沖縄尚学・比嘉公也監督には、ずっと後悔していることがあった。
「横浜高校を上に見すぎていたんです」
【相手を上に見るのはやめよう】
今年春の選抜で、沖縄尚学は2回戦で横浜と対戦した。主将の阿部葉太を筆頭に、体格のいい選手が揃う昨秋の神宮大会王者を「強い」と思いすぎてしまったのだ。
先発のマウンドには、「変化球がいいので」とエースの末吉良丞ではなく新垣有絃を立てたものの、先頭打者に死球を与えてリズムを崩す。安打で一、二塁となったあと、3番の阿部葉には右中間に打った瞬間本塁打とわかる3ランを浴び、あっという間に3点を失った。選抜時の正捕手で、横浜戦でマスクを被っていた山川大雅は言う。
「横浜を格上に見すぎてしまいました。同じ高校生なのに(気持ちで)引いてしまった。(阿部葉には)ランナーが溜まってしまって、無理やりカウントを取りにいこうとした球を打たれてしまった。強打者を相手にもっと工夫していたら......。沖縄ではああいうホームランは見たことがなかったので、さらに引いてしまいました」
3回にも阿部葉のタイムリーなどで2点を失い、0対5。「やっぱり強い」と思うには十分な点差だったが、試合は思いがけない展開になる。
3回裏に2本の長打を含む3安打で横浜先発の150キロ右腕・織田翔希をKO。その後も合計5人の投手を繰り出した横浜投手陣をとらえ、11安打で7得点を挙げた。試合は7対8で敗れたが、終わってみれば「自分たちも意外とやれた」というのが実感。
自分が相手を格上と見た結果、その気持ちが選手たちにも伝染してしまった。そう感じた比嘉監督は、横浜戦以後、選手たちにこう言い続けた。
「相手を上に見るのはやめよう」
相手を過大評価すれば、自分たちのパフォーマンスが発揮しづらくなる。力を出した結果の負けなら仕方ないが、力を出せずに負けるのはもったいない。所詮は同じ高校生なのだから。
【横浜戦で自信をつけた選手】
一方で、横浜を格上に見ていたことがプラスになった選手もいる。ライトの伊波槙人だ。選抜では背番号15をつけた控え選手。横浜戦で出場したのは、7対8と1点差に迫った8回裏無死一、二塁での代打だった。1球ファールのあとの2球目。三塁前に転がし、送りバントを成功。後続が倒れて得点にはつながらなかったが、伊波には生涯忘れられない打席になった。
「横浜を相手に、あの場面で(バントを)決めきれたことが自信になりました。甲子園は1球でも成長できます。人生を変えた1球です」
これを機に、明らかに自分が変わったのがわかったという。沖縄大会では背番号13だったが、打率.417と活躍。夏の甲子園はレギュラー番号の背番号9をつけてやってきた。初戦、2戦目は無安打と結果が出なかったが、悩んだ時に思い出したのが横浜戦のことだった。
「横浜戦の動画をもう一回見たんです。それを見て、最後は技術じゃなくてメンタルだ、と。あそこ(対横浜の苦しい状況)で決めきれたんだから、絶対打てる。そう信じてやれました」
動画を見たあと、3回戦の仙台育英戦は2安打。準々決勝の東洋大姫路戦でも先制打を含む2安打。
「ヒットが出て、気持ちが楽になった」
決勝の日大三戦でも9回一死一塁の場面で「ファーストにやった方が成功する確率が高い」と一塁側を狙ってバントを転がし、内野安打。
【あのホームランがあったからこそ...】
日大三との決勝。比嘉監督が「彼の好投に尽きる」と言ったのが春の横浜戦で1回KOされた先発の新垣有だった。今夏の甲子園初登板は2回戦の鳴門戦。先頭打者に二塁打を浴び、さらに四球と犠打で一死二、三塁のピンチを招いて「またか......」と思わせたが、このピンチを連続三振で脱出すると人が変わった。
5回無失点で勝利投手になると、準々決勝の東洋大姫路戦も6回2安打1失点の好投。準決勝の山梨学院戦は4失点したエース・末吉のあとを受け、3回1/3を5奪三振無失点救援でチームの逆転劇を呼び込んだ。伊波同様、新垣有も横浜戦のビデオを見て臨んでいた。
「あの(阿部葉に打たれた)ホームランがあったからこそ、ここまで成功できたと思うんで」

「選抜の時は固まってましたけど、今は心が強くなった。マウンドでの立ち居振る舞いが変わったし、ピンチでも『自分が抑えるんだ』という気持ちがある。余裕がありますね」
新垣有本人も「前はあんまり自信を持ってなかったんですけど、甲子園で投げさせてもらって自信がついてきた。
決勝は比嘉監督が「スライダーがいつものように低めにいっていなかった」と言ったように本調子ではなかったが、ピンチでも冷静さを失わずに投球。「なんとか5回までという計算だった」という指揮官の期待を上回り、8回二死まで1失点の好投を見せた。
「気持ちで引いたら負け」
横浜戦の負けは絶対に忘れない。全員がその気持ちを持って戦った。勝負事は、気持ちで引いた方が負ける。攻める気持ち、攻め続ける気持ちが必要。それに気づけたことが、この夏につながった。
【会心の盗塁で決勝点を演出】
決勝戦で決勝点を奪った6回表。二死一塁で勝負をかけたのが一塁走者の宮城泰成だった。4番・宜野座恵夢への初球にスタート。完全にモーションを盗み、捕手も投げられない完璧な盗塁だった。
「(自身の出塁後に)バント失敗もあって嫌なムードだった。(当たっている)宜野座にチャンスで回したら点が取れる。チャンスをつくりたかった」
俊足の宮城だが、じつは沖縄大会から甲子園準決勝まで盗塁はゼロ。これがこの夏の初盗塁。勝負をかけた走塁だった。
「けん制をしたら、2球連続では来ないというデータがあったので、そこを狙って走りました。(成功して)気持ちよかったですね」
盗塁成功直後の球を宜野座がレフト前ヒット。迷わず二塁ベースを回った宮城が勝ち越しのホームを踏んだ。宮城に春の横浜戦のことを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「横浜の選手は、一人ひとり、自信を持っていました」
春、横浜を"格上"と見ていた沖縄尚学ナインは、自信を持って戦えなかった。だが5カ月後の選手たちは、全員が自信を持って戦い、勝負できていた。
最後に、比嘉監督に聞いた。
「できました。それがこの結果につながったと思います」
仙台育英、東洋大姫路、山梨学院、日大三......。横浜戦を教訓に、全国クラスに一歩もひるまない心を身につけた沖縄尚学が、戦後80年の節目の年に、堂々の頂点に立った。