今夏の民放の連続ドラマ最大の話題作である「半沢直樹」がいよいよこの日曜(9月22日)に最終回を迎える。原作となる池井戸潤のシリーズ小説、通称「半沢直樹シリーズ」は累計210万部を突破したという。

ドラマ版では、東京中央銀行の大阪西支店を舞台にした前編がシリーズ第1作『オレたちバブル入行組』を、主人公の半沢が東京中央銀行の営業本部に移った後編が同2作目の『オレたち花のバブル組』を下敷きにしている。後者の文庫版(奥付には「2013年9月5日 第26刷」とあった)を先日買ったところ、巻末の解説がドラマに言及したものに差し替えられていて、半沢ブームの大きさをうかがわせた。

ドラマの演出を手がける福澤克雄(TBSテレビ・ドラマ制作部)は、「東洋経済オンライン」や文藝春秋の「本の話WEB」でのインタビューで、池井戸に原作使用の許諾を得るにあたり、彼のすべての著作を持参し、「半沢が頭取になる分まで(原作を)全部ください」と頼みこんだことを明かしている。もちろん、原作でもまだ半沢は頭取にはなっていない。

最近のテレビ業界では、まず視聴率を取れそうな俳優を決めたうえ、それに見合った原作を探すことも少なくないと聞く。そのなかにあって、原作に惚れこんでドラマ化が企画されたというのは希有な話かもしれない。しかも、半沢役に堺雅人というキャスティングは、池井戸もTBSとの打ち合わせ前にふと考えていたというから、ちと話ができすぎである。

原作つきのドラマにはおおまかに分けて2種類ある。「原作の面白さを殺してしまったドラマ」と、「原作の面白さを生かしているドラマ」だ(まあ当たり前の話ですけど)。「半沢直樹」が後者であることは、衆目の一致するところであろう。

とはいえ、「半沢直樹」の面白さと、原作小説の面白さは微妙に異なるように思う。その異なる点にこそ、ドラマがヒットした秘密が隠されているのではないだろうか。以下、検証してみたい。

■ドラマよりあっさりとした原作?
ドラマの前半部分を見たあとで、その原作の『オレたちバブル入行組』を読んだ私は、「あれ、この場面はドラマとくらべるとちょっとあっさりしてないか?」と思うことがたびたびあった。

一例として、半沢が銀行本部からの裁量臨店(くわしい解説はこちらを参照)の標的にされたエピソードがあげられる。このとき半沢は、臨店チーム首班の小木曽(本部の人事部次長。演じるのは緋田康人)から執拗ないやがらせを受ける。小木曽は、半沢らが提出した書類の一部をこっそり抜き取ったうえで、検討会の席上、書類に不備があると言いがかりをつけてきた。原作では、この悪事は、小木曽を監視していた庶務行員の証言であっさりバレ、抜き取られた書類も彼の鞄のなかから発見される。

これがドラマでは、もっとひねった展開になっていた。相手の策略に気づいた半沢は、提出前にすべての書類を、日付がわかるよう当日の朝刊とともに写真に収め、それを切り札に反撃を開始する。写真を見せられてもまだしらを切る小木曽に対し、半沢は臨店チーム全員に鞄のなかを見せろと迫る。ここでチーム内に半沢の同期の親友・渡真利(及川光博)が入っていたのがミソで、彼が率先して鞄のなかを見せることで、ほかのメンバーもそうせざるをえない状況がつくられた。それでも小木曽の手前で、彼の腰巾着の灰田(加藤虎ノ介)が渋る。むりやり鞄を開けると、フーゾク情報誌が転がり出てきたのには苦笑してしまった。

こうした見せ方はきわめてテレビ的といえる。追い詰めれば追い詰めるほど、最後に相手が突き落とされるさまがきわだち、視聴者はカタルシスが得られるというわけだ。

「半沢直樹」では毎回こうした見せ場がつくられていた。一方、原作は後半に行くにしたがいどんどんテンションが上がっていく。このあたり、連続ドラマと長編小説の根本的な違いともとれて興味深い。

逆にいえば、終盤の展開はドラマよりも原作のほうがねちっこいところがある。とりわけ、『オレたちバブル入行組』における半沢の最大の敵・支店長の浅野(ドラマでは石丸幹二が演じていた)が、追いこまれてゆく過程での心理描写は小説ならではといえる。小道具に匿名メール(むろん発信者は半沢)が使われているのはドラマも同じだが、小説ででは何日にもわたってメール攻勢が続き、浅野がダメージを受けていくさまが、読んでいるこちらも胃が痛くなるほど細かく描き出されている。

■「半沢直樹」の女たち
《「半沢直樹」は、これまでのドラマ界の常識で考えると、登場人物に女性が少なく、わかりやすく視聴率を取れるキャラクターもおらず、恋愛もない》とは、前出の「東洋経済」のインタビューでの福澤克雄の発言だ。たしかに登場する女性は少ない。それは原作と同じなのだが、ドラマでは女性たち一人ひとりが強い存在感を示している。

たとえば、西大阪スチール社長・東田(ドラマで演じるのは宇梶剛士)の愛人の未樹(壇蜜)は、原作ではほとんど主体性が感じられない。東田を追い詰めるべく半沢は、未樹が東田とグルだった板橋(岡田浩暉)と陰でつきあっていることを材料に取り引きをしようとする。その相手は原作では板橋なのだが、ドラマでは未樹に変えられている。

男女関係をネタに未樹に取り引きを持ちかけるのは、正直えげつない感じがした。が、そこもあとでちゃんとフォローされている。後日、半沢は銀行員として、未樹が東田と手を切り一人で事業を始めるためのプランを持ちかけたのだ。ここから彼女の信用を得たことで、窮地に立たされていた半沢は大逆転を収めることになる。

半沢が未樹との取り引きのやり方を一転させたのには、妻・花(上戸彩)の存在があった。花の描き方もまた、原作とドラマの大きな違いといえる。金融庁による家宅捜査に対し啖呵を切るといった、気の強い性格は原作どおりなのだが、原作中の彼女が広告代理店勤務しているのに対し、ドラマでは専業主婦という設定になっている。

夫を支えるため、花が自分の夢を断念したというのもドラマ独自の設定だ。もともとフラワーアレジメントの仕事をしていた彼女(名前の“花”からの発想だろうか)だが、仕事に没頭してしまう性格ゆえ、家庭のことを考えてすっぱりやめている。このことは、先述した半沢が未樹への態度を変える場面の伏線にもなっている。花はかつての職場の先輩から誘われ、アルバイトながら久々に仕事をするのだが、それは半沢に鞄をプレゼントするためだった。妻が自ら働いた金で買ってくれたのだと知ったとき、半沢は未樹を自立させる術を思いついたのである。

半沢の妻に関するこうした設定変更は、視聴者には異論を抱く向きもあるだろう。だが、ドラマの展開上、原作のままではおそらく花の存在は埋没してしまったように思う。夫の復讐に、妻が関わりを持つためにも、比較的自由に動ける専業主婦にする必要があったのではないか。

劇中、花は東京中央銀行の行員の妻たちの集まり「奥様会」に出席し、そこで浅野支店長の妻・利恵(中島ひろ子)とも出会う。そこで花が聞いた話は、思いがけず半沢の策略のヒントになったりするし、花と利恵が親しくなることで、視聴者が浅野に思わず同情を寄せてしまう効果もあった。それは半沢の“優しさ”を強調するための仕掛けでもある。

女性に関する設定変更といえば、ドラマ後編で倍賞美津子が演じる伊勢島ホテルの羽根専務も原作では男だった。性別を変えることで、一族経営のホテル内における羽根の立場にまたべつの意味が生じたように思う。

先週放送の回のラストでは、最終回を前に、半沢の同期である近藤が意表を突く形でクローズアップされた。演じる滝藤賢一は、私と同じ愛知出身で同い年、しかも役名が近藤とあって勝手に親近感を抱いていたのだが、前回見せた演技には鬼気迫るものがあった。とくに目だけで感情を表した演技は、滝藤の「無名塾」時代の師・仲代達矢もかくやと思わせた。

演出の福澤克雄は、今回のドラマを黒澤明の映画「用心棒」のような作品にしたいとも語っている。思えば同作で主演の三船敏郎の敵役を務めたのは仲代達矢だった。はたして最終回、滝藤=近藤は「用心棒」の仲代のように、半沢の前に立ちふさがるのだろうか。(近藤正高)

9/22(日)放送予定の最終回を前に、
第1〜第9話の名場面を集めてつくられた公式スペシャルスライドショー