連続テレビ小説「わろてんか」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第25週「さらば北村笑店」第141回 3月20日(火)放送より。 
脚本:吉田智子 演出:鈴木 航
「わろてんか」141話。未亡人の主人公を見守る独身男性にカタルシスがなさ過ぎないか
イラスト/まつもとりえこ

連続朝ドラレビュー 「わろてんか」141話はこんな話


伊能(高橋一生)はアメリカに旅立ち、そののち、太平洋戦争がはじまった。
芸名統制令の発令、芸人たちの招集、万丈目(藤井隆)が倒れるなど、北村笑店にも暗い影がさしてくる。


踊る、てんと伊能


てん(葵わかな)は北村笑店として、伊能をアメリカに送り出すことにした。
そのまま事務所で、伊能の旅立ちを祝して酒を酌み交わすてんたち。
トキ(徳永エリ)がムーディーな曲をかけ、風太(濱田岳)がトキを誘って踊りだす。
「嫌いやわ『どうだろう』」とかぼやきながら踊る風太。
「おてんさん、僕らも」と伊能がてんに手を差し伸べる。風太が、この回に限らず、伊能の口癖(?)「どうだろう」いじりをしているからか、伊能は「どうだろう」とは言わなかった。

風太とトキは、てんと伊能をいい感じにしようと頑張ったのだと思うが、最後に踊るだけで、そのまま伊能はアメリカに旅立ってしまう。

このダンスが、「お笑い忠臣蔵」における“赤いしごき”(言葉にできない気持ちの現れ)なのであろうか。
とはいえ、伊能はともかく、てんには恋愛感情があるようには描かれていない。
ふたりの関係に、いまひとつカタルシスがない、そのわけを考えてみると・・・。
視聴者による検閲ではないだろうか。
検閲とは本来、国など公の機関がやることだが、テレビドラマを見て、視聴者が、この表現はいかがなものかとなにかと意見を言うものだから、作り手が忖度してしまうのではないかと。
なにしろ、国民的ドラマだけに、多様なニーズを鑑みなくてはならない。
たとえば、朝ドラでは、あの名作と謳われた「カーネーション」(13年)で、主人公が妻のいる男性と恋愛関係になったことを批判する声があったそうで、以後、その手の描写に気遣いが見える。「激しい戦争描写は辛くて見ていられない」という声があれば、その描写もやんわりとなる。
意見を言うことは自由だ。だからと思って、言いたいことを言っていると、どんどんドラマが面白くなくなることもある。もちろん、「笑の大学」(三谷幸喜)のように、どんなに検閲されても、それをくぐり抜け、確たる面白い作品を考え出す作家もいるわけだが、我々がなにげなく発するその否定の一言がドラマをつまらなくしているのかもしれないとも考えてみることも必要ではないだろうか。

「わろてんか」は過去の成功例や失敗例に囚われ過ぎて、行き場に迷ってしまった結果の作品のように感じるのだ。
この回、万丈目(藤井隆)が、台本を書くとその芸人が招集されてしまう「なんでですやろ」と、「デスノート」かと言いたくなるようなことや、「もうちょっとやさかい辛抱してや」とうわ言のようなことをつぶやくと、そのあと倒れてしまった(藤井隆が鬼気迫る表情を見せる)。
招集されてしまうと、また書き直し。その繰り返し。理不尽な書き直しに追い詰められた作家の苦しみを感じるエピソードだった。
(木俣冬)