アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(以下長いので「あの花」)が先日最終回を迎えました。
北海道では先週くらいから第一話が始まりました。

わぁい遅い。もうBD一巻出てるのに1クール(三ヶ月)遅れ!
でも今から見たらちょうど終わりが秋になるから、エンディングの「secret base」的にはいいかもしれませんね。

さて、「あの花」の脚本家岡田麿里による小説版の上巻が発売されました。
ダ・ヴィンチで連載されており、8月号では岡田麿里と監督の長井龍雪のインタビューの掲載されています。
自分は「あの花」の熱狂的ファンで、各シーンの話をされるだけでボロボロ泣くくらい大好きなんですが、今回は小説としてこの作品がどうかをきちんとレビューしてみようと思います。
と言ってもやはり「アニメを見ている人」「全く知らない人」で視点は明らかに変わる作品なので、2つ通りにわけてご紹介します。


1・「あの花」に初めて触れる人向け紹介。
ある日、幼い頃に亡くなった友達の少女が、高校生になった少年のそばに現れた……。ここだけ切りだすとよくありそうな話しに見える本作。しかしいい意味で意地悪なジュブナイル小説になっています。
表紙だと雰囲気わからないですし、タイトルでもあらすじがいまいち分からないのですが、その場合は事前情報無しで読んでみるのをオススメします。
というのも、次の展開一つ一つが毒っけをもって意表をついた方向に進むのが醍醐味になっているからです。
「えっ」という驚きを是非楽しんでいただきたいのです。
逆に言えば着地点は読んで数ページで、どこに向かうかはわかっている作品なのです。ところがそこにまっすぐ進まない。
主人公のじんたんこと宿海仁太は引きこもりの不登校高校生。小学生の頃はリーダー格でしたが、今はスクールカーストの底辺みたいな位置にいて、悶々としながら部屋でルサンチマンの塊と化しています。
さらっとご都合的に「引きこもり」を描かない。
対人恐怖症に苦しむ心理まで小説の中で丁寧に描かれているんです。
じんたんと死んだ少女めんまの他にも4人の高校生の少年少女が登場しますが、いずれも屈折しまくり。ほぼ全員が膿がたまった腫れ物状態という非常に面倒な状態なのに、じんたんにしか見えないめんまを巡って触れ合い、お互いに膿を出し合わなきゃいけないという痛々しさがもうこれでもかと言わんばかりにばんばん投入されるのです。
小説としては、視点がころころと変わるので読んでいて非常にトリッキー。最初のうちは戸惑うかもしれませんが、個々のキャラのアクが強いのですぐに慣れるはず。映画のカットで視点が変わるような感覚で気楽に読めます。

遠くから外観すると物語的には地味ですが、各人の苦しみや痛みががつがつに詰め込まれ、強烈な窮屈さを感じさせる文体になっているため飽きません。
加えて、身体感覚に関わる表現が多めなのもポイント。フェティッシュさが感じられる描写はこの作家の強い持ち味になっています。

アニメと連動はしていますが、単体で十分に楽しめる作品になっています。しかし「これ映像になったらどうなるんだろう?」となると思うシーンが多め。興味が湧いたら今後出るBD・DVDと比べてみると良いと思います。

人間同士の距離感に苦しむディスコミュニケーション小説。ここから膿が次々潰れていくのは容易に想像できるような伏線だらけになっているので、覚悟して読んでください。

2・「あの花」アニメを見た人向け紹介。
内容としては4話から5話冒頭までが収録されています。例のあのシーンですね。
で、最初に言います。
アニメ本編と全然違います。
要所要所の重要なイベント自体はそのまま引き継がれていますが、そこに至るまでの過程がまるで別物。最初読んだ時「えっ、そっちいくの!?」と驚きながら読みました。
設定も一部変わっていたりします。アニメでは何年前というのは明言されていませんが、小説版ではめんまが死んだのは小学校五年生の時と明言しています。また、決定的に、とある重要すぎるシーンがアニメと違います。ここは読んで確かめてみてください。
主要な出来事も、場面によっては展開がガラっと変わっているので驚かされます。より一層鋭く、5人+めんまの心理に斬り込んで、各々の視点から描くため、話の流れそのものが大分変わっています。
岡田麿里という脚本家を知っている人ならわかると思いますが、身体の描写が多めです。お人形さんにならない、よい意味でキャラクターの高校生達に血が通って、生きている感覚が塗りこまれています。アニメではさらっと描かれていたシーンも、小説だと文章でくっきり浮かび上がることで表現そのものが印象に残るもの多めになっています。
じんたん・あなる・つるこあたりの視線から見た「世界」がかなり屈折しているのも特徴的。
たとえばじんたんがポケモン(アニメでは「ノケモン」)をやっていて、モンスターに感情を反映させるシーン。突然思い切りボコられたと思ったら友達になろうと言われて、小さいボールに閉じ込められ、その上呼び出されたら血縁者と戦わされる。友達ってなんなんだよと。……ポケモンを屈折した視点で見るとこんなふうに見えるのか!
独特な一人称の独白が多く、これを読んでからもう一度アニメを見たらキャラの見え方が一気に深まります。ぽんぽん視点は変わりますが、アニメをすでに見ていたらカットの入れ替わりと同じなので、そこまで気にならないでしょう。
アニメでは秩父の山と5人+めんまの人間関係が極めて窮屈に描かれていましたが、さらにインナーにもぐり、脱出できない呪縛された様子が各々の言葉ひとつひとつから浮かび上がります。
いい具合にアニメと補完しあっており、非常に新鮮な気分で読めるこの作品。一番危険なのは「アニメは途中まで見ている」という人。できればその人達はアニメを見終わってからにするか、小説である程度のネタバレを覚悟するかしたほうがいいです。
なんといっても本編でほとんどセリフがなかったつるこが、小説版では心理描写されることによって彼女が何を考えあんな行動を取ったか、というアニメの裏の部分がむき出しになっているのです。アニメではつるこの心理描写は演出の関係上最終回寸前まで行われませんので、ここはネタバレ要素多いので気をつけてください。見終わった人が読んだら「そうか!」と納得できるシーンがかなり多いはずです。

ジュブナイルとして一気に読ませる読みやすさと、頭に残る変化球で屈折した表現が魅力的な小説に仕上がっています。
夏の切なさと苦しみあふれる一作。夏の終わりを、夏のはじめに楽しんでみるのはいかがでしょうか。

……。
泣いてないよ!
小説読みながらアニメ思い出して泣いてないんだからね!
これは汗だよ!
(たまごまご)