発達障害の特性を持つ息子の変化に戸惑い、自分の育て方が悪かったのではないかと悩み続けた母親。診察室であふれ出した涙を前に、精神科医は何を伝えたのか。
発達障害を抱える子どもと家族の姿を描いた『精神科医おどおど日記』から一部を抜粋・再構成してお届けする。
※病院名・登場人物名はすべて仮名とし、患者のエピソードについてはさまざまな症例を組み合わせ、また一部に脚色を加え、人物の特定が不可能となるように配慮しています
100点しか取らない優等生が塾に行けなくなった理由
「いつもと違うことが起きるとパニックになる」
「こころのクリニック三王子」の問診票にこう主訴を書いてくれたのは、小学6年生・蓮君の母親だった。
診察室に招き入れると、蓮君はSwitchに夢中で、私と視線を合わそうとしない。代わりに母親が、本人のこれまでの様子を説明してくれた。
蓮君は幼いころから興味の範囲が狭く、特定の服しか着ない。生地の触り心地に敏感で異なる質感を嫌がるため、いつも同じ服になる。
昔からポケモンが大好きで、名前はもちろん、身長・体重・解説文から、なんの技を何レベルで覚えるかまですべて暗記している。
仲の良い友人は少ないものの成績は優秀で、母親は「100点しか見たことがない」と言う。
そんな蓮君は中学受験を目指して塾に通っていた。
しかし、塾の宿題は膨大だった。塾の先生の「できるだけ全部自分の力で解くように」という言葉を守り、すべての問題を自力で解くことにこだわった。
最初のうちはなんとかこなせていたが、問題の難易度が上がり、自分の力で解けない問題が出てくると、イライラしてノートを破いたり、突然大きな声で叫んだりするようになった。
ついには「宿題が終わらない」と塾を休んだ。
蓮君のように、「こだわり」や「対人関係の問題」が目立つのが、自閉スペクトラム症(ASD)だ。
ASDの子どもは、自分なりのルールに強くこだわり、予定の変更に大きなストレスを感じる。彼の場合は「宿題を自力で解く」というルールにこだわり、それが崩れることが許せず、結果パニックになった。
「蓮君はポケモンが好きなんだね。何が一番好きなの?」
警戒心を解こうとポケモンの話題から入る。
「ゲッコウガ」
ポケモンなら昔プレイしたことがあるが、全然知らない名前が出てきた。
「おじさん、ミュウツーとかなら知ってるんだけどな」
「エスパータイプなんて弱くて使えない」
「……蓮君は学校生活とかで困っていることある?」
「ない」
「勉強はどう?」
「ふつう」
「イライラしたりしない?」
「別に」
母親はハンカチを握りしめ、時折何か言いたげにこちらを覗く表情には不安があふれている。
ただ、初対面の大人に対してASDの子はたいていこんな感じだ。やりとりにも問題ないし、過度な心配はいらなさそうでもある。
母親の話によると、塾を休むようにしてストレスが減ったのか、以前よりもイライラは少なくなっているという。
「どういう育て方をすればよかったんだろう」
話を聞いていて、私が心配したのは母親のほうだった。
彼女は診察中、終始緊張をしていて顔には疲労感が色濃い。きっと日々、息子のことで心をすり減らしていたのだろう。
蓮君の診察がひと通り終わったあと、母親単独の診察時間を設けることにした。
「お母さんのほうは体調を崩されていませんか?」
そう促すと、堰を切ったように言葉があふれた。
「あの子が騒ぐと頭が真っ白になってしまって……いつ大きな声をあげるのかビクビクしています。義母から『毎日同じ服着て、どういう育て方してるの』と責められるんです。
蓮が寝たあと、わけもなく涙が出て、何が悪かったんだろうって。どういう育て方をすればよかったんだろうって、ずっと悩んでいます」
溜め込んでいた感情とともに涙が頰を伝う。
子どもに発達障害の傾向が見られると、自分を責めてしまう親は少なくない。中には自責の念で気持ちが沈み、眠れなくなり、うつ状態になる人もいる。
「お母さんの育て方で蓮君に発達障害が出たということは絶対ありません」
私はなるべくゆっくりした口調で言葉を重ねる。
「遺伝的な要因の関与も考えられていますが、はっきりと原因はわかっていないんです。なのでお母さんが自分の育て方を責める必要はないですよ」
差し出したティッシュボックスを「すみません」と受け取った彼女が涙を拭う。
どうやって治すかより「どう生きやすくするか」
発達障害が広く知れ渡るようになったのは2000年代以降だ。
かつて統合失調症やパーソナリティ障害と診断されていた一部が、発達障害だったのではないかとされる。
高齢の精神科医には「発達障害はよくわからない」と話す人も多い。一般の人なら言わずもがなであろう。
「同じ服を着ていても誰かに迷惑をかけているわけではありませんからね。iPhone作った人も同じ組み合わせの服装ばかりだったみたいですよ。
じつは僕も、決められた生活パターンから外れるとイライラしてしまうタイプで、1年の360日くらい同じ服、着てるかもしれません」
精神科医は自分のプライベートを患者に明かすことはほとんどない。それでもあえて少し話してみたくなった。
「えっ、そうなんですか?」
母親の表情が少しゆるむ。
事実、私の世界はある一定のパターンに則っている。いくつかのルーティンから外れるとその日の解像度が落ちてしまう気がするのだ。
だから、クローゼットには同じ濃紺のシャツと、同じ細身のチノパンが数枚ずつ用意されている。360日同じ服はあながち大げさな話でもない。
「『どうやって治すか』よりも、『どうやったら蓮君が生きやすくなるか』を一緒に考えましょう」
「そうですよね。
この日初めて、母親が笑う。
「お母さんが一生懸命蓮君と関わっていたからこそ、こうやって早めに病院につながれたんだと思います。受診してくれて良かったと思いますよ」
発達障害の診断を受けると、それまで抱いていた子どもへの期待が閉ざされ、絶望してしまう親もいる。ネットやSNSの情報から過剰に不安を感じてしまう人も多い。
だからこそ、正しい知識を提供することが精神科医の大切な役割だ。
これ以降、蓮君と母親は月に1回、「こころのクリニック三王子」に通院するようになった。
現在、中学生になった蓮君は母親の支援を受けながら、大きな問題なく、日常生活を送っている。凸凹だった感情の起伏も、「さざ波程度に変わりました」と母親は言う。
発達障害を抱える子どもにとって、人生は「ポケモンバトル」に似ている。彼らの特性は欠陥ではなく、「一点突破型」のステータスだ。
精神科での療養は、医師という名のトレーナーから、自分のタイプと技の相性を教わる時間といえるかもしれない。
文/駒木 爽
『精神科医おどおど日記——閉鎖病棟24時、本日当直、あらゆる精神疾患寝ずに診ます (日記シリーズ)』(三五館シンシャ/フォレスト出版)
駒木 爽
かつて外科医だったころ、精神科は死からもっとも遠い診療科だと考えていた。
いくら心を病んだとしても、それが直接心肺機能を止めることはないからだ。
しかし、それは思い違いだった。
20~30代の死因の1位は自殺だ。その大半が、自殺直前に精神科を受診すれば何かしらの診断が下る精神状態だとされる。つまり、精神科は若者の死をもっとも身近で経験する診療科なのだ。
実際に十数年に及ぶ精神科勤務の中で何名もの患者の自死に接してきた。
私の勤める精神科病院は、重症患者の入院施設を併設する。わかりやすくいえば閉鎖病棟だ。
朝から晩まで奇声をあげ続ける統合失調症の人、数十年にわたって入院し意思疎通が困難になった認知症の人、アルコール依存症、双極性障害、うつ病……ここにいるのは、いずれも重症の患者ばかりだ。
本書では、彼ら彼女らとのやりとりを中心に、精神科のきれいごとでは済まないリアルを描く。
医療現場の問題は正論だけで片付けられないし、精神疾患に無力感を突き付けられることも多い。
そこには最近流行っている精神科マンガでは語られることのない、生々しい現実がある。

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