“神と出会った男”中村哲…人生を決定づけた徳洲会との出会いと、医療を超えて命を救った男たち
“神と出会った男”中村哲…人生を決定づけた徳洲会との出会いと、医療を超えて命を救った男たち

中村哲のルーツを丹念にたどり、世界的な「偉人」の驚くべき素顔に迫った評伝『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』。その中村に先立ち、医師として出発しながら、命を救う本質を追い求め、医療の枠を超えて活躍した先人がいた。

著者の山岡淳一郎氏に詳しく話を聞いた。〈前編後編の後編〉

この国に革命を起こした医師

──本書の第一章は「たったひとりの医師が、この国に革命を起こしていた」という一文で始まりますが、これがなんと、中村さんのことではなく、徳洲会創設者の徳田虎雄さんのことで、まず驚かされました。本書で初めて、徳田さんと中村さんとの深い結びつきを知った読者も多いと思います。山岡さんご自身はこの点、取材開始当初から意識されていたんでしょうか。

山岡淳一郎(以下同) 中村さんがペシャワール・ミッション病院へ赴任する直前、福岡徳洲会病院で研修したことなど、断片的には知っていました。ただ、徳田さんが陰で中村さんにあれほど資金援助していたことは取材をとおして知り、驚きました。

──山岡さんはすでに『ゴッドドクター 徳田虎雄』を執筆されていて、徳田さんの歩みを熟知されていると思います。徳田虎雄と中村哲、このお二人の評伝を書かれたわけですが、お二人に何か共通することはありますか?

医師として出発し、命を救う本質を追い求め、医療の枠を超えて活躍した点では似ています。キャラクターは好対照ですよ。

徳田さんは、車を運転させているに秘書に交差点で「青信号は進め、黄信号では迷わず進め、赤信号なら気をつけて進め」と命じるような、せっかちで滅茶苦茶な人です。その徳田さんが、パキスタンで医療活動を始めて間もない中村さんが訪ねてくると、その話を黙ってじっと聞く。そして、何千万円もの資金をポンと出す。それも、いまでは考えられないような会計処理をしてね。

あわよくば、中村さんを自分の配下にしたいと下心もあったようだけど、中村さんはなびかない。しかし、徳田さんの『生命だけは平等だ』というスローガンには共感し、関係を保っています。

徳洲会は、国内の医療空白地にどんどん病院を建てる。中村さんはパキスタン、アフガニスタンの医療空白地で診療をする。医療に恵まれない人を救う点では一致していました。

日本の羅針盤となった男

──確かに徳田さんは国内で、中村さんは海外で、誰にもまねの出来ないようなアクションを起こしていますね。

徳田さんの本を書く前に、私は『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社文庫)を出しています。1857年に岩手の水沢に生まれた後藤新平も、明治期に医師として歩みだし、多くの命を救うために検疫や、都市建設の分野に進み、政治家として関東大震災後の「帝都復興計画」をまとめ、東京の原型をつくりました。

後藤は医療の枠を超えて活躍した医師の先駆者です。後藤、徳田、中村の三人は、いずれも命と向き合うことを突きつめ、大事業を完遂した。彼らを書いた理由はそこにあります。

徳田さんは、醜聞まみれで、毀誉褒貶がありますが、いまや彼が立ち上げた徳洲会は、365日24時間救急を受け入れる病院を全国で90以上運営し、4万人以上の職員を抱えています。救急と、離島やへき地の医療は、徳洲会抜きでは成り立たない。

医療インフラを構築し、地域経済を担っているんです。徒手空拳から、これほどの民間病院グループを築いた例は世界でも珍しい。

中村さんもハンセン病の診療から出発し、戦乱と旱魃で荒廃したアフガニスタンで井戸や用水路を建設し、90万人以上の命を救った。どちらも事業家なんですよ。

──中村さんがそもそも徳洲会に関わった直接的なきっかけは、パキスタンへ派遣される前に、医者として総合力をつけるためだったというのも、面白いですね。

年中無休、どんな救急患者でも受け入れる徳洲会は、貴重な出会い場でした。中村さんは九州大学医学部を卒業し、精神科、神経科を専攻しましたが、パキスタンの辺境でハンセン病を診るとなれば、内科や外科の技量も身につけなくてならなかった。医療資源が乏しい途上国では、どんな病気でも診ないといけませんからね。総合医としての力が問われるのですが、日本の大学病院などは臓器別の診療科に細分化され、総合医の訓練が積めない。

そんななか、福岡徳洲会病院は、どんな患者も受け入れていた。総合医の力をつけるならここしかない、と中村さんはアルバイト兼研修で福岡徳洲会病院に入ったわけです。そして、徳田さんとの関係が培われます。

さらに福岡徳洲会病院には、後に中村さんの右腕となる看護師の藤田千代子さんも勤めていた。福岡徳洲会病院での出会いが、中村さんの人生を決定づけています。

──研修に行く時点で、中村さん自体は、徳田虎雄さんという存在を意識していたんでしょうか。

当時の徳田虎雄は医療界の風雲児、全国各地に病院を建てる際、既得権を守ろうとする地元の医師会と凄まじいバトルを展開していました。医師会が行政を巻き込んで徳洲会の進出を阻止しようとすると、公開の討論会を申し込んで対決したり……。そのようすをメディアが頻繁に取り上げ、徳田は医療の破壊者か、救世主かと注目されていました。中村さんが知らないわけがない。

一方で、中村さんは学生時代に学生運動にのめり込み、逮捕され、取り調べを受けて二十数日間、完全黙秘を貫いています。徳洲会には、学生時代に全共闘運動に没頭した医師たちも集まっており、シンパシーがあったのではないでしょうか。

『神になりたかった男』と『神と出会った男』

──本書のエピローグで徳田虎雄は『神になりたかった男』中村哲は『神と出会った男』という、お二人を対比のする面白い表現がありました。

徳田さんは、「お釈迦さんやキリストさんは、人の心を救おうとしてお寺や教会をつくった。おれは医者だから身も心も救う病院をつくる。お釈迦さんやキリストさんは杖をついて馬に乗って歩いた。

いまはジェット機の時代だから、おれは1万倍の行動ができる」と嘯きました。本人が神になりたかったのです。

一方で、中村さんは〈私は、私の中に美しく輝く白峰は、また全ての人々にもその輝きをはなつことを信じて、これを仰ぎみるのみであります〉と親友への私信に書いてパキスタンへ旅立ちました。この「白峰」は、登山隊に同行して眺めたヒンズークシュ山脈の最高峰、ティリチミール(標高7708メートル)です。そこに神を仮託しているんですね。

やがて、アフガニスタンでの灌漑事業などを経て、神の普遍性に触れ、神と出会って事業を成し遂げたと私はとらえています。

──中村さんは晩年まで、毎年、一時帰国するたびに、人間ドックを福岡徳洲会病院で受けていたというのも印象的でした。

そうですね。〈大海原を航海してきた船が母港に戻るように〉と私は書きましたが、中村さんは徳洲会とのつながりを個人的には断ちませんでした。徳洲会から資金面で支援を受けたのは1990年代前半まででしたが、2010年には徳洲会の病院長たちを集めた経営会議の場で講演をしています。徳田さんは、すでにALS(筋萎縮側索硬化症)を発症し、全身不随の状態でしたが、中村さんは「生命だけは平等だ」という徳田さんの理念を褒めている。

その後、徳洲会は選挙違反事件を起こし、「政治とカネ」の醜聞にまみれて世間の指弾を受けました。

当然、中村さんの周りの人たちは徳洲会と距離を置いたでしょうが、ご本人の福岡徳洲会病院への診療面での信頼は揺らがなかった。総合医の力量を身につけようと研修を受けた病院に、最後まで、ご自身の健康を委ねていたのですからね。義理人情だけでは、そこまでしないでしょう。

前編はこちら

取材・文/集英社学芸編集部

炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅

山岡 淳一郎
“神と出会った男”中村哲…人生を決定づけた徳洲会との出会いと、医療を超えて命を救った男たち
炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅
2026/2/262,860円(税込)452ページISBN: 978-4087817744

父は共産党活動家、母は玉井組の親方の娘。15歳で自らの意思で洗礼を受け、学生運動で検挙された青春時代……戦乱と大旱魃のアフガニスタンで90万人以上の命を救い、2019年12月、正体不明の武装集団の凶弾によって命を落とした医師・中村哲とは、いったいどんな人間だったのか。その生涯にわたり中村が巡り合い、深く関わった様々な人びと100人以上に著者はインタビューする。福岡、鹿児島、岡山、静岡、神奈川、東京、パキスタン、そしてアフガニスタンと約5年に及ぶ取材を敢行。群像のなかから鮮やかな「人間・中村哲」の姿を立ち上がらせる。大勢の人生を巻き込み、滔々と流れる大河のような中村哲を源流までさかのぼり、生い立ちから死まで描いた驚くべき本格的評伝、圧巻の452ページ。今こそ読まれるべき「人間・中村哲」の真実。

【目次】
プロローグ 水が天に昇る谷
第一章 革命の炎
第二章 同志
第三章 浸礼――永遠の別れ
第四章 青春漂流
第五章 失われた世代
第六章 空爆とナン
第七章 冬の陣
第八章 口紅
第九章 カカムラ!
第一〇章 帰還
あとがき 神と出会った男、神になりたかった男

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