「近衛文麿」のニュース (7件)
-
歴代総理の胆力「東条英機」(1)天皇への忠誠心に富んでいた
近衛文麿退陣後、日米開戦を決断、「悪の権化」視された東条英機が総理大臣に就任するまで、次のような政権の動きがあった。近衛文麿の第一次内閣が、「日独伊防共協定」の強化問題などの難航で政権を放棄したあと、...
-
歴代総理の胆力「近衛文麿」(1)総理就任時の期待度は高かったが…
昭和7(1932)年の「五・一五事件」で暗殺された前回の犬養毅までが、原敬から数えて約14年間の戦前のわが国の政党内閣の時代であった。その後、キャリア外交官一人をはさんで三人の陸海軍出身の総理大臣が登...
-
歴代総理の胆力「近衛文麿」(2)「近衛は弱いね」と昭和天皇
遺体発見の前日にしたためられたと見られる昭和20(1945)年12月15日の2男宛に残された遺書には、自らは戦争回避に全力を尽くしたが、いま軍事法廷に引き出されることへの屈辱感が、次のように記されてい...
-
歴代総理の胆力「細川護熙」(1)「気まぐれな殿様」の異名
自民党を離脱、新生党の代表幹事として野党に転じていた小沢一郎の大仕掛けにより成立したのが、この細川護熙政権であった。政権発足直後の内閣支持率は、じつに83%(『読売新聞』)と異例の高さで、期待の大きさ...
-
歴代総理の胆力「近衛文麿」(4)椅子に腰掛け天皇奏上の“無礼”
近衛は、白皙の秀才だった。家柄は「五摂家」の中でも九条と並んで格が高く、ちなみに他の一条、二条は九条の、鷹司(たかつかさ)は近衛の分家となる。一高から東大哲学科に入ったが講義内容に飽き足らず、京大法科...
-
歴代総理の胆力「近衛文麿」(3)天皇いわくの近衛の「弱さ」
「近衛は弱いね」と、A級戦犯として東京裁判の軍事法廷に引き出される直前に服毒による自死を図った近衛文麿に対し、報告を受けた昭和天皇はポツリと言った。その遺書(昭和20年12月15日に記した2男宛)の一...
-
歴代総理の胆力「岸信介」(2)笹川良一が仰天したエピソード
その岸は、東京帝国大学法学部を首席で卒業したが、あえて官僚の「本流」である大蔵省や内務省に入らず、農商務省に入っている。すでに、学生時代にして、以後の日本の課題が産業の興隆いかんにかかることを読んでい...