この記事をまとめると
■メルセデス・ベンツとAMG社が初めて共同で開発した「C36 AMG」を振り返る■W202型のCクラスをベースに、AMG社の高い技術力で開発されたモデルだった
■キモとなるエンジンは専用パーツが奢られたスペシャルユニットだった
メルセデスAMGとはどんな会社なのか
いまでもAMGという通称で呼ばれることが多いメルセデスAMG社は、1999年に当時のダイムラー・クライスラー社がその経営権を取得したことで、メルセデス・ベンツ・グループに属することになった、ハイパフォーマンス車を開発するメーカーだ。
そもそもの歴史の発端は1967年、AMGの創立者であるハンス・ヴェルナー・アウフレヒト(A)とエルハルト・メルヒャー(M)によって、アウフレヒトの生まれ故郷であるグロースアスバッハ(G)の地名を組み合わせたAMGの称号を掲げ、正確にはシュツットガルト近郊のブルグストール・アン・デア・ムールに、AMGエンジン生産開発有限会社の名でレーシングエンジンのブロックを鍛造生産する工場を立ち上げたのがその歴史の始まりである。
その後1976年にグロースアスバッハに本拠を移し、アウフレヒトはこの新拠点でAMGのトップとして、またメルヒャーはブルグストールの地に残り、引き続いて高性能エンジンの設計に没頭する日々を送っていた。
そのAMGの名は、すなわち彼らが製作したメルセデス・ベンツをベースとするチューニングモデルのパフォーマンスは、徐々にドイツからヨーロッパへ、そして世界へと広がり、とりわけ1980年代から1990年代にかけてAMGが開発、自製したDOHC4バルブエンジンには高い評価と熱い視線が送られたのは記憶に新しいところ。
その技術力に着目したのは市場のカスタマーやファンばかりではなく、親会社のダイムラー・クライスラーも大いに刺激を受けていた。1988年にはモータースポーツの分野において、メルセデス・ベンツとAMGはパートナーシップ契約を締結。1993年までの5年間に50勝以上の勝利をメルセデス・ベンツにもたらした。

メルセデスAMGを名乗った初のシリーズモデル現る
1993年1月1日、ダイムラー・クライスラーはAMGの株式の51%を取得し、AMGは正式に現在のメルセデスAMG社となった。そして、その共同プロジェクトの第一作となったのが、190シリーズの後継車として同年のフランクフルトショーで誕生したW202シリーズ、すなわち初代Cクラスにデビュー時からシリーズモデルとして設定されていた、C36AMGにほかならなかったのである。

すでにモータースポーツにおいては、両社の良好な関係は広く知られてはいたものの、メルセデス・ベンツのカタログにAMGの名前が記載された意味は大きかった。以後、AMGモデルは30年以上にわたって、各クラスのトップモデルとしての役を担っていくのだ。
その原点ともいえるC36AMGは、W202型CクラスのC280をベースに開発されたモデルだ。日本市場には同時にAMG C280と呼ばれる、C280スポーツラインをベースとして、それにAMG製エアロパーツや17インチ径のアルミホイール、ショックアブソーバーなどの特別装備を加えたモデルも輸入されているが、C36AMGとの大きな違いは搭載されるエンジンにあった。

C36AMGには排気量を3.6リッターに拡大した直列6気筒DOHC24バルブ(M104 E36型)が採用されていたのである。最高出力は280馬力、最大トルクは384Nm。

シャシーもこのパワーに対応して十分な備えだ。サスペンションの取り付け位置はノーマルから変更され、それによって重心を低下、ビルシュタイン製の専用ダンパーによってコーナリング時の安定性向上を実現した。デザインはフロントがダブルウイッシュボーン、リヤがマルチリンクとなる。
ブレーキはフロントにSクラス用の4ポットキャリパーを改良して採用。リヤにも2ポットキャリパーを備えるなど、こちらも走りの性能をはるかに上まわるスペックのシステムが組み込まれている。
ホワイトボディの段階からスポット溶接増しによって、さらなる剛性の高さを得ているというC36AMG。それは現在でも輝きを失わないメルセデスAMGの秀作なのだ。