『フワフワドーム』親子孫3代で飛び跳ねた遊具|産業遺産のM&A

まるで前方後円墳のようなかたちをした白い半円状の膜の上を、子どもがこぞってぴょんぴょん飛び跳ねたり、ゴロゴロと笑いながらころげまわったりして遊ぶ、膜材と空気を組み合わせた「空気膜遊具」。それが『フワフワドーム』だ。

今60代の中高年世代も若い頃に子どもを連れて、その子ども世代が30代前後になって、さらにその子(孫世代)ともいえる幼児も、3代にわたって遊んできた遊具。『フワフワドーム』は栄枯盛衰が激しく、最近は「危険だ」と撤収されることも多い公園遊具業界にあって、根強い人気を誇っている。

明治期にあった施設・技術ではないので、「産業遺産」と呼ぶには似つかわしくないかもしれない。だが、中高年世代には「子どもが小さいとき、一緒に飛び跳ねて遊んだなぁ」と懐かしみ、小さな子どもは全身を使い今も新鮮な驚きを得る。見た目、単純なつくりに、地面に立つのとは異なる感覚とともに “そこはかとない郷愁”を感じさせてくれる遊具である。

その第1号は東京都立川市・昭島市にまたがる国営昭和記念公園(以下、昭和記念公園)にある。設置されたのは、今から約35年前の1992年。昭和記念公園「こどもの森」の設計を任されていた高野ランドスケーププランニングという会社が設計し、当時の小川テントに発注して完成した。

4年の歳月をかけて完成に漕ぎつける

昭和から平成に変わる頃、高野ランドスケーププランニングでは当時の建設省から昭和記念公園「こどもの森」の設計依頼を請け負っていた。同社では、多摩美術大学の立体デザインの教授であり同大学の学長も務めた故高橋士郎氏(2021年に逝去)とつながりがあり、その高橋教授が親交のあった小川テントに依頼し、制作が進んだ。

小川テントは、日本初のエアドーム、1970年の大阪万博、さらに東京ドームなどを手掛け、当時、テント業界を代表する会社だった。さまざまな膜構造物を手掛け、空気膜に関わる技術を培ってきた。第1号『フワフワドーム』は、その技術を活用した遊具だ。

ただ、現在の昭和記念公園にある『フワフワドーム』は内膜と外膜の2層構造だが、第1号は1層の膜材でつくっていた。基礎は膜材をスクリューアンカーで固定し、ワイヤーをつなぐ、“素朴”なつくりだった。膜材はエアドームに使用していた送風機で膨らませる技術を応用していたという。

膜材も模型から型取りして裁断する素朴なつくりの第1号施設。だからこそ、疲労試験や摩擦試験などを何回も行い、摩擦に強く耐久性の高い施設に仕上げていった。開発がスタートしたのは、1989年頃。完成品ができあがったのが1992年。約4年の歳月をかけて完成品に漕ぎつけた。

完成後も改良を重ね、安全性を追求

初めて世に出た遊具だけに、子どもの飛び跳ねるタイミングがよくないと足をくじいたり、手や体を強く打ったりしたこともあった。高野ランドスケーププランニング側としては、「子どもはケガをしながら遊びのリスクを覚える」という気持ちもあったようだ。

また、遊具そのものも膜材が破れたり、送風機の回転速度や電力を制御するインバータが落雷で故障したりなどのトラブルはあったようだ。しかし、子どもや遊具に関するトラブルを不具合・失敗と受けとめた上で技術改良を重ね、より安全な遊具にしていくことを忘れなかった。

昭和記念公園に設置した『フワフワドーム』は人気を集め、全国の公園施設に普及していった。

韓国、中国、ドバイなどの公園にも設置され、人気遊具となっている。全国の国営公園を中心に世界各国でも大人気の遊具。現在、国内では他社製品も含め、全国120カ所ほどの公園や施設に設置されているという。なお、この広がりについては、つくり手側があえて特許などの権利を取得しなかったことも大きい。「より多くの子どもに新しい体験を!」との思いがあったようだ。

ただ、公園施設業協会(JPFA)は、第1号遊具完成当初はなかった基準を設けた。遊具である以上、対象年齢や総重量のほか、たとえば膜材の傾斜角などに一定の基準が必要だったのだ。

一世を風靡し、有為転変を繰り返した「小川テント」

第1号『フワフワドーム』を開発した小川テントは1914(大正3)年2月、東京・八丁堀に株式会社小川治兵衛商店として開業した。翌1915年に小川工業株式会社に社名変更する。さらに1940年、広島に広島小川工業を設立。次いで満州の奉天に、1943年には中国の上海に会社を設立した。戦前・戦中にかけて旧日本軍向けにテントやリュックを製造販売していたルーツがあり、軍部統制の“波に乗った”という考え方もできるかもしれない。

小川治兵衛商店は1915年に小川工業株式会社に社名変更する。

さらに1940年、広島に広島小川工業を設立。次いで満州の奉天に、1943年には中国の上海に会社を設立した。戦前・戦中にかけて旧日本軍向けにテントやリュックを製造販売していたルーツがあり、軍部統制の“波に乗った”という考え方もできるかもしれない。

小川テントという社名で東京の京橋に工場併設の会社を設立したのは、終戦直後の1946年3月のことだった。その後も1966年には当時の西ドイツにヨーロッパ事務所を開設するなど海外展開を図った。もちろん国内でも岩手県江刺市や胆沢町(いずれも現奥州市)、岐阜県坂祝町など国内各地に工場を新設している。

国内での会社設立としては、1964年にビワ縫製、1973年にクラウンサービス、1987年にキャンパルショップ、1995年にスタークラウンという会社を設立した。クラウンは同社のロゴマークだった。

第1号『フワフワドーム』が設置されたのは、小川テントが新会社や新工場設立を盛んに行っていた頃、同社が日本の大手テントメーカーの一角をなす頃だった。なお、これら当時の新会社のうち、キャンパルショップは2000年に小川キャンパルに社名変更し分社化している。

ただ、相次ぐ事業の多角化や新会社・工場設立などに伴う借り入れが負担となったのか、経営手腕に欠けていたのかはなんともいえないが、小川テントの資金状況は急速に逼迫した。2011年10月には東京地裁に自己破産を申請し、即日受理された。

負債総額は約38億3800万円。1980年代から90年代にかけて設立されたオガワテクノ、小川キャンパル、小川クラウン、スタークラウンなどの会社も、2012年から2017年にかけて倒産している。

『フワフワドーム』事業を引き継いだのは、小川テック

『ogawa』といえば、王冠(クラウン)マークを施した110年を超えるテントの老舗ブランドである。その『ogawa』ブランドを扱う会社は小川治兵衛商店から小川工業、小川テント、小川キャンパルと変転し、小川キャンパルの倒産後はキャンパルジャパンという会社が事業を引き継いだ。

『フワフワドーム』事業を引き継いだのは小川テックという会社である。同社は1999年に小川テントから分離独立し有限会社小川テックに、翌2000年には株式会社化した。そして小川テントが破産する前年の2010年、産業繊維資材の製造・販売を行う大嘉産業の100%子会社になった。2017年に大嘉産業は小川テックを吸収合併する。『フワフワドーム』事業は大嘉産業に引き継がれた。

現在の第1号『フワフワドーム』の周りには人工芝が敷かれ、汚れにくくなり、抗菌仕様やクッション性も高め、より安全性に配慮した遊具となっている。『フワフワドーム』は小川テントが後世の子どもたちに残した重要な工業製品。その事業主体は有為転変を繰り返したとしても、子どもたちは「そんなの関係ねぇ!」とばかりに飛び跳ね、満面の笑顔と汗ではしゃぎまわっている。

文・菱田秀則(ライター)

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