この記事をまとめると
■「ラリー・ゴルフ」という限定車が1989~1990年に生産された■グループAのホモロゲーションモデルとして登場し、5000台以上が生産された
■アメリカではコレクターズアイテムだが、実際のレースでは目立った成績は残せなかった
ラリーで勝つために作られたホモロゲーションモデルのゴルフ
フォルクスワーゲン・ゴルフは生産期間が長いだけあって、さまざまな派生モデルが生まれています。カブリオレやステーションワゴンといったパッケージのバリエーションはいうにおよばず、スポーティなモデルも枚挙にいとまがありません。とはいえ、グループAのホモロゲーション、すなわちガチなレース向けに作られたモデルはきわめてレア。
1988年、フォルクスワーゲンは大人気だった世界ラリー選手権へのワークス参戦を決定しました。今も昔もヨーロッパでラリーはスペクテイタースポーツとしてF1以上に人気があり、クルマを売るには絶好のステージ。VWが参戦を決めたグループAは、市販車の状態にほど近いスタイルでのレースになるうえ、チューニング&カスタムの幅もさほど広範に及ばないため、参入障壁も高くはなかったのです。レギュレーションで5000台以上の市販が義務付けられていたのは確かですが、ゴルフの生産規模からすれば余裕でクリアできたはず。
そこでVWのエンジニアはゴルフをラリー向けにパンプアップするにあたって、エンジンと駆動系に着目。
このチューンアップでいけなくない気もしますが、VWは前年に発売したコラードG60の過給エンジンを搭載することに。コラードはGラーダーと呼ばれるスクロール型スーパーチャージャーを装備して、1.8リッターSOHCながら最高出力160馬力/5600rpm、最大トルク225Nm/4000rpmを発揮していましたが、車重はGTI 16Vより100kg以上重かった(ヨーロッパ仕様)ため、ラリーカーには向いていないと考えられたのでしょう。
ちなみに、市販モデルのラリーゴルフはコラードG60とまったく同じ出力/トルクに設定されています(実際にはターボ係数1.7を計上しボアを81.0mmから80.6mmに変更して1763cc)。
海外ではコレクターズアイテム!
そして、ラリーゴルフは当然のようにビスカスカップリングを用いたシンクロ、つまりVWの全輪駆動システムを採用しています。1987年にゴルフシンクロがラインアップしていたので、その流用と考えて間違いありませんが、WRCに参戦したグループAマシンは前後にLSDを追加して、レースごとにロッキングファクターを変更していたとのこと。
そして、ラリーのターマックステージ(舗装路)での有利を目指し、タイヤサイズが変更され、それに伴ってブリスターフェンダー化されていることも大きなポイントです。
GTI 16Vの純正タイヤは185/60R14でしたが、ラリーゴルフは205/50VR15へとサイズアップ。スプリング、およびダンパーも変更されたはずですが、公表されているデータはありません。また、フェンダーとタイヤの位置関係もさほど攻めたニュアンスはなく、現代の視点からはちょっと物足りないくらいです(笑)。
そのほか、ラリー向けカスタムとしては、ジェッタやコラード、はたまた北米仕様のゴルフと似たような角型ヘッドライトが採用されています。照射範囲を少しでも広げようという意図、あるいはコラードのスポーツイメージを踏襲したのかもしれません。
前述のとおり、ラリーゴルフはレギュレーションに沿って5000台(一説には5071台)が市販されていますが、日本への正規輸入はありませんでした。当然、コレクターズアイテムとなっており、とくに日本と同じく正規導入のなかったアメリカでは、オークションに出品されると500万円は下らない価格で取引されている模様。
そして肝心のWRCマシンでは、車重が135kg軽量化され1060kgになったほか、圧縮比を8.0から9.0へ上げて最高出力282馬力/6800rpm、最大トルク330Nm/4500rpmといったチューンアップが施されました。
が、WRCでの成績は残念ながら「栄光」の二文字とは程遠く、1991年にドイツ国内ラリーでシリーズチャンピオンになったくらいでしょうか。
こうした成績に失望したのか、フォルクスワーゲンはラリー活動を早々に切り上げただけでなく、Gラーダーにも見切りをつけてその後の市販車に搭載されることはありませんでした。とはいえ、ゴルフの歴史上、勇猛果敢さでいえばラリーゴルフの右に出るモデルはないといえるのではないでしょうか。