「雑学」のニュース (419件)
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聖徳太子の有名な肖像画は謎だらけ…描いたのは中国人!?ではそもそも描かれた理由は?
■聖徳太子と『おじゃる丸』現代人にもっともよく顔が知られている古代人といえば、やはりかつて一万円札や五千円札に肖像が使われていた聖徳太子でしょう。彼は推古天皇の摂政として、日本の政治制度の構築や仏教の...
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弥生時代の遺跡で出土する「銅鐸」は何に使われてたの?住居跡からは出土しない理由とは?
■朝鮮・中国との交易の痕跡今回は、弥生時代に製造されていた銅鐸(どうたく)について、その用途などを探っていきましょう。弥生時代には、青銅や鉄といった金属を用いる技術が現れました。世界的には、青銅の時代...
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猫ってなんで『ねこ』と呼ばれるように?よく言われる3つの説 いつからこの呼び名に?
ふだん何気なく使っている言葉も、名の由来についてふと考えると、「なぜ?」という疑問が浮かんできます。我らが猫の「ねこ」もそのひとつです。今回は、「ねこ」という名前に込められた意味を、3つの説に沿って解...
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三英傑が同地域出身なのは必然!?なぜ戦国時代の覇者はそろって「東海地方」から生まれたのか?
■信長・秀吉・家康の系譜まず、戦国時代を天下統一へと推し進めていった、おなじみの三人の武将についておさらいしてみましょう。三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)相対的には戦国大名の中では間違いなく実力...
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明治新政府に最後まで抵抗した幕末のサムライ・榎本武揚は「最良の官僚」か日和見主義者か?
■もうひとつの政権幕末期に明治新政府に対して最後まで抵抗した榎本武揚(えのもと・たけあき)。今回は、彼が戦乱で敗れた後、なぜ死罪を免れることができたのか、どのような経緯で新政府の政治家となったのか、そ...
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不穏な深夜番組『飯沼一家に謝罪します』が怖すぎると話題 SNSで考察が加速
テレビ東京のフェイクドキュメンタリー特別番組『TXQFICTION』シリーズ第2弾となる『飯沼一家に謝罪します』が12月23日(月)~12月26日(木)までの四夜連続で26時00分に放送されている。本...
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戦国時代の軍議の席順はどう決められた?実力本位で決めていた上杉謙信が基準とした「感状」とは?
■席順の基準は?どこの会社でも、会議のときの席順には気をつかうものです。大抵は、役職の順に上座から座ることが暗黙の了解になっており、社長は奥の真ん中が定位置ですね。戦国時代の軍議も似たようなもので、総...
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実はゴールドラッシュだった戦国時代!上杉謙信や武田信玄も魅力ある金・銀の採掘に力を注いでいた
■なぜ「金・銀」なのか戦国時代は、戦乱の時代だっただけでなく、経済革命、技術革命など、多くの分野で変革が起きた時代でもありました。それを象徴するのが、金・銀の飛躍的な増産です。人類は、はるか昔から金や...
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豊臣秀吉のようにはいかず!?戦国時代、雑兵といえど超重要な戦士だった「足軽」はどこまで出世できたのか?
■重要だった「足軽」武士の身分のひとつに「足軽」がありますが、もともと足軽は「よく走る者」という意味で、軽装歩兵の呼称です。戦国時代以降に組織化されました。※あわせてよみたい記事:略奪、強姦なんでもあ...
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実は日本刀より圧倒的に優秀だった「槍」!戦国時代、武士の戦闘スタイルを変貌させるきっかけにも
■地味だけど優秀武士の武器といえば刀か槍が思い浮かぶと思いますが、戦場でどちらが役に立ったかといえば、圧倒的に槍のほうです。本多忠勝小牧山軍功図水野年方画(高知市民図書館より)時代劇では、武士はよく刀...
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加賀国は「百姓の持ちたる国」!?戦国時代、百姓が自治を獲得した経緯と浄土真宗本願寺との微妙な関係
■「自治」の獲得戦国時代は日本各地が乱れに乱れましたが、なかでも特殊だったのは、富樫氏が治めていた加賀国でしょう。当地では、富樫氏は何の実権もない飾り物になり、事実上百姓が支配していました。佐久間盛政...
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戦国武将・織田信長が舞った「人間五十年…」はそもそも何の曲?その作品名と元ネタはこれだ!
■人間五十年…「人間五十年、下天のうちにくらぶれば夢まぼろしの如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」。これは、織田信長が桶狭間の戦いの直前に歌い舞ったことで知られる幸若舞(こうわかまい)の一部...
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弥生時代〜古墳時代の遺物が赤く塗られていたのは何故か?〜「赤色」をめぐる古代人の精神性
■死者と赤色弥生時代から古墳時代にかけての墳墓から発見された木棺や石棺には、内部が赤く塗られているものが少なくありません。たとえば、吉野ヶ里遺跡から出土した甕棺には赤い色が残っていますし、藤ノ木古墳の...
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現代の「食」「住」の起源は弥生時代にあり!当時の生活ぶりは意外なほど文化的だった
■弥生時代の生活は?弥生時代の人々はどのような生活をしていたのでしょうか。……こう書くと、小学生向けの歴史の本でも当たり前に取り上げられそうな、単純なテーマと思われるかも知れません。しかし、最新の考古...
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最近は「源平合戦」という名称は使われない?理由は源氏と平氏の複雑な内情にあった
■「源平合戦」とは源平合戦といえば、平安時代末期に起こった平氏政権に対する内乱です。「源氏vs平氏」の戦いとして知られています。『源平合戦図屏風』(Wikipediaより)しかし実は、最近はこの源平合...
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戦国武将の生首「首級」は取り扱い注意!ランク低ければ捨てられ、死に際の形相は化粧でごまかされていた
■なぜ「首を取った」のか戦国時代の武士は、倒した敵方の兵の首を切断して持ち帰るのが常でした。当時の合戦は、首の取り合いでもあったと言えるでしょう。※関連記事:戦国武将は縁起が大事!武士道バイブル『葉隠...
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戦国時代の武士たちはのんびり「湯治」に行くヒマなどない!合戦でのケガの応急処置はどうしてた?
■湯治に行ってるヒマはない戦国時代の武士たちは、言うまでもなく、戦闘において頻繁にケガをしていたと思われます。それにしても、彼らがそうして合戦で傷を受けたとき、どうやって治療していたのでしょうか。こう...
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蘇我馬子、小野妹子…なぜ男なのに「子」?なぜ動物の名前?古代日本の人名の不思議を解き明かす
■なぜ動物の名前?古代日本の人名は、現代から見ると「なんでこんな名前なの?」と理解に苦しむものがありますね。古代の戸籍をみると、刀良売(とらめ)、比都自(ひつじ)などのように、男女とも動物にちなんだ名...
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隅田川があるのになぜ”墨田”区?思わず自慢したくなる東京の区名・地名に関するトリビア【後編】
いつだって話題に事欠かない街、それが東京ですよね。東京にはさまざまな地名や区名がありますが、それらの由来には歴史がつまっています。そこで、今回の記事では、そんな東京の地名に関して、知っていると誰かに思...
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布教で来日したキリスト教系団体、実は「イエズス会」だけではなかった!知られざる四大派閥とその内情
■イエズス会以外にも修道会があった日本にキリスト教を広めた修道会といえば、フランシスコ・ザビエルが所属していたイエズス会が有名です。関連記事:フランシスコ・ザビエルとルイス・フロイス、日本でキリスト教...
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やっぱり日本が大好きっ!「シーボルト事件」で国外追放されたシーボルト、なんと30年後に再来日していた!
■シーボルト事件とはシーボルト事件という、江戸時代に起きた事件があります。これは江戸時代後期の1828年(文政11年)に、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが起こした事件です。シーボ...
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お祝い事の「紅白」のルーツ!?なぜ「源平合戦」で源氏は白、平家は赤の旗を掲げたのか?
■源氏は白、平家は赤1180年(治承4年)に、源氏と平家が一族の存亡をかけて戦った源平決戦。このとき、源氏は白旗を掲げ、平家は赤旗を掲げましたが、この色分けは旗以外にも及んでいました。『源平合戦屏風図...
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あなたの「前方後円墳」の描き方は間違い!?江戸時代にあった古墳の築造に関するトンデモ説
■前方後円墳とは古墳の一種である前方後円墳。一般的には、日本の古墳時代に築造された、特定の形態の墳丘墓を指す歴史用語です。別称を「高塚」「墳丘墓」ともいいます。前方後円墳はその古墳の形式のひとつで、円...
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織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築かなかった理由【後編】
■交通の便が良かった安土城【前編】では、織田信長が居城を次々と変えていった「引っ越し魔」の一面を持っていたことを説明しました。織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築...
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「壇ノ浦の戦い」で敗れた平家の女性たちはどこへ消えた?言葉の語源が示す彼女たちの哀しき運命
■「平家」の女性たち平安時代末期、栄華の頂点を極めた平家一門が壇ノ浦の決戦で敗れ、壊滅しました。ところで、その後、平家の一門はどうなったのでしょうか?『安徳天皇縁起絵図』の壇ノ浦の戦い(Wikiped...
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織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築かなかった理由【前編】
■信長の居城に関する三つの疑問織田信長の居城について調べていくと、いくつかの疑問が湧いてきます。①彼はなぜ城から城へと頻繁に引っ越して居城を変えたのか。②あまり栄えていない安土に城を構えたのはなぜか。...
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平賀源内の転落・破滅の原因は「炎上」だった!?当代きっての文化人を悲劇的な最期に導いた不運
■「エレキテル」をめぐる不運江戸時代を代表する才人を誰か一人挙げよと言われたら、多くの人が平賀源内の名を挙げるのではないでしょうか。しかし彼の悲劇的な最期については、詳しいことはあまり知られていません...
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武家のルール「御成敗式目」はなぜ50ではなく51箇条?中途半端な数字には理由があった!【陰陽思想】
■御成敗式目とは日本初の武家法である御成敗式目は、鎌倉時代の1232年に施行された法令です。御成敗式条とか貞永式目とも呼ばれ、その後も室町時代・戦国時代・江戸時代と長く武士の法律の手本とされました。御...
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戦国時代、借金のカタに国土を譲渡!?日本の国土が外国領土になったのは昭和だけではなかった
■沖縄でもなく、小笠原諸島でもなく…第二次世界大戦の敗戦国となって、日本は連合国軍の占領下に置かれました。そして、サンフランシスコ講和後も、沖縄と小笠原諸島が長らくアメリカの統治を受けることになってい...
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いまだ作者不詳の名作『平家物語』、実は吉田兼好が『徒然草』に正体を書いていた!?その人物とは?
■琵琶法師が語り継ぐ軍記ものの名作「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす」の名調子で始まる『平家物語』。鎌倉時代に成立したとされ、平家の栄華と没落、武士階級の台頭...