「私の存在と発明は“国宝級”」97歳ドクター・中松がトランプ関税、コメ不足への対処も“発明”「アップルウォッチの原型を発明したのは私なんです」
「私の存在と発明は“国宝級”」97歳ドクター・中松がトランプ関税、コメ不足への対処も“発明”「アップルウォッチの原型を発明したのは私なんです」

先月、フジテレビの親会社フジ・メディア・ホールディングス主催の定時株主総会に開始から終了まで出席。異例の長丁場にもかかわらず、質疑応答では一番最初に指名を受けたという「ドクター・中松」こと、発明家の中松義郎さん(97)。

その翌日は自身の誕生日であり、90歳を過ぎて授かった初孫をお披露目するなど盛大なパーティを行なった。 

 

自身を踏まえ、「高齢者」に対し「長経験者」という呼び名を「発明」したという中松さん。 

3年後に控える100歳を目前に、何を提言し、どのような未来を創り上げたいと考えているのかうかがった。 

ドクター・中松「私の存在と発明は“国宝級”」

6月26日に97歳の誕生日を迎えた「ドクター・中松」こと、発明家の中松義郎さん。

当日に行なわれた「サー中松博士 100-3才大誕生祭」ではしっかりした足取りで登場し、壇上でスピーチを敢行。取材に訪れた海外メディアには淀みない英語で切り返していた。

その前日に行なわれたフジテレビの親会社フジ・メディア・ホールディングスの定時株主総会には一番前の列で開始から終了まで耳を傾け、30年来の株主としてフジテレビ再生のために「発明」した「健全に復興させるためのドクター・中松ドクトリン(※)」を議長に提案した。(※中松さんが考える経営方針や行動指針のこと)

取材当日も、小粋に整えられたオールバック、ヴェルサーチェの特注ジャケットにネクタイ、そこに夏らしい白いパンツを合わせた姿はさながら名作映画の俳優のよう。足元の室内履きはフェラガモだった。

格好はもちろん、その内実も、「年相応」という言葉からは遠く離れている。

あまたの賞状やトロフィーに囲まれ鎮座する、その神々しいまでの金ピカぶりに、思わず“国宝”という言葉が口をついて出た。

「そう。私の存在と発明は“国宝級”なんです。

なのに日本だけ、私を認めない。

今でも新聞数紙を隅から隅までくまなく読むのが日課で、日本と世界情勢のゆくえについて常に考えている。そして、毎日と言っていいほど発明をしている。

今日もね、アメリカから特許申請の許可通知が届いたんですよ」(中松さん、以下同)

これまで4000件近い“発明”を世に送り出し、その功績が称えられ全米各地や世界の主要国に「ドクター・中松デー」が制定されているという中松さん。今回はどのような特許なのだろうか。

「あまり詳しいことは言えないのだけれど、新しいスマートフォンの仕組みです。現在スマートフォンは海外製ばかりですが、日本の“モノづくり”の原点を見せつけるようなものですよ。

私のこの仕組みなら、日本の産業も盛り返すことができます。なんたって、アップルウォッチの原型ともいえる “ウデンワ(携帯電話がついた腕時計)”を最初に発明したのは私なのだから」

普通の人なら特許申請はおろか、発明を形にすること自体なかなかできることではない。だが、中松さんにとって発明は息をすることと同じレベルなのだろう。

発明は愛

5歳のときに模型飛行機用の画期的な装置を発明したことから始まった、中松さんの発明人生。14歳の麻布中学生のころには母のために、のちの「灯油ポンプ」と同じ仕組みである「醤油チュルチュル」を発明したというエピソードはあまりも有名だ。

「発明は愛。

独りよがりに儲けるためではなく、世の中をよくしたい」それが原点だという。

発明の定義をふまえ、中松さんが続ける。

「発明は、なにも“モノづくり”だけではないんです。“見えない発明”もあります。これは、政治や経済、経営に関わる方法ですね。政治とモノづくりという、この2つの発明が同時に進むことで、世の中は初めてよくなる」

なんと中松さん、トランプ関税への対処法も、米不足の解消法も、すでに発明したという。

「トランプ関税対策なんて簡単です。『25%関税かけられても平気な車』を発明すればいい。私なら、日本の労働力をアップさせつつその仕組みを作ることができます。以前『なカーまツー』という、環境にも配慮した低燃費車を発明しましたが、それを改良しましょう。加えて交渉する政治の力も必要ですが、これも私が発明できます」

米不足については、目からウロコの着眼点を「発明」。

「意識改革から発明しました。

まず、現状の『お米がないことに耐えられない』という思考停止状態を変えます。お米をたくさん食べなくても、私が発明した『サイエンティフィック・フーディーズ』理論を実行して食べ物を選べば、1日1食でもお腹が満足になるし、私のようにいつまでもひらめきが尽きることがない脳と健康な身体を保つことができる」

中松さんは、自らの食事を35年間にわたり撮影し続け、それらがどれだけの作用をもたらしたかを記録し続けたということで、2005年にはイグ・ノーベル賞(栄養学賞)を受賞した。その経験が同理論につながっているとも。

中松さんが続ける。

「そして、もっと米の値段が下がるような栽培方法を進めることです。雨だろうが太陽だろうが、関係なく米を作れるような、“作り方の発明”が必要。それも、私が現場の農家の方々とともに考えましょう。

とにかく、今の日本は、発明心が足りない。思考停止して、ただ嘆くだけだったり、権力を悪用する人ばかりだから」

まだまだ友たちのもとへは行けない

中松さんがフジの株主になったのは、30年ほど前。当時フジサンケイグループの会長だった故・羽佐間重彰さん(2023年死去)が麻布中学時代の同級生であり、友人を想う気持ちもあり株主になったという。

「羽佐間くんも草葉の陰で嘆いているだろうから、私も友人の思いを汲んで、“ドクター・中松ドクトリン”を提案したんです。

そういえば昔は、羽佐間くんをはじめ、各マスコミに親しい人や担当者がいたものですが、最近はみんな引退したか、もしくは亡くなってしまった。

私だけが現役のままですね」

まだまだやること、やりたいことは尽きない。だから、まだまだ友たちのもとへは行かない。もうひとつ、大きな理由がある。 

「91歳にしてできた初孫の成長を、見届けなくてはならない。私に似て、好奇心旺盛で活発な男の子でしてね。発明心のある子に育ってもらって、世のため人のために活躍するよう、私と同じ東京大学に入ってほしい。ですからあと10年以上は現役でいる予定です」

発明の遺伝子は、着実に育っているということだろう。

後編では、「ドクター・中松流 少子化対策」についてもうかがう。

PROFILE
中松義郎(なかまつ・よしろう)●1928年東京生まれ。国際最高教授。5歳で模型飛行機の「自動重心安定装置」を発明。東京大学工学部卒業後、三井物産に入社し、ヘリコプターによる農薬散布などを発明し、記録的なセールスを達成する。

29歳のとき「ドクター中松創研」を設立。「灯油ポンプ(醤油チュルチュル)」や「フライングシューズ」など、世界に認められた発明件数は約4000件。科学技術庁長官賞、イグ・ノーベル賞栄養学賞を受賞。

取材・文/木原みぎわ 撮影/佐藤靖彦

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