『竹取物語』の面白さは前編で指摘したように「謎解きの楽しさ」にあります。
そして『竹取物語』がこんなにも多くの謎を秘めているのは、一つには、物語の成立過程が複雑ということも関係するのかもしれません。


他の多くの古典同様、『竹取物語』の原本は残っていません。しかも現存する最古の完本の写本は1592年に書かれたという新しさ。『竹取物語』は800年代の後半から900年代の半ばまでのあいだに成立したと言われますから、今現在「原話」とか「原文」と呼ばれる『竹取物語』は物語ができてから六、七百年も経って書き写されたものなのです。
しかも諸本によってその内容がかなり違い、できた当初の物語に相当の手が加わっていると言われています。

それで、「原『竹取物語』」といったものがあるとしたら、それはどういうものだったのか、どんな物語が『竹取物語』に影響を与えたのか、さまざまな研究があるわけで、非常に関係深いとされるのが「羽衣説話」です。
天降った天人が水浴びしているあいだに、男に「天の羽衣」を奪われて、しばらくのあいだ、人間界で過ごし、やがて天に帰って行くといった、昔話でもお馴染みの物語です。


この羽衣伝説が、『風土記』(七一三以後)の二つの逸文に残っています。逸文とは散逸した文のことですが、他の文献に採録されて伝わったものが、日本古典文学大系や新編日本古典文学全集の『風土記』に所収されています。
以下、12/4発売の拙著『ひかりナビで読む竹取物語』(文春文庫)でも紹介したのですが、一つは丹後国の「奈具社(なぐのやしろ)」、そして近江国の「伊香小江(いかごのをうみ)」の話で、せっかくなので概要を訳しますと……。

まずは「奈具社」、これがなかなか衝撃的な話なのです。

丹後国の、今は沼になっている泉に、“天女(あまつをとめ)”が八人降りてきて水浴びしていた。そこへ “老夫婦(おきなとおみな)”がやって来て、こっそり一人の天女の衣を隠してしまう。

衣のある天女は天に飛び立ったものの、衣のない天女は一人残されて、身を水に隠して恥じらっていた。
そんな天女に“老夫(おきな)”が「私には子がない。私の子になってくれ」と言うと、天女は、
「私一人残されたので従わないわけにはいかない。だから衣を返してほしい」と言い、
「返せば天に帰ってしまうのでは」
「天人は“信(まこと)”を大切にしている。どうして疑って衣裳を返さないのか」
「疑いの多いのはこの世の常。だからその精神で返さなかったのだ」
という問答のあと、老夫は衣を返したが、約束通り天女は去らず、老夫婦の家で同居すること十年以上となった。


天女はよく酒を醸(か)み、その酒をのむと“万(よろづ)の病”が癒えたため、それを売って老夫婦の家は豊かになった。
すると、老夫婦は天女に、
「お前は我が子ではない。しばらく間借りして住んでいただけだ。早く出て行け」
と言い出した。天女は天を仰ぎ、地に突っ伏して、
「私は自分の意志でここに来たのではない。老夫らが願ったからなのに、なぜ嫌われて急に家を出されて捨てられなければならないのか」
と泣いたが、老夫はますます怒って天女に去るよう言った。


天女は涙を流しながら門の外へ行き、里の人に、
「長く人間世界に“沈”んでいたので天に帰ることもできない」
と訴え、“荒塩(あらしほ)の村”に行った。その土地の名は、
「老夫老婦(おきなおみな)の心を思うと、我が心は荒塩同然だ」
と、天女が村人に語ったところから、ついた。
また“哭木(なきき)の村”に行った。その村の名は、天女が“槻(つき)”(ケヤキ)の木に寄りかかって泣いたことから、ついた。
さらに“竹野(たかの)”の郡の船木の里、“奈具(なぐ)”の村に行き、村人らに、
「ここで私の心は“なぐしく”(穏やかに)なった」
と言ってそこに留まった。

……と、実に悲しい話で、これによれば、天女を引きとめたのは老夫婦なのに、天女のおかげで金持ちになると、天女を追い出してしまうのです。

この物語は『竹取物語』と深い関係があるとされ、なるほど随所に似通った箇所があります。天女の悲しみは、『竹取物語』に描かれる、かぐや姫と別れる際の翁の悲嘆ぶりにも似ているし、天女の作る酒が“万の病”を癒すというのも、『竹取物語』で月に昇るかぐや姫が残した“不死の薬”に似ています。
『竹取物語』の翁の卑俗さや、かぐや姫の孤高ぶり、物語に通底する深い悲しみや、駄洒落的な語源譚も似ています(駄洒落的な語源譚は『竹取物語』の特徴で、『古事記』や『風土記』といった古代文学にもつきものです)。

もう一つの「伊香小江(いかごのをうみ)」の話は、日本古典文学大系の『風土記』によれば「風土記と決し難い」ものの、羽衣伝説のよくまとまった説話としては「最も古い記録」といいます。

“天(あめ)の八女(やをとめ)”が白鳥となって天から降り、水浴びしていたところ、それを見た男が一目惚れし、白犬に“天羽衣(あまのはごろも)”を盗ませたため、天女の中で一番年の若い一人は天に飛び去れなかった。天女と男は夫婦になり、四人の子が生まれたものの、のちに天女は天羽衣を見つけ、天に帰ったため、男は物思いに沈み続けた。


……二例の天女は、どちらも人間に羽衣を隠されるものの、前者は隠した老夫婦の「子」になって捨てられ、後者は隠した男の「妻」になって男を捨てるという違いがあります。
三谷栄一は「娘となるのと妻になるのと、その境目は説話においてははっきりしていなかった」(『竹取物語評解』)と言いますが、後者のように、翁とかぐや姫が夫婦だったと考えると、翁と姫の結びつきの強さや、原話での嫗の異常な存在感の薄さなど、腑に落ちるところも多いのです。

かぐや姫が結婚を拒んだのも、原形では翁と夫婦であったとすれば、無理もありません。
いずれにしてもこれら二例の羽衣伝説は、『竹取物語』の底に流れる寂しさ、翁をはじめとする男たちとの心のすれ違いや、心を閉じているかのような姫の頑なさや冷たさ、月に帰る時の悲嘆ぶりを、裏づけてくれるような悲しい物語でしょう。
 
この、何とも言えない悲しさもまた、映画に流れる感情です。
映画では、竹取の翁がはじめてかぐや姫を見つけた時の驚きと喜び、かぐや姫の成長が自分の生きる楽しさそのものといった様が丁寧に描かれますが、これは原話の、

「翁は気分が悪くつらい時も、この子を見れば、苦しいことがおさまりました。腹立たしいことも慰められるのでした」(“翁、心地悪しく苦しき時も、この子を見れば苦しきこともやみぬ。腹立たしきこともなぐさみけり”)

という翁の気持ちに重なります。
それだけに、姫を得て以来、竹から黄金を発見することが重なって豊かになるにつれ、翁が変わって行く様が、悲しいのです。
以前の翁からすれば、雲の上の人であった皇子や大臣、納言といった男たちと姫を結婚させたくて、
「私の大事な宝物よ、あなたは神仏の化身とはいえ、ここまで養った私の気持ち、おろそかなものではありません。この翁の申すこと聞いてくださらないか」(“我が子の仏、変化の人と申しながら、ここら大きさまでやしなひたてまつる心ざしおろかならず。翁の申さむこと、聞きたまひてむや”)
と、恩着せがましく、しかし父親としては卑屈にすら思える物言いが、情けないのです。

物語の最初のころの翁が嬉しそうであればあるほど、のちの物語は悲しみであふれたものになります。
なんでこんなことになってしまったのか……。
翁や姫はどうすれば良かったのか……。
それを考えさせることが、『竹取物語』と映画に、共通する狙いの一つかもしれません。

(大塚ひかり)

古典エッセイスト。12/4に「竹取物語」を現代語全訳した『ひかりナビで読む竹取物語』(文春文庫)発売予定