この記事をまとめると
■レクサスよりも早くに日本のプレミアムブランドとして立ち上げられた「アキュラ」■北米では顧客満足度調査で自動車メーカーとしてアキュラ単独で幾度も1位に輝いている
■過去にはアキュラブランドの日本展開が発表されたこともあったが撤回された
日本のプレミアムブランドのさきがけとして誕生した「アキュラ」
1970年代から本格化した日本車の北米輸出だが、1980年代に入ると良くも悪くも「廉価で壊れないクルマ」というイメージが定着する。しかしそれは、言ってみればファーストフード店で手の込んだ高額なコース料理をメニューに載せても頼む客が居ないような状況を作り出す。
自動車メーカーとして、いつまでも「廉価で壊れないクルマ」だけで商売を続けていても、市場の拡張性は望めない。
日本の自動車メーカーのプレミアムブランドの草分けとしてはレクサスが有名であり、今や日本でもすっかり定着し、メルセデス・ベンツやBMW、アウディなどと肩を並べた感もある。
そんなトヨタのレクサスよりも3年早く、1986年にホンダが立ち上げたプレミアムブランドが「アキュラ」だった。アキュラの初陣を飾ったのはインテグラとレジェンドの2車種で、インテグラは上級でよりスポーティなシビック、レジェンドはアコードの上を行くマルチシリンダーエンジン搭載のプレミアムセダン&クーペという位置づけだった。
1990年には初代NSXがアキュラのフラッグシップとしてデビューし、そのプレミアムイメージをより鮮明なものとすることに成功する。

アキュラ=ACURAは「Accuracy(正確さ)」といった言葉を連想させるが、基本的には造語で、アルファベット順で自動車メーカー名を並べた際に先に出てくるスペルと音感で選ばれたとも言われる。1990年代中盤に入ると、インテグラがRSXへと改名されたように、車名はすべてアルファベットの組み合わせに変更される。

2000年代には車種もプレミアムSUVやクロスオーバー系を加え、北米市場においてはホンダとの差別化に成功。北米では顧客満足度調査で自動車メーカーとしてアキュラ単独で幾度も1位に輝いていることもそれを裏付けているだろう。
現在まで日本展開されていないアキュラだがニアミスはあった
現在に至るまで、日本ではほとんどの馴染みのないアキュラブランドだが、ニアミス的なものは幾度かある。

他にも3代目ビガー(初代インスパイアの姉妹車)、2~3代目のインスパイアはアキュラTLとほぼ共通のメカニズム、内外装意匠となっている。

また、その後撤回されたが、2008年から日本でもアキュラブランドが展開されるとの公式発表がなされたことも記憶に新しい。
2008年といえば、その年末に日本における8代目アコードがデビューしているが、このクルマこそが本来日本に於けるアキュラ戦略の中核を担うはずであったプレミアムセダンのTSXであり、それをアコードとして販売したため、先代に比較してかなり割高に思える価格設定(セダンが税抜249~390万円、ツアラーが税抜274~412万円)とせざるを得ず、販売面でも苦戦を強いられる要因のひとつとなった。

もうひとつ記憶に残るのは、ホンダ自らも1980年代末から3代目、4代目のアコードの左ハンドル車を販売したことなどから、"アメリカ仕様のホンダ車はカッコいい"という意識を若いクルマ好きに広め、USDM(アメリカ仕様車)というカスタムトレンドを生み出す原動力となった点だ。これによって日本仕様のインテグラやレジェンドに乗る若者が、こぞってエンブレムを「H」マークから「A」マークに変更したことで、アキュラがより一層身近になった時代も今となっては懐かしい。

大トヨタでさえレクサスを定着させるために、2005年の日本導入後、紆余曲折を得て、ここ数年でようやくセルシオの記憶がLSによって上書きされたかな、というくらいの時間を要した。それを踏まえてみても仮に今アキュラが日本に導入されても、周知されるまでには随分と長い時間が必要になり、またそのメリットというのも見出し難いことから、日本の路上を「A」バッジを付けた右ハンドル車が行き交う光景は望めなさそうだ。
いずれにせよV37スカイラインやY51フーガに日産が突如インフィニティバッジをつけて、何の説明もなくまた日産エンブレムに戻す、といったぞんざいなプレミアムブランドイメージの濫用だけはご勘弁願いたいところだ。