「演劇を隠れ蓑にして逃げてる人もいる」――。岸田國士戯曲賞を同時受賞した蓮見翔と大石恵美が、観客の“笑ってはいけない空気”や、作り手側の責任にまで踏み込んだ。
『ロマンス』のはじまりと「熱さ」について
――ここから、おふたりの受賞作について順番にお聞きしていきたいと思います。まず蓮見さんの『ロマンス』は、数年前に4日間だけ親しい間柄にあった脚本家と漫画家の関係を軸として、物語がめまぐるしく展開する群像劇です。ふたりはいくつもの思い出を共有していて、やがてそれぞれの記憶をもとに描いた作品を発表することになるのですが、内容が酷似してしまう。ありそうでなかった、ユニークなアイデアの戯曲です。
大石 ダウ90000のコント作品は観たことがあったんですが、演劇はこれが初めてで。やっぱり会話の一つひとつが綺麗で。自分も似たような会話をしたことがあるなっていう親近感と、こんな会話をしてみたいなっていう憧れ、どちらも抱かせる絶妙なところを突いてくるのがすごいなと思いました。ああいう会話、私にはどうやっても書けないです。
蓮見 いやあ、嬉しいっすね。
大石 脚本家も漫画家も、それぞれ実体験を取り入れながら作品をつくってるじゃないですか。毎日行く近所のスーパーの店員みたいな、日常風景のなかの誰かを勝手にモデルにしたキャラクターを登場させたり。
ここには描く/描かれるという力関係が発生するから、『ロマンス』は創作において消費する/消費されるっていうことの暴力性をテーマにすることもできるんじゃないかと思ったんです。でも、蓮見さんはそっちには行かない。
そういう方向に行くこともできるけど、それはやらないっていう意志を感じました。あくまで人と人が関わり合うことの面白さのほうに重きを置いている。私は暴力性の方を描く気がする。その点は私とは全然違うなと思いました。
蓮見 なるほど。たしかに。
大石 そのポジティブさを私は持ってないし、物語を描くにあたって、すごく潔さがあるなって。
――『ロマンス』が主題にしているのは、日常に転がっているロマンス=他者との交流ですよね。これは観客の誰もが実感を持って捉えられるものだと思います。
蓮見 こうして言葉にしてもらうことで、自分でも見えてくるものがありますね。
創作の世界をあんまり深いところまで描いてしまうと、お客さんが自分たちとは関係ない、遠い世界の話だと受け取っちゃうかもしれないって。だから奥まで踏み込みすぎないように、間口は広くって意識してました。
大石 さじ加減が絶妙ですよね。そもそも、なんでこの題材を思いついたんですか?
蓮見 ネタ帳が枯渇してて、ほんとヤバかったんですよ。でも本番が迫ってるし、仕事は増えてきたし、次こそ岸田賞が欲しい。いろいろ焦ってて。そういうなかで何を書くか考えたら、もう身の回りにある題材しか残ってなかった。
脚本家が脚本家の話を書くなんて恥ずかしいじゃないですか。でも、それしかもう書くものがなかったのが正直なとこです。それにこれまで「テーマがない」って散々言われてきて、じゃあ、自分自身の体重を乗っけられる、創作そのものをめぐる題材と設定ならどうだって思って。
KOCの準決勝でなぜ人形劇ネタが3本も
大石 実際、かなり体重乗っかってる感じします。
蓮見 よかった。それと、これまでも実体験からコントを立ち上げることがよくあって、もし元カノが僕のことネタに書いたらどうなるんだろうとか、友達と話したりしてたんですよ。あるいは、恋仲になった男女の芸人コンビが、解散したあと、それぞれピンでネタを披露したら内容が被っちゃう可能性もあるよなぁとか。
大石 たしかに、あるかもしれない(笑)。
蓮見 何年か前のキングオブコントの準決勝で、人形劇のネタをダウでやったんです。そしたらまさかの、僕ら以外に人形劇ネタが2本もあったんですよ(笑)。人形劇が流行ってたわけでも、もちろんみんなで一緒に観に行ったわけでもないのに。
その年、野球ネタが6本ぐらいあって、まあそこが被るのはわかる。けど、よりによって人形劇で被るってどういうことだよって。そういう経験を日記とかに書いてたのがたぶん頭に残ってて、そのほかの実体験もぐっちゃぐちゃに混ざって、最終的に『ロマンス』になったんだと思います。
大石 脚本家と漫画家が当時の日記を読ませ合うくだり、あそこも私すごく好きです。
なんか作家がゾーンに入って書かれたものなんだろうなって感じました。見てるこっちもゾーンに入ってく感じがあったし。あれは、作家が体重を乗せて、本気にならないと書けないものだなって思います。
さっき、創作をする人の深いとこまでは踏み込まないようにしてるっておっしゃってましたけど、あそこは踏み込まなきゃ絶対書けない。でも、観客を置き去りにもしないのがすごい。
――あの展開は非常にエモーショナルですよね。『ロマンス』は全編にわたって、笑いや驚きが緻密にちりばめられていますが、日記を読ませ合うあの場面はとにかくふたりとも必死で、お互いどうにかして想いを伝えようとする姿に胸が熱くなります。
蓮見 ダウのお客さんは基本お笑い好きな人がほとんどなので、彼らに助けてもらってますよね。もし演劇ファンだけが集まる環境だったら、あんな熱いシーンをやるのはやっぱり怖いですよ。
でも、2時間くらいの長尺の作品だったら、一度くらい熱くなる瞬間が訪れないとそれはそれで不自然だよなって気もするので。あとはほら、賞を獲りたかったから、要素として熱さも入れといたほうがいいかなって(笑)。
大石 じゃあ、熱さを使ったっていう感じなんですか?
蓮見 う~ん。結果的に、上原(佑太/脚本家・坂谷役)と忽那(文香/漫画家・大八木役)のキャラや演技もあいまって、思ってたのとは違う熱さになったって感じですかね。
大石 偶然だとしても、あれだけ説得力のある熱さを持たせられる人はなかなかいないんじゃないですかね。これからも熱いの書いてほしいなって、無責任だけど思いました。
蓮見 嬉しいなあ。自分でもあそこまで行けるとは思ってなかったので、次また同じようなことができるかわかんないですけどね。
『よだれ観覧車』と「テーマ」のむずかしさ
――続いて、『よだれ観覧車』を構成する3作「犬」「赤」「蟬」は、いずれも「語り手・大石恵美」の日常や過去の体験をもとにしたエピソードから始まります。例えば、誰かと関わり合う際に生じる欲求や不安とか、他者の言葉やまなざしと格闘する姿とか。個々の作品の入口こそ現実的で多くの人々に開かれている一方、やがて訪れるイマジネーション豊かな飛躍が、受け手を思いもよらぬところへと連れて行ってくれます。
蓮見 もう一見して、そりゃ獲るよなぁと思いました。ほんとありきたりな感想になっちゃいますけど、言葉選びがユニークで、その一つひとつがオリジナリティに溢れてますよね。
甘味料を使っていないというか、僕は割と使っちゃうんですけど、大石さんが素手で闘ってる感じがする。自分にはまず書けないし、仮に書けたとしても、たったひとりで人前でやる度胸が僕にはない。ただただ純粋に、すげえなって思います。
大石 嬉しいです。もともとの発想としては、観覧車のゴンドラのような感じで、「犬」と「赤」みたいなコミカルな15分くらいの短編が6本ぐらい続く、短編集の形式で上演したいなと思ってたんです。
そのなかのひとつで女性の生理を扱いたくて。生理って重く描かれがちだから、違う形でアプローチしたかったんだけど、いざ書きはじめてみるとどうしても私自身の身体のことや、この社会において女性であるということが無視できなくなってきた。
そこでその生理を扱った話と、別でアイデアとして持ってた話を繫げてみたんです。そしたら「蟬」っていう80分のちょっと歪なものができて。おかげで当初の観覧車の構想はどっかにいっちゃったんですけど、テイストの違う作品同士を繫げることでテーマがよりくっきりと浮き上がってきたなっていう実感もあります。
蓮見 へぇ~。やっぱり、僕とは書き方がまったく違いますね。そういう作品の生まれ方があるんだっていうのがまず驚きですもん。
――「蟬」は生理だけでなく、かつて「ブス」と言われた経験を引き合いに出すことで、ルッキズムにも言及しています。実際に劇場で拝見した身として、その語りから浮かび上がる切実さを観客の多くが自分ごととして受け止めているように感じました。さらにこの展開の先で、マチズモのアイコン的な人物が登場する。誰もが知る存在を介在させることによって、大石さんの個人的な体験や感覚が社会と強固に接続していく印象を持ちました。
大石 女性の身体や生理、ルッキズムを直接的に描くと、フェミニズムの文脈だけで見られて、そこだけが取り上げられて、それだけの作品として語られるかもしれない。それは避けたくて、あまり直接的には描かないようにしてきました。
テーマに縛られて作風が自由でなくなったと感じる作家も見てきたし。なので、自分の作品が特定のイメージに縛られていくのが怖くて、最初は逃げようとしてました。
でもそれらをテーマとして扱う以上、逃げられないと思ったのも事実で。だったらどうそのテーマだけで語られないよう攪乱させられるか突破口を探ってた感じです。
「この作品で笑うなんて信じられない」と「ごめんなさい」
蓮見 なるほどなぁ。テーマの選択によっては、そういう葛藤が生まれるんですね。大石さんが抱えていたような葛藤と、自分は対峙したことがないと思います。それこそ僕が「テーマがない」って言われ続けてきたゆえんなのかもしれないけど。
大石 これまでの私の作品では、話がどんどん飛躍して、全体を貫くテーマを見せないようにしようとしてきたんですけど、フェミニズム的な要素はいままでの作品にだって含まれてはいました。
ただ今回、わかりやすくフェミニズムの観点が加わったことでより自分に引きつけて作品を見られるようになったお客さんもいるのかなと感じて。それはそれでよかったのか。むずかしいですね。
わかりやすく見られすぎた感じもあるし。かしこまった見方を強くしたかも。もちろん笑いがメインの演目というわけではないけど。でもやっぱり笑ってほしいなっていうのもあるので。
蓮見 ダダルズの公演には、どんなお客さんが来るんですか? 配信映像を観てて、自分が会場にいたら声を上げて笑っただろうなっていう瞬間がいくつもありましたけど、やっぱり演劇のお客さんってあんまり笑わないイメージがあるから。
大石 私もちゃんとは把握できていなくて、終演後にSNSでエゴサしてみたんです。そしたら、「この作品で笑うなんて信じられない」みたいな感想が上がっていて。で、その感想に対して、笑って観てたお客さんが「ごめんなさい」って謝ってるみたいな――。
蓮見 ええっ?
大石 やり取りがあったんです、SNS上で。
蓮見 ほら、演劇にはこういうお客さんがいるんですよ(笑)。
大石 笑っていいのかわからない、でも笑ってしまう。そういうことってあるじゃないですか。あの居心地の悪さを私は共有したいんです。なので、テーマがシリアスなものだったとしても、私としては笑ってもらえるような言い回し、テンションをなるべく意識してますね。
笑ったあとで、なんで笑ってしまったのかを各々で考えてもらえたらいいっていうか。まあ、お客さんが何を目的に劇場に足を運ぶかで、反応に差が出るのは当然だと思いますけど。
蓮見 お笑いだったら、みんな笑うために劇場に行くからわかりやすいんですけどね。
大石 逆に演劇だからってことで笑うのを我慢している人がいるなら、それは肩身の狭い思いをしてるはずですよね。どうするのがいいんやろ。
「演劇」を隠れ蓑にして逃げてる人々
――観客の立場で言うと、演劇はどんな作品でも客席に独特の緊張感がある気がします。
蓮見 でも、大石さんの意図を汲んだら、笑わないほうがおかしいって思っちゃいますけどね。「犬」のなかにサンリオの「ポムポムプリン」が登場しますよね。
最初、柴犬の肛門の話をしてたのが、それがなんかポムポムプリンに見えてきたっていう話に飛躍して、そっから最終的にピューロランドまで話が飛んでいくじゃないですか。あの展開はさすがに笑わせようとしてますよね。
大石 もちろんです、私としては。でも「それのどこがおもろいの?」って言われちゃう可能性も普通にあると思います(笑)。
蓮見 う~ん。だとしたらしょうがないけど、あれを面白く思えないのはさすがにちょっとお客さんが鈍すぎるんじゃないかなぁ。
大石 それこそ、お客さんのなかに演劇は黙ってじっと観るべきだっていう刷り込みもあるのかも。私も身に覚えがあって。例えば、東葛スポーツの上演って、ヒップホップマナーの演出だから、爆音で流すトラックに乗せて俳優が観客をラップで煽ってくるじゃないですか。
なのに、観客は微動だにせず座って観てる。絶対に「イエ~イ!」とはならない。客としてその場にいた私自身ならなかったんです。でも、それって冷静に考えたらちょっと異様な光景ですよね。演劇を観にきてるという前提だから、もうそういう身体になってしまっているのかも。
蓮見 東葛スポーツの場合、特定の場面だけじゃなくて、全編ヒップホップで話が進んでいくわけですからね。状況としては、お客さんが踊り出したり、コール&レスポンスが起こったりしてもおかしくない。てか、そういうふうに観るほうが自然な可能性もある。
大石 言葉を選ばずに言うと、そこにめっちゃ日本人らしい反応が出てますよね(笑)。いっそ、客席をスタンディングにしたら状況が変わったりするのかな。
蓮見 もしスタンディングでも反応が薄かったら、それはもう相当根深い何かですよね。
大石 確かに。ただ、これは自戒を込めて言うんですけど、お客さんがノってくれないときや、笑ってくれないとき、上演する側も「演劇だから当然の反応です。別にノること笑うことを目的としてないので」って逃げられもしてしまうのも事実だと思うんです。
こちらに常にエクスキューズが用意されてるというか。そういう作品ばかりではないけれど、悪い意味で「演劇なんでどう観てくれても構いません」に逃げてる作品もあるなと思うことがありますね。
蓮見 「演劇」を隠れ蓑にして逃げてる人々がいるってことですよね。
大石 「演劇」と銘打つことで逃げられる環境が生まれたのは、お客さんのせいだけじゃないと思います。何にも括られないものを描いていますという体で、よく考えきれてないまま上演してお客さんに責任を丸投げしてるものもあるから。
蓮見 そうです。お客さんは一切悪くない。
大石 いや、蓮見さんさっきお客さんのこと結構言ってましたよね(笑)。
理屈と突飛さのラインの見極め
蓮見 ところで大石さんは普段どうやって戯曲書いてます? 僕はいつものことながら、ほんと書くのに時間がかかるんです。書けなくて散歩して、また書けなくて散歩してっていう、ほんとその繰り返しなんですけど。ダダルズって全編、一人語りじゃないですか。やっぱ、自分で声に出しながら書いたりするんですか?
大石 声には出しませんけど、まずはバーっと一気に書いて、あとで整理していきますね。舞台上で実際に口にするのは私なので、それをイメージしつつ、ひたすらパソコンで言葉を打ち込んでいく。自分の語りのクセっていうか、しっくりくるテンポとかもあるので、それは稽古中に声に出しながら調整したりもしつつ。
ある言葉が何かしらのイメージを立ち上げて、そのイメージが次の言葉を呼んでくる感じですかね。そこに大きな飛躍があるってよく言われるんやけど、自分としてはギリギリ理屈が通ってる。柴犬の肛門がポムポムプリンに繫がっていくのだってそうです。人から突飛だと言われるものでも、自分としては一応の理屈が通ってます。
蓮見 おもしろいですね。大石さん的に理屈は通っているけど、他人からしたら突飛かもしれないっていうのは、どの段階で気づくんですか?
大石 バーって書いたあと、読み直したら気づきます。で、そのズレを許容されるものに調整する、もしくは許容されないもの、飛躍として残すのか見せ方を考えます。
蓮見 じゃあ、自分のなかの客観性とずっとせめぎ合ってるわけですね。
――理屈と突飛さのラインをどう見極めるかが難しそうですよね。
大石 かなり感覚的なものにはなっちゃうんですけど、ちょっと日を置いて読み返して「ほんま何言うてんねん」と思う箇所があったら、「これならギリ気持ちいいんちゃうか、気持ちいいって笑ってくれる人もいるんちゃうか」みたいな、グレーなラインまでじりじり寄せていく感じですかね。
実際、うまく寄せられてるかはわからないですけど。蓮見さんはどうですか。書いてる段階からお客さんのことを意識しますか?
蓮見 僕はそれ、けっこう得意なほうかもしれない。だから、ほんと大石さんと真逆ですよね。自分にもお客さんにも理屈の通るものだけを選んでいく感じなので。とくにネタの細かさで笑いを狙うときは、結果的にあるあるネタに近いものになったりもしますね。
ちなみに大石さん、稽古っていつもどんな感じでされてます? そもそも、あの何万字もある戯曲をどうやって覚えてるんだろうなっていうのもあるし。
大石 書いてる段階から演出はしている感覚があります。「このフレーズ3回言うと、私の身体なら次の言葉が出てくるな」とか。書くときからかなり自分の感覚や身体を使ってるので、発語にも馴染みやすいんです。自分オーダーメイドの戯曲って感じです。
だから覚えるのはそんな苦労しなくて。全部、自分のなかで根拠があるし感覚もわかるから、何回か目を通したら自然と覚えられますね。稽古は毎回、友達や知り合いを呼んでその人に向かって話すようにしてます。そこで「私のなかでは3回だけど、人に聞いてもらうなら1回がいいな」とか、人に聞かせる用の言葉に開いていく調整をしますね。
(2026・4・6 赤坂にて) 『すばる』2026年6月号掲載
構成/折田侑駿 撮影/山本佳代子
スタイリング/中島有哉(蓮見翔) ヘアメイク/久木山千尋(蓮見翔)

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