横浜(神奈川)の元監督で、歴代5位タイの甲子園通算51勝を挙げた渡辺元智さんが、17日に死去したことが分かった。81歳だった。

スポーツ報知の取材に関係者が明らかにした。

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 りりしく、そして優しい笑顔が思い出される。入社2年目の1998年。松坂大輔を擁し、甲子園春夏連覇と圧倒的な強さを誇った横浜の名監督。駆け出しの担当記者からすれば雲の上のような存在だったが、渡辺さんはいつも気さくに接してくれた。

 「高柳さん、よくご存じですね。ウチにもそんな時代もあったんですよ!」。ふと口にしてしまった横浜高校を揶揄(やゆ)するような呼び名。にらまれ怒られても弁明できない発言にも、ニヤリとした笑顔で反応してくれた。

 若き頃はスパルタだったという。当時も長浜グラウンドで選手を叱る時もあったが、記者の目の前で隠すことはなかった。

 一方で携帯(ガラケー)でのショートメッセージを駆使して選手と意思疎通する。

春夏連覇の前年に、ボールを一切使わず、会話を重視する群馬・月夜野合宿を行うなど、変化する選手の気質への対応が、1970年代から80年代、90年代、2000年代まで各年代で優勝した名将の一因かもしれない。グレーのユニホームの袖に輝く、横浜を象徴する帆船とトリコロール柄のエンブレム。「これは私がデザインしたんですよ」とちょっぴり自慢げな笑顔も忘れられない。

 高校の同級生の小倉清一郎部長と二人三脚でチームを作ってきた。表立って親しげに会話することはあまりなかった。長浜グラウンドのブルペン。投手の指導をしていた時に、2人が身ぶり手ぶりを交えながら、意見を戦わせていた。その時の野球少年のような笑顔が忘れられない。高校野球を愛し、愛された人生。ご冥福をお祈りします。(アマ野球担当・高柳 義人)

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