錦織圭という奇跡【第51回】
伊達公子の視点(1)

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 2026年10月1日──。

「日本テニス界の聖地」と呼ばれる有明コロシアムの上空には、台風の予報を覆し、抜けるような青空が広がっていた。

 その快晴の下で行なわれた木下グループ・ジャパンオープン1回戦「錦織圭対フランシス・ティアフォー」。コイントスを務めたのは、伊達公子さんだった。

錦織圭と伊達公子「元世界4位同士」のささやかな交流 試合後の...の画像はこちら >>
 この大会を最後に現役を退く錦織にとって、これがラストマッチになる可能性もある試合。私服に身を包みコートに向かう伊達さんの胸中は、複雑な思いに満たされていた。

「私自身も経験がありますが、最後の試合というのは、すごく難しいところがあるんです。もう引退と決めているわけですから、結果によって何かが変わるわけではない。勝利で引退の決意が覆ることもないし、ランキングポイントを獲得しても、まったく今後に影響がない。

 やや言葉は悪いですが、どうしても消化試合的な捉え方になってしまいます。コートに向かう時の心境も、普段の試合とは必然的に違ってくる。それは、錦織くんも同じだったのではと思います。

 ただ同時に、最後の大会で、しかも日本だから、余計にいい試合をしたい、という気持ちはもちろん強いし、コートに立つからには勝ちにいきます。錦織くんの場合、ティアフォーに勝つことは当然簡単ではないけど、最高の条件がそろえば可能性はゼロではない。

有明コロシアムのあの空気のなかで、調子がいい状態になるシチュエーションもあり得ると私も思っていました。

 そんな選手の思いがわかっているだけに、試合前の選手と接点を持つのを、私は好まないタイプなんです。ですからコイントスの時も、錦織くんと目を合わさないようにしていたのですが......」

 伊達さんは1995年に世界4位に至った日本テニス界のパイオニア。一度は26歳で現役生活に幕を下ろすも、37歳で復帰してツアー優勝を手にするなど、充実の「第2の現役生活」を送った。

 かくして2度の引退試合を経験した伊達さんは、その難しさも熟知する。だからこそ、コイントスのオファーを受けた時も、「もっとふさわしい人がいるのでは」と一度は断ったほどだ。

 最終的には、大会側の熱意ある説得を受けて引き受けたものの、コート上で伊達さんは、どこか居心地の悪さも覚えていたという。錦織に気遣いをさせないため、選手入場時もまっすぐ前を向いていた。

【目に焼きつけておかなくては】

 そんな彼女に、「あれ~、伊達さんじゃないですか?」と、いつものややのんびりした口調で話しかけてきたのは、錦織圭、その人だった。

「試合直前のコート上、審判台のすぐ横ですよ。錦織くんがどれほどの思いでコートに入ってきているか、それはもう計り知れない。ですから私は静かに、なるべく自己主張しないように大人しくしていたのですが、もう向こうから話しかけてきたので! 『そうなんだよね。私になっちゃったんだよね』という感じで、少し言葉を交わしました」

 あの時、あの空間を共有していた誰もが、これが錦織圭の現役最後の姿になる予感を抱き、見守った試合前のシーン。

その時のネット際では、元世界4位同士のささやかな交流があった。

 コイントスを終えた伊達さんが、「彼らしいな。でもこれで、少し緊張がほぐれたらいいな」と思いながら向かった観客席。ただ、席に座り、ウォームアップでボールを打つ錦織の姿を目にすると、「彼のこの魅力的なテニスが、もう見られなくなるんだな」という感傷が、ふつふつと湧いてきたという。

「もちろん全盛期に比べたら、やはりいろいろな面で落ちていたところはあるし、本人ももどかしさはあったと思います。だからこそ引退を決断したわけですし、そうでなければ続けていたはずです。

 とは言っても、やっぱり錦織圭のテニスですから。それが見られなくなるんだなという実感が、席に座るとこみ上げてきますよね。

 彼のテニスは、ほかの人には真似できない唯一無二のものだと思います。今、日本からも可能性を感じる若手は出てきていますが、『やっぱり錦織圭ではないな』とは思ってしまいます......残念ながら。それだけ彼はスペシャルでしたし、その存在の大きさを、あらためて試合を見ながら感じていました。

 だからこそ、目に焼きつけておきたかった。

これは、辞める選手は誰しも思うことではありますが、やっぱり今後、どれだけコートに立っても、本当の意味で勝負がかかった試合はできない。錦織くんが緊張感のなか、真剣勝負をすることも、もうない。だからこそ、勝負にこだわる彼の顔と、プレーに挑む心境も含めて、目に焼きつけておかなくてはという思いが私にはありました」

【やっぱり悔いもあると思う】

 この日、錦織はティアフォーに4-6、4-6のスコアで敗れ、20年近くに及ぶキャリアに幕を下ろした。試合後にベンチに崩れるように座った錦織は、タオルに顔をうずめ、激しく肩を震わせる。

「泣くなんて、まったく思っていなかった」という彼の、感情のダムを決壊させた思い......それは「喪失感」だったという。

「5歳からテニスを始めて、これだけ積み上げてきた30年が、ここで終わっちゃうんだな。本気でプレーすることはもうなくなるんだなという喪失感が、一気に押し寄せてきた」

 試合後のコート上、涙の乾かぬ顔を上げ、錦織はそう言った。

 錦織のこの言葉に対し、伊達さんは「選手の気持ちとして、痛いほどわかりますね......」と、深い共感を示した。

「ただ単に、テニスができなくなる寂しさだけではなく、やっぱり悔いもあると思うんですよね。もう一度100%の状態で、それも1試合ではなく、1大会なり通年なりで戦いたいという思いも、強かっただろうと思います。

 だからこそリハビリもがんばれたし、ATPチャレンジャー(ツアーの下部大会)にも出続けることができたと思うので......それは痛いほどわかります。いろんな複雑な思いも、いざ終わるとなったらこみ上げてくるので。

 きっと、(2014年)全米オープンの決勝の後悔も、ここから大きくなっていくんじゃないかなと思うんですね。

グランドスラムのファイナリストになったことが、日本テニス界にとって大きな出来事なのは間違いないし、走り続けている間って、本人のなかでも達成感があったと思うんです。ただ、これが引退して1年、2年と時を重ねると、別の意味合いも帯びてくる。

 時の流れは速いので、2~3年経ったら、どんどん次の世代の選手が出てくると思います。ましてや、ヨーロッパやアメリカに比べたらテニスの歴史も浅い日本という国で、今後も長く語り継がれていくかどうかは、タイトルを持っているか否かがすごく大きく関わると思うんです。それは私も含めてですけれども、やっぱり、準優勝とタイトルを持っているかの違いというものは、時間が経つにつれて大きく感じていくのではと思いますね」

【錦織から届いたLINEの内容】

 時の流れにともない薄れるのではなく、むしろうずくタイトルを逃した悔い──。その痛みを語れるのは、錦織と同じく世界4位の高みに至り、グランドスラムのベスト4も複数回経験した、伊達さんだけだろう。

 果たして伊達さん自身にも、のちに悔いた「あの時」があるのだろうか......?

「現役の時は本当に私も若かったし......。20代の当時の私は、グランドスラムの決勝に進んで、これ以上のプレッシャーが自分にのしかかるくらいだったら、優勝なんていらないって思っていたくらいだったんです。

 でも、やっぱり先ほど言ったように、優勝と準優勝では大きな差があると思うんです。世界1位の記録や記憶は時間とともに流れていくけれど、タイトルは永遠に残る。実はこの間のアジア大会の時、男子ダブルスで優勝した楠原(悠介)くんが所属する伊予銀行のコーチであり、私の全日本選手権でのミックスダブルスのパートナー、植木(竜太郎)くんから決勝前に連絡をもらったので、『勝たないと何も残らないよ。銀と金は違うからね』って返事したくらいなんです。

 そういう意味では、私は......そうですね。月日とともに、そういうのは感じるようになりました。でもあの時には、わからなかった。あとから、わかってくる部分もあるので。

 錦織くんも当然、当時も優勝したかったという思いは強くあったと思います。でも、きっと今はそれ以上に大きくなったんじゃないかなと思うんです。そして、この先もっと大きくなっていくんじゃないかなっていう気はしますね」

 そのような種々の感傷や共感を覚えるからこそ、伊達さんは錦織が引退表明をした時も、そして最後の試合を終えたのちも、あえて自ら連絡を取ることはなかった。

 そんな伊達さんのもとに、ラストマッチを終えた錦織から、LINEが届いたという。

 そこには彼らしい素朴さで、「コイントス、ありがとうございました」と書かれていた。

(つづく)

◆伊達公子の視点(2)>>「彼にはテニスが3Dに見えてるんじゃないか」


【profile】
伊達公子(だて・きみこ)
1970年9月28日生まれ、京都府京都市出身。6歳でテニスを始め、1989年にプロ転向。WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス6勝を挙げ、世界ランキングはシングルス4位、ダブルス28位を記録。

四大大会では、1994年の全豪オープン、1995年の全仏オープン、1996年のウィンブルドンで女子シングルスベスト4に進出。オリンピックには2大会連続(1992年、1996年)で出場する。1996年に現役を引退したが、2008年に37歳で復帰。2009年には韓国オープンで13年ぶりとなるツアーのシングルス優勝を果たし、2017年に46歳で2度目の引退。現在は女子ジュニアの育成プロジェクトなどに取り組む。身長163cm。

内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

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