
子どもたちに幸せを与えてきた駄菓子が、静かに、その姿を減らしつつある。2025年春、愛知県豊橋市にある耕生製菓が廃業を決め、昭和から続いていた「糸引き飴」の生産が5月末で終了した。
続々と終売した駄菓子
近年、昭和から平成にかけて親しまれた多くの駄菓子が、次々と生産終了となっている。名古屋の鈴木製菓(有)が長年製造してきた「花串カステラ」は、製造主の健康上の理由により令和5年10月に製造を休止。そのまま再開されることなく、令和6年11月に廃業となり、同商品も姿を消した。
また、東豊製菓の「くるくるぼーゼリー」は設備の老朽化に伴い2020年に生産終了。よっちゃん食品工業の「らあめんババア」も、原材料の高騰とコロナ禍に伴う物流の問題を理由に同時期に終売となった。
アメハマ製菓の製造していた「いちごミルクキャンディ」や“10円当たり飴”も、2021年のメーカー廃業により終売に。そして、駄菓子ではないが駄菓子屋の名物商品だった「ようかいけむり」も、2020年に製造を終了している。
そして今度は、駄菓子屋の定番商品である「糸引き飴」の終売。ネット上では悲しみの声があふれた。
「ええまじかよ!また買いたいなって思ってたのに…」
「美味しかったし、楽しかったです。美しい思い出をありがとうございました」
「小学校のそばの駄菓子屋さんに必ずありました。平べったくて大きいのが当たりだったり。
「子どものときに、なんかお得感がある感じがしたんだよね。残念だ」
しかしこうした声に対し、駄菓子屋研究家の土橋真さんは「“懐かしい”という言葉で終わらせてほしくない」と語る。
「懐かしい”という言葉を、みんなが枕詞のように使います。ですが、作っている側にとっては、あまり嬉しい言葉ではないと思います。“懐かしい”ということは、それだけ“食べていない”ということですからね。
駄菓子は“子どものもの”というイメージがあるかもしれませんが、メーカーさんたちは“かつて子どもだった大人たち”のために、今も作り続けてくれているのです」(土橋さん)
ひっそりと姿を消してしまった駄菓子も
都内の駄菓子問屋に話を聞くと、「糸引き飴」終売のニュースが出た直後には一時的に注文が増加。電話の対応に追われたという。
「でも終売してしまっているから、今ある在庫でどこまで対応できるかという話になる。そんなときだけ急に販売数が増えるじゃないですか。
糸引き飴に限らず、これまで終売となった駄菓子も同じです。普段からそれくらい売れてたら、もっと商売できてたはず……という思いはありますね」
それでも、終売が話題になるだけでもまだいい。実は昨年、カラフルなフィルム包装が印象的だった「ツチタナのピースラムネ」も、メーカーの廃業により終売していた。
「地元の問屋さんにしか卸していなかったのですが、最初は1週間に100個作っていたのが、50個、10個と減っていき、終売してしまった。
駄菓子業界を取り巻く経済状況は、かつてなく厳しい。ここ数年の物価高で原材料が高騰し、さらに包装資材や物流コストの上昇も重なって、かつての価格設定では成り立たなくなっている。
売上金額そのものは維持されているように見えても、実際には商品の単価が上がっているだけで、生産量は減少。利益も圧迫されているという。
しかし、多くのメーカーは値上げを控え、ギリギリまで努力している。そこには駄菓子屋の美学もあるという。家族経営など小規模なところでは、原材料の高騰分を自らが吸収することで値段を維持。だが、そこで立ちはだかるのが、後継者不在という問題だ。
「糸引き飴を作っていた耕生製菓さんには、手伝いが2、3人いて、基本的には熟練の職人さんがやっていました。飴の温度や、釜から上げるタイミングも感覚で判断するような、まさに“職人技”。それだけに、後継者もいなかったと聞いています」(都内の駄菓子問屋)
この問屋の主人は、ここ数年で印象的だった終売した駄菓子に、「元祖梅ジャム」をあげた。
駄菓子の文化をこれからも守っていくためには…
「他にも梅ジャムを作っているメーカーはありましたが、やっぱり形も味も違う。
たとえば、作っていた人が40代や50代だったら、10円の商品を15円、20円に値上げしてでも続けようと思えたかもしれません。原材料の高騰、自分の年齢のこと、後継者の問題……いろんな要因が合わさると、最終的に終売を迎えてしまう」(同)
さらに、駄菓子の売り場自体も減っている。かつてのように駄菓子屋単体で営業している店は減る一方で、クリーニング屋や文房具屋、米屋、自転車屋、高齢者福祉施設、ハンドメイドの店の一角だったりと、本業の傍らに駄菓子屋を開いていたりするケースが近年増えているという。特に、土地の高騰が進む都市部では、それが顕著だ。
また、衛生面の意識も変わった。糸引き飴のように「不特定多数が触った糸を引いて食べる」という形式は、今の衛生観念では敬遠されがちだ。着色料を気にする人も増えたという。
それでも、駄菓子問屋の主人も土橋さんも「駄菓子はすたれない」と口をそろえる。実際、今も子どもたちは喜んで駄菓子を買いに来る。
「駄菓子は子どもだけじゃなく、大人が自分のために買ってもいいのです。お酒のツマミにして、子どもの頃のことを思い出すなんて食べ方は、大人だからこそできる楽しみです。終売していくのは、いろんな事情があるから止められない部分もあるでしょう。
でも、そんなとき、後悔することなく、『ありがとう』と笑顔で送り出すためにも、普段から食べてほしいと思います」(土橋さん)
終売が相次ぐ駄菓子たち。時代が移り変わっても、この文化がいつまでも残り続けることを願っている。
取材・文/集英社オンライン編集部