「田中角栄」のニュース (180件)
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多極分散型の経済社会を構築すると石破総理
石破茂総理の施政方針演説に対する各党代表質問が27日から始まる。石破総理は施政方針演説で「楽しい日本を実現する政策の核心は『地方創生2.0』だ」とし「これを『令和の日本列島改造』として強力に進める」と...
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今こそ「石橋湛山」を学べ! 国民が愛想を尽かし、与党が過半数割れした今、見直すべき"保守本流"の思想とは――。
旧統一教会との関係や裏金問題で国民の強い批判を浴び、先の衆院選では15年ぶりに過半数割れに陥った自公政権。厳しい状況での船出を強いられた石破茂新総裁の下、果たして自民党の再生は可能なのか?そうした.....
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日中国交正常化50周年、両国友好は世界平和に
立憲民主党の泉健太代表は29日、日中国交正常化50周年を迎えたのにあたり「立憲民主党は両国が二度と戦禍を交えることなく、世々代々にわたる友好協力関係を発展させられるよう、政党間交流はもちろん、両国のあ...
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歴代総理の胆力「鈴木善幸」(2)コペルニクス的“転身”で…
鈴木の経歴は、おもしろい。岩手県立水産学校(現・県立宮古(みやこ)水産高校)では弁論部に属し、一方で漁業協同組合組織とその活動ぶりに疑念を持ち、ここで改革の必要性に目覚めた。卒業時は、優等生であった。...
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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(4)日本を発展させる資金作りに挑んで
いよいよ政治の世界に身を投じた田中角栄。だが、宰相への道はまだ遠い。学歴・人脈が幅を利かせる官僚の現場で、大きな苦戦を強いられる田中だったが、鋼の意志で1歩ずつ、その駒を進めていく。揺るぎない「リーダ...
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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(2)事業拡大の中で運命の出会いが
田中は、共栄建築事務所の社長として死にもの狂いで働いた。朝は5時か6時に必ず起き、寝床を這い出して出社した。掃除、雑巾がけは、自分でやった。昼間は、親しくしている理研の各会社をまわり、注文の打ちあわせ...
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歴代総理の胆力「芦田均」(2)死の2週間前まで「外交史」執筆
その芦田は京都府生まれ、父の鹿之助は豪農で知られ、代議士を務めたこともある。その意味では、芦田はわが政治史上初の「二世代議士の総理大臣」ということになる。若い頃からとんでもない秀才で、旧制第一高等学校...
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歴代総理の胆力「片山哲」(2)人道主義者と「グズ哲」
片山哲は生まれも育ちも、政治家とは無縁の人道主義者の環境の中にいた。父親はクリスチャンかつ高潔で鳴る弁護士で、母親もまたクリスチャンであった。母からは、幼くして「神様がお守りして下さるように」と、米国...
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歴代総理の胆力「東条英機」(1)天皇への忠誠心に富んでいた
近衛文麿退陣後、日米開戦を決断、「悪の権化」視された東条英機が総理大臣に就任するまで、次のような政権の動きがあった。近衛文麿の第一次内閣が、「日独伊防共協定」の強化問題などの難航で政権を放棄したあと、...
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歴代総理の胆力「吉田茂」(2)政治生命を賭けた「講和条約」
その吉田内閣が最も本領を発揮したのは、都合第5次内閣までの7年2カ月の中で、第2次から第4次内閣の半ばまでの約4年間と言えた。この間、吉田のなかには、国の命運がかかる講和条約を成立させる一方、対米関係...
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歴代総理の胆力「鳩山由紀夫」(1)「鳩山の顔が見えない」「司令塔はどこなのか」
戦後政治の大半を担ってきた自民党が政権交代を余儀なくされ、民主党代表だった「名門」鳩山家御曹司の鳩山由紀夫がトップリーダー、総理大臣のイスにすわった。平成21(2009)年9月、鳩山62歳であった。長...
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歴代総理の胆力「鳩山一郎」(1)吉田茂は「宿命のライバル」
鳩山一郎が政界トップの座に就くまでは、常に吉田茂との対峙、“確執史”に彩られていた。二人は、「宿命のライバル」と言ってよかったのだった。鳩山の父・和夫は東京帝国大学教授。日本初の法学博士として、弁護士...
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歴代総理の胆力「吉田茂」(1)総理大臣就任は、運の強さと偶然性によるもの
敗戦による荒廃と、占領という未曽有の時代に、とにもかくにも国民を飢餓から救うため経済の復興に尽力、独立と国際社会への復帰のレールを敷いた吉田茂は、一方で独断専行への批判はあったもののその「胆力」、リー...
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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(22)周りを取り込む温かな人柄
何より人を愛し、人に愛された男だった──あまたいる政治家の中でも、田中角栄が特別である理由はここにある。「ロッキード事件」をきっかけに、その運命は大きく変わることとなったが、田中が世に遺したエピソード...
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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(24)田中が遺した数々の人生訓
その夜11時過ぎ、渋谷区松濤にある田村の自宅の電話が鳴った。妻は、すでに就寝し、起きる気配はない。田村は、仕方なく電話に出た。「はい、田村ですが」受話器の向こうから、威勢のいい声が響いた。「おお、ゲン...
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歴代総理の胆力「鈴木貫太郎」(2)「老子」一冊を友に辞任決断
政権に就いたときすでに齢77、鈴木は総理としての大命が下る前に、「すでに耳は遠く、内閣首班としてその任にあらず」と拝辞したのだが、昭和天皇は「政治は知らなくてもいいからやれ」と大命を下したものだった。...
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歴代総理の胆力「近衛文麿」(1)総理就任時の期待度は高かったが…
昭和7(1932)年の「五・一五事件」で暗殺された前回の犬養毅までが、原敬から数えて約14年間の戦前のわが国の政党内閣の時代であった。その後、キャリア外交官一人をはさんで三人の陸海軍出身の総理大臣が登...
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歴代総理の胆力「大平正芳」(3)角栄は大平を「宗教家」と評した
「アイツは宗教家だから、ワシらが動くしかない」「盟友」大平正芳が初めて名乗りを挙げた昭和53(1978)年11月の自民党総裁選で、田中角栄は田中派を総動員させ、「大平勝利」に全力投球した。首相退陣後、...
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歴代総理の胆力「山県有朋」(2)絶対権力者は「元祖・闇将軍」
なぜ、山県は総理退陣後もここまで影響力を保持できたのか。一つは、極めてリアリストだったこと。二つは、人材発掘、育成の名手であり、育てた人物たちの強力な支えがあったことが大きかった。山県のリアリストぶり...
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歴代総理の胆力「大平正芳」(1)エピソードが物語る実直な人間性
戦後の総理大臣で初めて在任中に死去した人物が、この大平正芳であった。その「胆力」、リーダーシップは、多くの総理大臣がそうであったようないわゆる大言壮語的なものはまったく窺えず、「歩留(ぶどま)り」を低...
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歴代総理の胆力「浜口雄幸」(2)惜しむらくの「根回し」術欠如
そうしたさなかの昭和5(1930)年11月14日、浜口は東京駅で右翼青年の狙撃を受け重傷を負った。犯人の供述は「現内閣が潰れれば、もっとよりよい内閣になる」というものだった。狙撃された直後、浜口は同行...
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ロシアに最後は食い逃げされるかも 野田元総理
野田佳彦元総理は9日の自身の「かわらばん」で今月5日の日ロ首脳会談を取り上げ「領土問題解決を含む平和条約交渉について何ら進展がなかった」としたうえで「経済協力を次々実現していけば最後はロシアも領土問題...
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歴代総理の胆力「浜口雄幸」(1)厳めしい風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた
高橋是清が内閣改造で行き詰まり政権を投げ出したあと、政権は加藤友三郎(かとうともさぶろう)、清浦奎吾(きようらけいご)、加藤高明(かとうたかあき)、若槻礼次郎(わかつきれいじろう)、田中義一(たなかぎ...
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歴代総理の胆力「高橋是清」(3)「蔵相としての手腕はAクラス、総理としてはゼロに近い」
生まれて数日後に里子に出され、少年期に語学と文明を知るために米国に渡ったものの「奴隷」として売り飛ばされる寸前で難を逃れた。帰国後は、東京・日本橋の芸者の「箱屋」として、遊蕩生活、さらに生来のヤマッ気...
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歴代総理の胆力「小渕恵三」(1)オレは“真空総理”
「師匠」が「受け」と「待ち」、あるいは「我慢」「辛抱」まずありきの合意形成型リーダーシップで与野党ににらみを利かせていた竹下登元総理だっただけに、小渕恵三もその政治姿勢を踏襲していた。会話のやりとり一...
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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(15)金庫番として田中を支える
69年(昭和44年)12月、田中が幹事長として采配を振る第32回衆議院総選挙が公示された。それから間もない夜、代議士の1人から、赤坂の佐藤昭の自宅に電話がかかってきた。その代議士はあわてていた。「資金...
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歴代総理の胆力「村山富市」(2)米紙「ミイラ政権」と酷評
一方、安定政権ではあったが、身の丈に合わなかったことも多々あった。その最たるものが、未曽有の阪神・淡路大震災、オウム事件に直面したが、危機管理という点ではほぼ無力であった。総理になるまで官邸にほとんど...
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歴代総理の胆力「村山富市」(1)「天の時、地の利、人の和」の3条件
人柄誠実で聞こえた村山富市は、総理大臣就任が決まった瞬間、周囲に「困った、困った」と口にしていたが、やがて次のようにハラをくくった。「東西冷戦が終焉し、55年体制が崩壊するなど内外情勢が激変する中で、...
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週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」政治・事件スクープの表裏!<政治とカネ>
政治と切っても切れないのが「カネ」の問題。いつの世もセンセイたちの金への執着はすさまじく、週刊アサヒ芸能創刊から常に世間を騒がせてきた。ここで一挙に総ざらいする!芦田均前総理まで逮捕された1948年の...
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歴代総理の胆力「福田赳夫」(2)「天の声にもヘンな声がある」
しかし、一方で「安定成長」を旨とする志と異なり、政権を取った直後の次年度予算案は景気回復が要求されており、景気刺激策として苦渋の赤字国債の大量発行を余儀なくされた。また、折から日本赤軍による日航機ハイ...