大河ドラマ「西郷どん」(原作:林真理子 脚本:中園ミホ/毎週日曜 NHK 総合テレビ午後8時 BSプレミアム 午後6時) 
第42回「両雄激突」11月11日(日)放送 演出:野田雄介
「西郷どん」42話「国家の大事にそん是非を決められんちょなら 今すぐこげな政府はやめたほうがよか」

西郷どん 完結編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版

留守を守る


西郷(鈴木亮平)に髪を切ってもらって菊次郎(城桧吏)がヨーロッパへ学びに旅立っていく。
いつものダイナミックなタイトルバックが流れている間に1年経過。
西欧に使節に行った大久保(瑛太)が西郷に手紙を出してきた。

ヒゲははやしているが頭部の毛は悩みで抜けてしまった大久保。10ヶ月の予定が1年過ぎてしまい、それでもまだまだ学ぶことが多くてなかなか帰れない。

西郷のほうも問題はいろいろ。
一緒に大蔵省のしごとをしている井上馨(忍成修吾)が不正を働き私腹を肥やしていたことが判明。
余談だが、忍成修吾はこの数年、小物の悪人ぽい役かメロドラマの相手役みたいなものばかりやってる気がする。ナイーブな少年役をやっていた時が懐かしい。


西郷の思いはただひとつ、民が食に困らないで生きていけることだ。
成果の上がらない使節団を当てにせず、新しいメンツで“留守政府”を動かし始めたが、“血税”と言われる徴兵制度を行うことにして、サムライも町人もみんな平等に国を守ることにした。

血税と聞いて、血を取られるのかと戦々恐々する長屋の住人たちはそうでないことを知って安堵するも、徴兵制度とは血を取られるのと同じようなものではないだろうか。
教育制度や交通に関することなど国民の生活を良くする一方で、戦いをなくすことはできないところに政治の限界を感じてならない。

薩摩の屋敷も長らくボロボロの家のまま暮らしていたほど下層の民想いの西郷はドラマでは貧乏長屋に暮らしている設定で、庶民感覚を強調しているが、実際は広大な敷地の一角にある長屋に住んでいたのだと、本編後、「西郷どん紀行」で説明があった。
それで驚く視聴者もいたようだ。
私もそのひとり。
それとこれでは人間のメンタリティは全然違ってくると思うが、実際のことは視聴者の自主的な学びに任せるということなのだろうか。

町人暮らしがたたったのか、太り過ぎのせいか、心配事が多いからか、なんだかんだで西郷は体調を崩してしまう。
体を壊してでも民衆のために活動したという形に収めたいのであろう。

「西郷どん」は「遠山の金さん」などの痛快時代劇のような、えらい人が町人に扮して町に暮らしているような描写を好んで描いているふしがあって、初期のヒー様(松田翔太)もそうだった。

西郷と大久保がグッド・バイ


予定より8ヶ月遅れたうえにさしたる成果もあげられないまま大久保が帰国した。

戻って来たら政府に自分の居場所がないときの、瑛太(大久保)の表情がいい。ただ、ヒゲがいかにも作り物のネット感があって、光が透けるとへんな感じだった。
休んでいる西郷の家に見舞いに行くと、西郷にもヒゲは不評だ。

西郷と会って話すも、ふたりの意見は噛み合わない。話し合いの必要を説く西郷に対して、大久保はドイツのビスマルクに影響を受け、力技で国をまとめ上げるしかないと主張する。

西郷が大久保の東京の家に会いに行くが大久保は会おうとしない。

これまでも仲違いすることはあったから西郷はその流れで考えていたが、大久保はそうではなかった。
帰っていく西郷に子供が「グッド・バイ」「グッド・バイ」とかける言葉が響き、ひとり部屋にこもっている
大久保の耳にも届く。
ここは、西郷と大久保の完全に分かたれた関係を暗示しているようで、屈指の場面と思う。

岩倉具視(笑福亭鶴瓶)も帰って来て、欧米で手柄を立てられなかった者〈井上、木戸孝允(玉山鉄二)、伊藤博文(浜野謙太)〉と政府を追われた井上と山県(村上信五)と追われそうな大久保が組んで、留守政府と対峙する。

西欧化する日本に批判的な朝鮮国の居留民を守るため慎重にコトを運ばないとけない。議論に議論を重ね、西郷は自分で行くことにしたが、
「私は断固、承服しかねます西郷さんに」と大久保が異議を唱える。

瑛太のこの台詞の言い方がぞくりとする。
タイトルバック開けの手紙で、頭髪が少なくなったとのぼやく調子とはかなりの飛距離だ。ここに至るまでプランニングしてきたのだろう。見応えあった。

一方、西郷には中盤、こんな台詞があった。
「堂々たる一国の政府が 国家の大事に そん是非を決められんちょなら 今すぐこげな政府はやめたほうがよか」
時々、ずばっと政府批判する西郷さん。
これは朝鮮問題をどうするかの話し合いで皆がのらくらしている時に言った台詞。

西洋に負けないように西洋を学び、学ぶばかりで動けない大久保と、とにかく実践あるのみの西郷。
頭(理論)の大久保と身体(行動)の西郷。
いよいよタイトルバックの白黒分かれた西郷と大久保の感じになって来たが、大久保の描き方が、ヒー様や
島津久光(青木崇高)と同じく、いいとこがほとんどなくて、西郷ばかり良く見えるように描かれている。主人公だから当然ではあるが、もう少しなんとかならないものか。
例えば、ゆう(内田有紀)が堂々と東京妻として存在し、薩摩の正妻・満寿(美村里江)が不憫過ぎる。西郷は糸(黒木華)と愛加那(二階堂ふみ)のことを一応丁寧に描いていることに対して大久保はしれっとしている(彼のせいではない、脚本がそうなっているから仕方ない)。成果がなかなか上がらないことも家族のこともすべてにおいて、仕方ないで済ませている感じがするのだこのドラマの大久保は。

気づけば、あと5回、盛り上がってくれ! 
(木俣冬)