石毛宏典が語る黄金時代の西武(14)

森繁和 前編

 1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズ。同時期に在籍し、11度のリーグ優勝と8度の日本一を達成したチームリーダーの石毛宏典氏が、当時のチームメイトたちを振り返る。


 その14人目は、石毛と同じ駒澤大学野球部出身で、黄金時代の初期にクローザーなどで活躍した森繁和氏。現役引退後には、落合博満監督率いる黄金期の中日ドラゴンズをコーチとして支えるなど、指導者としても長く活躍した同氏について語ってもらった。

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【駒澤大学からの先輩・後輩】

――石毛さんと森さんは、同じ千葉県出身で、駒澤大学野球部からドラフト1位で入団など共通点が多いですね。森さんが2歳上の先輩ですが、最初の出会いは大学時代ですか?

石毛宏典(以下:石毛) そうですね。自分が大学1年生で森さんが3年生。昔は3年生が1、2年生を食堂に集めて説教をしたり、いろいろありましたが、エース格だった森さんは「そんなことはやらんでもええやろ」みたいなタイプの人でしたね。

 野球部内には「千葉県人会」というコミュニティがあって、森さんとはそこでも一緒だったんです。県人会のメンバーで年に2回くらい集まって食事をする機会がありましたが、いろいろ面倒を見ていただいた記憶があります。

――当時は、上級生の厳しい"指導"もあったわけですね。

石毛 本人にその気がなくても、上級生にはその役割が課せられるというか......そういう時代でしたからね。森さんと同学年で、日本ハムや中日、西武でもプレーされた大宮龍男さんもそういうのは好きじゃなかったような気がします。でも立場上、仕方なかったんです。

――森さんは兄貴分のような感じでしたか?

石毛 確かに、兄貴分のような感じで接していました。

あと、森さんは料理がうまかったんです。野球部の寮には、1年生から4年生まで110~120人くらいが入っていましたが、下級生は「部屋子(へやご)」と呼ばれ、洗濯や掃除、食品の買い出しなど、上級生の身の回りの世話をしていたんです。料理を作って先輩に食べさせていたりもしていたので、料理が上達したんでしょうね。

――森さんは千葉県の一宮町の出身。2021年に開催された東京五輪のサーフィン競技の会場になった場所ですよね。

石毛 森さんも子どもの頃からサーフィンをやっていて、大学に入る前には「サーファーになろう」なんて言っていたこともあったみたいですよ。

――プロでもチームメイトになったわけですが、大学時代から知っている先輩ということで接しやすかったですか?

石毛 それはありますね。自分が入団した時には、田淵幸一さん、東尾修さんなどそうそうたる先輩方がいて、若手の僕らが食事にお付き合いして貴重なお話を聞かせていただいたりしましたが、森さんがいてくれたことは心強かったです。

【先発からリリーフへの転向でタイトル獲得】

――石毛さんから見て、森さんはどんなピッチャーでしたか?

石毛 大学時代から速球派のピッチャーでした。科学技術工業高校(千葉)時代も球が速く、中日の鈴木孝政さん(成東高校)、大洋や西武でプレーした根本隆さん(銚子商業高校)とともに"千葉三羽ガラス"と言われていました。ただ、森さんが3年生の時に高校がなくなってしまったんです。それで、駒澤大学高校に転校したんですよね。

 球種は多くはないのですが、速い真っすぐとフォークで抑えていた印象があります。自分は見たことがなくてチームメイトに聞いた話ですが、ブルペンで投球練習をする時に、ソフトボールを投げていたこともあるようです。投球フォームを固めるためなのか、何か意図があったんでしょうね。

――森さんは大学4年時にロッテからドラフト1位指名を受けていますが、入団を拒否し、住友金属に入社しました。

石毛 大学時代は、日本大学の佐藤義則さん、大阪商業大学の齊藤明雄さんとともに"大学投手三羽ガラス"と呼ばれていて、3人ともドラフトにかかるんじゃないかと高く評価されていました。でも、森さんはロッテに断りを入れて、社会人野球の住友金属へ。社会人時代にインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれていましたが、やはり球威がありましたね。ちなみに、その代表で(のちに監督とコーチという関係になる)落合博満さんと出会っていたはずです。当時から相通じるものがあったのかもしれません。

――プロ入り4年目(1982年)、森さんは広岡達朗監督によって先発からリリーフに配置転換されました。

石毛 森さんは肘を手術したので、復帰後は肘の状態とチーム事情によってリリーフに回りました。翌年の1983年は34セーブを挙げてセーブ王になっていますし、結果的には抑えがハマりましたよね。

 ただ、私はプロに入って間もない頃だったので自分のことで精一杯でした。今だからこのように話せますが、森さんのピッチングをどうこう言える余裕はまったくありませんでしたね(笑)。

――実働は9年と選手としてのキャリアは短かったですね。

石毛 30代中盤(34歳)での引退ですから若いですよね。引退した翌年から二軍の投手コーチを務めましたが、先発、中継ぎ、抑えと経験豊富でしたし、教えられることは多かったと思います。

 あと、私と同じでさっぱりしている性格で、選手にとっては歳も近いということで、接しやすいコーチだったんじゃないかと思います。選手に気を遣う感じではなく、自分の思いをストレートに伝えていたと思いますし、一方で重たくならないように笑いを交えつつ声をかけていたんじゃないかと。そういったコミュニケーションというか、"出し入れ"がうまい人です。それが、指導者として長くユニフォームを着た理由のひとつだと思います。

(後編:森繁和の偉大なる功績を称賛「現役時代の数字だけでは森さんという人間は語れない」>>)

【プロフィール】

石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。

1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

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