・下重賢慎だった。

 なぜ、石垣ではないのか──それは、群馬大会から健大高崎が貫いてきた戦い方によるものだった。石垣を先発の軸に据えなかった理由は、彼の「出力の大きさ」にあった。身長180センチ、体重78キロの体から放たれる最速156キロの速球は、どう考えても体への負担が大きすぎる。

 健大高崎の青栁博文監督は、石垣についてこう語る。

「石垣は出力が高いので故障のリスクがあると、トレーナーや病院の先生からも指摘されていました。

今のあの子の体には、出力が大きすぎる。その状態で150球も投げれば、将来を潰してしまうかもしれない。ですから(1試合)80~90球を目安に使っていこうと考えていました」

 実際、群馬大会もそうやって勝ち進んできた。実際、石垣が群馬大会で投げたのは、わずか2試合(5イニング)だけだった。

 だから、甲子園でもこれまでと同じ戦い方を選んだだけで、京都国際の打線をひとりの投手で抑えきれるはずがないと判断。複数の投手でつないで、最後は石垣で締める。それが狙いだった。

【勝負の読みが甘かった】

 しかし、現実は甘くなった。京都国際打線は序盤から健大高崎投手陣に襲いかかった。しかも彼らには、「石垣と対戦したい」という強いモチベーションがあった。石垣を引きずり出すために、並々ならぬ集中力を持って臨み、ほかの投手を徹底的に攻略してきたのだ。正直に言って、石垣クラスではないと抑えることができないくらいの強力打線だった。

 青栁監督は試合後、こう振り返った。

「県大会の決勝のイメージで戦えるかなと思っていました。後半勝負になると読んでいたのですが、自分自身の読みが甘かったのだと思います」

 指揮官がそこまで慎重になった背景には、佐藤龍月(りゅうが)の一件がある。昨年春の選抜優勝投手・佐藤が、昨夏の群馬大会を終えた直後に左ヒジを痛め、靭帯損傷によるトミー・ジョン手術を受けた。復帰まで約1年を要する大ケガだった。

 そのため、石垣にとっては「佐藤の分まで」という思いを背負っていた。だが、無理をさせれば同じ悲劇を繰り返す可能性がある。佐藤につづき、石垣まで大ケガを負ってしまえばどうなるのか。学校の評判はともかく、野球界にとっても大きな損失になる。青?監督やスタッフが慎重になったのは、当然のことだった。

 とはいえ、難しい問題でもある。石垣は努力の末に出力を高め、150キロ中盤のストレートを手に入れたが、投げればケガの恐れがある。一方で、投げなければケガのリスクは防げるが、チームの勝敗に影響が出るかもしれない。

はたして、この夏における最適解は何だったのか。

【相手エースは160球を投げて完投】

 この日の相手となった京都国際のエース・西村一毅は、160球を投げ抜いて完投した。これだけの球数を投げられたのは、出力が石垣ほど高くないからだ。ストレートは130キロ台後半が中心で、変化球も体への負担が少ないと言われているチェンジアップを得意としている。

 青栁監督によれば、石垣は80~100球なら投げられるという。ならば先発や、もう少し早い段階での継投も選択肢としてあったのではないか。

 だが、青栁監督は首を横に振る。

「勝ち上がれば、石垣の先発も考えました。ただ京都国際の打線はしぶといので、石垣ひとりでは無理だと判断しました。佐藤はリハビリ中で、30球制限。早めに石垣を投入してしまえば、後ろが詰まってしまう。それはできませんでした。

佐藤のケガから学んだこともあります。勝つことも大事ですが、投げ過ぎて選手の将来を壊すことはできない。そのために多くの投手を揃えたんです」

 思い出されるのは、2019年の岩手大会決勝で登板を回避した、当時大船渡高校のエースだった佐々木朗希(現ドジャース)だ。甲子園出場のかかった大一番で投げなかった佐々木に、批判が集中した。しかし、当時すでに160キロをマークし、4回戦は延長12回、194球をひとりで投げ抜き、準決勝でも9回、129球を投げた。その状況を考えれば、回避は当然の選択だと言えた。

 あれから6年。今回、青栁監督も高校生の未来を守る選択をした。その結果、大会ナンバーワン投手である石垣のピッチングは2イニングしか見られなかった。それでも批判はなかった。それでいいのだ。

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