ダイヤの原石の記憶~プロ野球選手のアマチュア時代
第9回 則本昂大(楽天)
2シーズンぶりの先発だった。8月24日のオリックス戦。
「(状態は)よくはなかったと思いますけど、それでも抑えないといけないので、結果的に追いかける展開にさせたのは申し訳ないなと思います」
則本は直後、東北遠征のメンバーからは外れたが、29日からの日本ハム戦からチームに合流し、リリーバーとして備えるという。
【大学選手権で圧巻の20奪三振】
則本といえば三重中京大時代の2012年、圧巻の奪三振ショーを思い出す。大阪体育大との大学選手権1回戦。147キロのストレートや、鋭く落ちるチェンジアップを中心に、9回までなんと18三振を奪ったのだ。大会記録まであと1つ。
結局タイブレークの延長10回、二死満塁から自らの暴投で敗れたが三振2個を上乗せし、全国制覇の経験もある強豪から毎回の20三振で存在を大きくアピールした。
「好きなのは、佐藤由規さん(元ヤクルトなど)。タマが速くて気持ちいい」とは当時の本人だが、たしかに速い球は見ているほうも気持ちがよかった。当時で最速154キロ。則本は、こんなふうにも語っている。
「真っすぐで押すのが僕の持ち味です。
滋賀・八幡商時代は2年夏から主戦を務めたが、甲子園出場はない。三重中京大では1年秋から先発に定着し、大学4年のその春まで東海地区・三重学生リーグでは27勝無敗。そのうち完封が13というから、対戦相手にとっては顔も見たくなかっただろう。
【連続写真やYouTubeで研究】
この2012年春から取り入れたルーティンはこうだ。
「投球前にバックスクリーンを見て、さらにホームを向いたら目を閉じて精神集中。西武などで活躍した豊田清さん(元西武ほか)がやっていると雑誌で読んで、いいことだなと」
そう、研究熱心なのである。3年の秋から、ややアーム式だった腕の振りの矯正に取り組んだ。腕をしならせて使うことで、直球のキレ、変化球の精度が上がると中村好治監督(当時)に指摘されたからだ。社会人野球の鐘淵化学工業、神戸製鋼時代にはおもに4番を務め、野茂英雄らそうそうたる投手と対戦してきた中村監督。その目は的確で、則本が走り込みの量を増やし、フォーム改造に取り組むと、目に見えて成果が出た。
「直球、変化球ともに精度が上がり、真っすぐも手もとで伸びるようになりました」(中村監督)
その際に参考にしたのが、プロ選手の連続写真や、その頃から急速に普及していたYouTubeの動画だ。
「やはり腕がしなると、球が遅れてきて見にくいし、キレも増すと思います。
"エゴサーチ"も、成長の栄養になっていたというわけだ。
【則本たちの代を最後に大学は閉校】
三重県リーグでは無双状態だった則本だが、岐阜、静岡の3リーグで大学選手権の出場枠を争う決勝リーグでは打ち込まれることも多く、3年春には、日大国際関係学部を相手に3回5失点でKO。
「チームに迷惑をかけ、ベンチ裏で泣いてしまった」こともあったが、この2012年春の決勝リーグでは、2試合連続2ケタ奪三振含むすべて完投で2勝1敗。大学選手権出場に大きく貢献し、MVPに輝いた。
「ピンチでも落ち着いて投げられるようになったのが成長。このオフのトレーニングは4年間で一番きつかったけど、去年の悔しさが糧になりました。あれが転機でした」
いやいや、にわかにドラフト候補に躍り出たこの時の大学選手権こそが、大きな転機だっただろう。
その秋も三重、そして代表決定戦で優勝した三重中京大は、ドラフト後の明治神宮大会に出場。則本は京都学園大(現・京都先端科学大)戦で12三振を奪う完投勝利を飾り、全国大会で初勝利を挙げている。ちなみに三重中京大は、則本たちの代を最後に閉校したが、則本が残したリーグ戦通算33勝0敗、防御率0.56は、とんでもない数字である。
プロ1年目で開幕投手に指名された則本は2013年、いきなり15勝の好成績を残し、球団初の優勝の立役者となった。