篠塚和典×岡田圭右 中編

(前編:篠塚和典が振り返るドラフト裏話 スカウトは指名に反対も、長嶋茂雄が「俺に任せろ」>>)

 篠塚和典氏は2009年のワールド・ベースボール・クラシックWBC)に打撃コーチとして参加。同大会で日本代表の指揮官を務めた原辰徳氏や、チームの中心メンバーだったイチロー氏とのエピソードを篠塚氏に語ってもらった。

(聞き手・お笑いコンビ「ますだおかだ」の岡田圭右さん)

【プロ野球】篠塚和典が語る、2009年のWBCをともに戦った...の画像はこちら >>

【原辰徳がWBC打撃コーチを打診】

岡田圭右(以下、岡田) いよいよWBCが始まります。ただ、ほんまにごめんなさい......。篠塚さんがWBCに行っていたことを知りませんでした。侍ジャパンの打撃コーチだったんですか?

篠塚和典(以下、篠塚) そうですよ。

岡田 何年のWBCですか?

篠塚 2009年に開催された第2回のWBCですね。

岡田 監督は?

篠塚 原辰徳監督です。

岡田 打撃コーチは原監督から直々に依頼があったんですか?

篠塚 そうですね。確か(2008年の)巨人の秋季キャンプの時に言われました。

岡田 その時、篠塚さんは巨人のコーチをされていた?

篠塚 (一軍)打撃コーチをしていましたね。

岡田 日本代表の打撃コーチの依頼を受けて、どうでした?

篠塚 「巨人はアメリカ野球に追いつけ、そして追い越せ」という正力松太郎さんの言葉もありますし、"アメリカを倒す"ということは大きな目標でしたから。巨人が戦うわけではないですが、日本代表チームとしてそれに挑むチャンスができたということで、すごく楽しみでした。

岡田 そういう思いもあるなかで、打撃コーチで力になれるということだから、快諾というか、「それならやろう」と?

篠塚 そうですね。ただ、やるとなれば、まず選手個々のことを理解しなければいけません。

対戦相手として代表に選ばれた選手たちの能力は知っていましたが、やっぱり実際に近くで見て彼らのルーティーンなども把握しなければいけませんし。

岡田 巨人の選手やったら、ある程度は見ているでしょうけどね。

篠塚 いろいろな優れた選手を見ることはすごい楽しみでした。そういった選手たちと間近に接することで、そのあとに自分が選手を指導していくうえでもプラスになりますから。

【現役時代の原とのレギュラー争い】

岡田 ちなみに、原さんとは選手時代から長いお付き合いだと思いますが、現役時代はいかがでしたか?

篠塚 大変でしたよ(笑)。

岡田 ちょっと待って、それはどういうことですか?

篠塚 1980年、僕は一軍で115試合出場しました。以降はセカンドのレギュラーとして10~15年続けていく気持ちでいたのですが、この年のドラフトで原が入ってきたんです。

岡田 原さんは、東海大相模高時代は甲子園のスーパースター。東海大を経て、いわばアイドルのような存在の選手が入ってきたわけですね。

篠塚 まさか、セカンドを守るとは思っていませんでしたよ(笑)。

岡田 そうなんですよね! セカンドにきたんですよね。

篠塚 彼が入団した翌年(1981年)、巨人はフロリダ州のベロビーチでキャンプを行なっていたのですが、最後のワンクールに原もセカンドの守備についたんです。そのあと、キャンプの場所を宮崎に移したのですが、その初日に新聞を読んだら、今シーズンは原をセカンドで起用する、といったことが書かれていて......。

岡田 ちなみに、その時の監督は?

篠塚 藤田元司さんです。

岡田 藤田監督が、原さんをセカンドで使うと。

篠塚 サードには中畑清さんがいましたしね。そういう意味では、僕が一番外しやすかったんじゃないかなと。

岡田 あらら、人がええし? 中畑さんを外したら口やかましいから、ややこしい? そんなことはないでしょ(笑)。

篠塚 ただ、まだ宮崎キャンプの初日でしたし、開幕までは2カ月くらい時間があったわけです。なので、なんとか原とのポジション争いに勝つために勝負をしていこうという思いでした。

岡田 なるほど。

篠塚 それでオープン戦が始まって、僕はいろいろなポジションを守っていました。中畑さんを休ませて原をサードに回したり、いろいろ流動的でしたけど、オープン戦も残り10試合くらいになると、だいたいポジションも落ち着き始めましたね。

岡田 篠塚さんは、結局はセカンド?

篠塚 僕はベンチですよ。

岡田 えっ!?

篠塚 守備固めや代打で出たり、たまには先発で出たりしていましたけどね。

プロの世界は自分が「出たい」と言っても、出られるわけではないですから。監督の考えもあるでしょうし、自分でも薄々気づいていました。それで、開幕が近づいた頃だったと思いますが、長嶋さんから電話がかかってきたんです。

岡田 その頃、長嶋さんは現場にはいないですよね? いきなり長嶋さんから電話がきて、何を言われたんですか?

篠塚 僕がセカンドを外されたことを長嶋さんもわかっていますから。「必ずチャンスがくるから準備しておけ。腐るなよ」という言葉をかけていただいて。その言葉を胸に、ずっと我慢しながら一生懸命やりましたよ。

 それで1カ月後に中畑さんがケガをしてしまい、原がサードに入って、自分がセカンドに入った。そこから打ち出しましたね(1981年、篠塚氏は116試合に出場して打率.357をマーク)。

岡田 なるほどね。それは長嶋さんのひと言が効いたんでしょう。いろんな壁があったりして、やっぱり野球って難しいですね。

篠塚 僕が運転する車に原を乗せて、多摩川グラウンドに一緒に行ったりしていましたよ。

岡田 人がええなぁ。原さんは後輩やん。ほんで、セカンドのポジションを争う相手やのに。

篠塚 守備も1から10まで教えました。

岡田 優しいなぁ。

篠塚 僕より上にはいかないと思っていたので(笑)。

【イチローと初めて会った時のやりとり】

岡田 そのあたりは、チームとしてどう勝っていくかということもありますからね。そんな関係だった原さんから、侍ジャパンの打撃コーチの打診があったと。当時のメンバーはどうでしたか?

篠塚 当然、球界を代表する選手ばっかりでした。ピッチャー陣は松坂大輔ダルビッシュ有杉内俊哉田中将大岩隈久志。野手陣はイチローや城島健司阿部慎之助福留孝介岩村明憲、ガッツ(小笠原道大)、内川聖一ら豪華なメンバーでしたよ。

岡田 打撃コーチとして、イチローさんとの会話は何かあったんですか?

篠塚 彼は、僕のモデルのバットを使っていてくれたこともありますし......。

岡田 ちょっと待った! そうか。イチローさんは篠塚モデルのバットを使っていたと! それだと初対面の時は、篠塚さんのところへ駆け寄ってきましたか?

篠塚 いや、最初に会ったのは、(2002年の)日米野球の時だったと思います。

岡田 あぁ、そうか。イチローさんがすでにメジャーに行っている時でしたか。その時にはどんな話を?

篠塚 その時は息子を連れて球場に行きました。息子は野球をやっていて、確か当時は小学校6年生だったかな。「イチロー、イチロー」って興奮していたから、イチローに会わせて。その時にイチローがバットを手にしながら、「お父さんのモデルなんだ。このバットですごい助かっているんだよ」と息子に話していたんです。その時は鼻高々ですよ。

岡田 そりゃ、そうなりますね。

篠塚 それで、イチローがサインしたバットをくれたんです。

岡田 ええっ!? 息子さん、宝物やね。イチロー選手はバットに関してすごいデリケートで、ケースに入れて他の人には触れさせない。で、その感覚で篠塚モデルのバットを使っていたわけですね。

篠塚 自分のモデルのバットを使ってくれていたこともあってか、打ち方にしても似ているなとは思っていました。

岡田 そんなイチロー選手と打撃コーチという立場で共闘した2009年のWBCについて、いろいろお聞きしていきたいと思います。

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(後編につづく)

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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