私、アスペでよかった。【勝部元気のウェブ時評】

2017年5月21日に放送された「NHKスペシャル 発達障害 解明される未知の世界」が、発達障害に関する問題を深く掘り下げた内容だったとのことで、大きな反響を呼んでいるようです。

とりわけ、インターネット上の書き込みを見ていると、「発達障害の当事者がどのような感覚を持っていて、日常生活を送る際にどのように感じているのか?」という当事者視点をクローズアップさせていたところが、当事者からも一定の評価を得ているように感じました。



「発達障害ヘイト」のNOを言ってください


ただ、その一方で、現状の社会では残念ながら課題の解決は大きく遅れています。

とりわけ最近個人的に問題視しているのが、自分たちとコミュニケーションのスタイルが合わない人や、他人と着眼点が大きく変わっている人に対して、「あいつはアスペだろw」のように、発達障害が見下しのレッテルとして使われているケースが多くなっていることです。近年、インターネット上でヘイトをする人が増えているように、「誰かを見下したいという欲求」を募らせる人々が増加傾向にあり、発達障害もその対象になってしまっています。

そしてこのような差別・ヘイト・イジメに対して断固としてNOを明言し、味方になってくれる人が、この社会の中にはあまりに少な過ぎます。逆に、発達障害も感動ポルノ(身体障害者等が社会の中で大変な思いをしたという話を障害当事者が感動するための材料にしてしまうこと)として消費されることも少なくありません。

今回の番組内では、あからさまな差別・ヘイト・イジメとまでは行かなくとも、これまで理解せずに間違った偏見を抱いてしまったマジョリティーに対して、「反省しなければならないな」と思うような内容にはなっていました。ですが、その個人対個人の視点からもう一歩進めて、社会の問題として「差別や偏見に対してはしっかりとNOを言っていかなくてはいけない」というメッセージも欲しかったところです。



発達障害を己の未熟さの言い訳にしないで


ちなみに、上記ほど社会的に重要な問題というわけではないですが、(正式に診断されているか否かを問わず)自分の未熟さを発達障害が原因であるかのように発言する人も見かけるようになりました。つまり、発達障害がある種「免罪符」に使われてしまっているのです。

たとえば、空気を読まない唐突な言動自体がいけないのではなくて、その中に悪意や偏見が混じっていたり、相手の拒否メッセージを意図的に無視したり、マンスプレイニング(求めてもいないアドバイス)を繰り返すということがいけないわけですが、そのような人としての未熟さを「発達障害だから仕方ないでしょ」として直そうとしない人に何度か会ったことがあります。

もちろんそれは言い訳に過ぎません。発達障害由来の問題と本人の未熟さ由来の問題をしっかりと切り分けて考えるべきです。周りの人が「あの人は発達障害っぽいから…」と、全て発達障害のせいにしてしまっているケースもありますが、混同は避けることが必要でしょう。むしろその二つを混同してしまっていることで、「発達障害はろくでもない人たちだ」という誤解と偏見が生まれている側面も一部にはあると思います。



「ジョブスだって発達障害」は間違ったフォロー


次に、個人的に疑問を感じている2つ目が、発達障害の当事者に対する“フォロー”のメッセージです。

たとえば、「スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツだって発達障害だと言われています」ということを言って、「あなたたちは決して劣った存在ではないのだ」ということを伝えようとする文章を時々見かけますが、果たしてそれを聞いた多くの当事者がポジティブな気持ちになれるでしょうか?

発達障害の当事者ではない人がコンプレックスを感じていることを「大丈夫、あの著名人だってそうだから」と言われてもほとんど気休めにならないのと同じで、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツは事例としてあまりに自分たちの身近な生活からかけ離れていて、イメージできない人が大半でしょう。

確かに人によってはそれが将来への希望に繋がるケースも一部にはあるのかもしれませんが、逆に自分の現状との乖離を明示されることで、「いやぁ…私はスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツとは違って出来損ないだから…」と自分を責めることにもつながりかねません。


“健常者”の無意識の上から目線


また、「発達障害の当事者は人よりも優れている一面もあるので、得意分野を活かせば社会で十分活躍できる」という“フォロー”もよく言われることですが、これに関しても違和感を覚えます。

というのも、発達障害の当事者たちが抱えている最大のニーズは、「仕事で活躍したい!」ということよりも、まずは「マイノリティーである自分を人として認めて、受け入れてくれる人がいる環境が欲しい!」というインクルーシブな社会(障害者等のマイノリティーを排除や分離せずに社会の一構成員として内包する社会)だと思うからです。

つまり、変わるべくは多数派側です。ところが「自分が活躍できるところを探せばちゃんと見つかるから大丈夫」というのは当事者に対する行動変容を求めていることであり、現状の社会が発達障害というマイノリティーに冷たく接することは肯定してしまっています。

加えて、この“フォロー”には「仕事での活躍をすれば社会から認められる」というニュアンスが含まれており、発達障害が社会から認められることに対して条件を設けてしまっています。
このような「上から目線の態度」では当事者が不信を抱くのは当然ですし、プレッシャーを感じて、メンタルヘルスを悪化させても不思議ではありません。

なお、インクルーシブな環境が構築できていれば、自ずと仕事でも活躍できる機会は増えることでしょう。番組内で発達障害当事者の上司と思われる人が指摘していた「得意なことに集中させて苦手なことはやらせない」という適材適所は、本来発達障害に関係無く、利益を最大化させるマネージメントとして当然のことです。


後輩のためにフツウの押し付けにNOを叫びたい


今回は発達障害に関して2つの点にのみ絞って書きましたが、発達障害を巡っては本当に様々な課題があり、今後もより一層の対策必要でしょう。

なお、かく言う私も発達障害の一種である「アスペルガー症候群(AS)」であり、2015年に上梓した書籍『恋愛氷河期』にも一応その旨は記載しました(※近年ASは「ASD(自閉スペクトラム症)」の一つとして見なされてあまり使われていなくなっていますが、現在の分類になって以降に診断を受けたわけではないのでこの名称を依然として使用しています)。

ですが、これまで私は発達障害の当事者として発言するつもりは全くありませんでした。というのも、私はリスクを恐れず「フツウの押し付けとかクソくらえでしょ」「常識のほうが間違っていることを論理的に証明しますよ」とハッキリNOを言うことができるタイプの人間であり、それに賛同する仲間を集めるという別の特性もたまたま併せ持っていたという特殊なパターンで、あまり参考にはならないだろうと思っていたからです。


ところが、誰かの参考になるか否かとは別の問題として、前述のように「フツウの押し付けとかクソくらえでしょ」と言っているオピニオンリーダーがメディアの中に少ないことはとても問題なのではと思うようになりました。ですので、今後発言の機会があれば、当事者という立場をあえて利用して積極的に発信して行こうと思っています。


ハッピーな発達障害者、イメージできますか?


また、発達障害という言葉が世間的にも浸透する中で、どうも世間一般の人々の間でも「発達障害=アンハッピーな人たち」という固定観念を持たれていることが非常に多く、それゆえ発達障害であることの悩みをより大きくしているという悪循環が生まれているように感じるようになりました。

今回の番組のゲストだったモデルの栗原類さんのように、「仕事において自身の能力を活かして活躍するロールモデル」は少しずつ可視化されるようになりましたが、「人としてハッピーな気分で毎日を過ごしているロールモデル」が圧倒的に不足していると感じるのです。それゆえ、発達障害に悩んでいる様子が一切無い、あまりにあっけらかんとした私の態度を不思議に思い、「え、発達障害とは違うんじゃないの?」と指摘する人も少なくありません。

そのような発達障害に対する世間のマイナスイメージを少しでも払しょくするべく、これからは自分がハッピーに過ごせているということを前面に出したいとも考えています。
もちろん、私個人の問題とされないためにも、「歪んだ環境が発達障害当事者を不幸にしているのであって、発達障害であることは何ら不幸ではない」ということも合わせて強く訴えて行きたいです。
(勝部元気)