川尻達也インタビュー 後編

(前編:朝倉海のUFC2連敗に、川尻達也は「絶対に勝たなきゃいけない試合だった」 敗因や適正階級ついて分析した>>)

「PRIDE」「DREAM」を経て2014年に「UFC」に挑んだ川尻達也。四角いリングからオクタゴン(八角形のケージ)へ。

ルールや環境が大きく変わるなか、川尻はどのようにして海外での試合に臨んでいたのか。そして今、同じ舞台に挑む朝倉海ら日本人ファイターたちを、どんな目で見ているのか。海外で闘う現実と日本人ファイターへの期待を聞いた。

【格闘技】朝倉海は長所を磨くべきか、短所を埋めるべきか 川尻...の画像はこちら >>

RIZINがユニファイドルールに合わせる必要はない】

――RIZINとUFCでは、四角いリングから八角形のケージへと舞台が変わります。川尻さんの場合はDREAMからUFCでしたが、どう対応していたんですか?

「僕の場合は、所属していた「T-BLOOD』(茨城県土浦市)で、壁をケージに見立てて普段から練習していました。それから定期的にUFCの試合映像も見てイメージはしていましたから、リングからケージになった違和感はあまりなかったですね」

――リングとケージの違いに加えて、ルールも異なります。RIZINで勝ち抜くことと、UFCで勝ち抜くことが直結しないこともあるのでは?

「そうですね。RIZINで活躍したからといって、UFCで通用するとは限らない。だからといってRIZINが、(UFCが採用している)ユニファイドルールに合わせる必要はまったくないと思います。RIZINには、オリジナルのよさもありますから。

 今、世界ではUFCが一強で、2番手だったBellator MMAも消滅(2023年、PFLが買収)。ポーランドのKSWやチェコのオクタゴンなど、一部の団体は盛り上がっていますが、全体的には少ない状況です。そのなかでRIZINは奇跡的に盛り上がっていて、10年間存在していること自体が本当にすごいことだと思います。

ただ、そこからUFCに挑戦するということは、海選手を見ていても大変なんだと思いましたね」

――川尻さんが海外で闘っていて大変だったことは?

「一番は『全然思い通りにいかない』ということでしたね。僕の場合、日本では主に『DREAM』に出てましたが、日本だとある程度ルーティンが決まっているんです。前々日は公式会見、前日は公式計量と公開計量、当日は入り時間や尿検査、バンテージチェック、ドクターチェック......と流れが決まっていて、それに慣れていた。でも、僕にとって初めての海外での試合、2011年のStrikeforceでは、段取りどおりにはいかなかったです」

――Strikeforceの世界ライト級タイトルマッチ、ギルバート・メレンデス戦ですね(2011年4月9日)。

「そう。食事ひとつとっても思い通りにならないんです。例えば、アメリカに着いて『ちょっと買い物に行こう』と思っても、ホテルから遠くて車がないと行けない。そんな不便な環境のなかでメレンデス戦をやって、『海外ってこういうものなんだ』と思い知らされました」

【日本でやっていたルーティンやジンクスも全部捨てた】

――その後、UFCに挑まれた時はどうだったんですか?

「もう、全部あきらめていました(笑)。試合さえ成立すればいい。それだけを考えていました」

――具体的には、どのように対応していたのでしょうか。

「水以外の食べものは全部日本から持っていきました。ごはんや餅、あんこ、サムゲタンのレトルトも。部屋での食事とトレーニングルームでの練習、すべてホテルの中で完結できるよう準備していました。

 スケジュールが多少狂っても、『まあいいや、ケージに入れさえすれば100点』と切り替えて、他のことはいっさい気にせずに。英語もしゃべれないのでマネジメントのシュウさん(シュウ・ヒラタ氏)に任せて、言われたことだけを淡々とこなしていました」

――その環境で減量して、コンディションを作るのは大変だったのでは?

「開き直っていましたからね。ホテルに風呂がないことも多いので、サウナスーツと縄跳びだけは必ず持参してました。部屋を暖房で暑くして縄跳びすれば、最悪、水抜きもできる。どんな環境でも『オール・オッケー! なんとかなる!』と自分に言い聞かせていました。日本でやっていたルーティンやジンクスも全部捨てましたよ」

――海選手は、一軒家を借りてトレーナーやスタッフと過ごしていましたよね。

「そういう方法もありますよね。ただ、コストがかかるので誰もが同じようにはできません。いずれにしても海外で日本と同じやり方を求めると、イライラしたり、心が乱れたりすると思います。僕自身は本来きっちり型でしたが、海外では『もう、どうでもいいや』と割りきることで戦えました」

――国内と海外では選手としての扱われ方も変わると思いますが、川尻さんの場合はどうでしたか?

「特別扱いはまったくなかったです。海選手は契約内容が違うと思いますから、また別でしょうけど。僕の場合、DREAM時代はこちらの『こうしてほしい』というリクエストを運営に聞いてもらえることが多かった。

僕がいわゆる"Aサイド(試合の主役、主導権を持つ側)"で、相手を誰にするかが決まっていました。

 でも、UFCでは相手ありきで、『この選手に川尻を当てよう』という感じで組まれます。向こうにとってみれば、ただのひとりの日本人ファイターに過ぎないですからね」

――試合ではアウェー感もありましたか?

「UFC3戦目はドイツで、地元のデニス・シヴァーとの対戦でした。会場は完全アウェーで、歓声が全部相手に向けられていた。試合中に首を抱えられただけで大歓声が起きた......らしいんです。でも、僕は全然気づいてなくて、後で聞いて『え、マジっすか?』って驚いたくらい。そのくらい、ケージに入って戦うということだけに集中していました。だから、アウェーでも気にならなかったですね」

――試合だけにフォーカスして、その他は気にしないと開き直れたのは、川尻さんの強さでもありますね。

「そうかもしれないです。普通なら『日本だったら......』とナーバスになるところを、『どうでもいいや』と割りきれた。"鈍感力"で乗りきるしかなかったけど、それができたのは自分の強みかもしれないですね」

【4人の日本人選手は「UFCのチャンピオンになってくれる」】

――長所を生かす、短所を埋める、UFCで頂点を目指すにはどちらも必要だと思うのですが、それは選手の年齢やキャリア、置かれている状況にもよりますよね?

「もちろん苦手を補う練習も必要ですけど、年齢と契約期間を考えれば、海選手は持っている武器をどう生かすかに特化したほうが現実的だと思います。パンチ力もストライキング技術も間違いなくある。

だったら、組み技のレベルを上げて一本を取ることを目指すよりも、得意な打撃を生かすためにどう組み技を使うか、と考えるほうがいいと思いますね」

――海選手のキャリアやUFCでの現在地を考えると、ということですよね。

「そうですね。苦手なことを埋めるのは時間がかかります。20代前半の若手選手ならイチから作り直して、ストライキングもグラップリングも全部できるようになることを目指す。その上で、得意な武器で戦うことができるのが理想的です。でも、契約の問題もあると思いますし、海選手がここから数年かけてそれをやるのは現実的ではないですよね」

――とにかく次の一勝、そこから勝ちを積み上げていくしかないということですね。

「まだあきらめる必要はまったくないし、武器を磨いて勝負すれば十分に間に合うと思います」

――朝倉海選手をはじめ、UFCのフライ級に挑む日本人選手たちについてはどう見ていますか?

「堀口(恭司)選手、平良(達郎)選手、鶴屋(怜)選手、そして海選手。全員チャンピオンになれる可能性があると思います。特に堀口選手、平良選手は、すでにチャンピオンになれる実力がある。海選手は改善の余地次第で、まだまだ上に行けます。

 鶴屋選手は23歳と若いですから、これから全体のレベルを上げていける時間もある。もともとレスリングベースですし、最近は、僕もお世話になっていた山田武士トレーナー(「JBスポーツ」代表/「チーム黒船」トレーナー)から打撃を学んでいて、伸びしろも十分。

いずれにしても、この4人のうちの誰かが、近い将来に必ずUFCのチャンピオンになってくれると信じています」

【プロフィール】

■川尻達也(かわじり・たつや) 

2000年プロデビュー。『修斗』でウェルター級世界王者に輝くと、2005年から『PRIDE』、2008年からは『DREAM』に参戦。五味隆典、青木真也、ギルバート・メレンデス、エディ・アルバレスら世界的強豪と激闘を繰り広げた。2013年に『UFC』と契約。デビュー戦を一本勝ちで飾るも、2016年に自ら契約解除を決断し、『RIZIN』に電撃参戦。2019年には「ファイター人生最後のチャレンジ」としてライト級GPに挑み、パトリッキー・"ピットブル"・フレイレ戦に臨んだ。
"クラッシャー"の異名を持ち、網膜剥離を三度経験しながらも、長きにわたりトップ戦線で活躍。現在は『Fight Box Fitness』を主宰し、格闘技の楽しさを伝えている。

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