
(上)富士山レーダー完成の記念切手。10円という額に時代を感じる。(下)富士山頂の夕暮。鳥居が真っ白。
日本一の山、富士山のてっぺんにある気象庁の富士山測候所が、10月1日、無人化された。これまで72年もの間、春夏秋冬、人間が観測してきたが、今後は自動観測になる。
測候所の職員はまちがいなく「日本最高所の住人」だった。標高3776m、日本には、ここより高い所はない。4人ずつ3週間交代の勤務で、時には風雪の中、命がけで山頂に向かったとか。冬の富士山頂は、晴れていても写真のような感じ。とても寒い。気温マイナス20℃、風速20mは珍しくない。こんな所で冬を過ごすのはとても大変。
どうして、そんなにまでして観測を? そんな疑問が沸いてくる。最大の役目は「富士山レーダー」だった。昭和34年に日本を襲った伊勢湾台風は、5000人近い死者を出した。当時のレーダーでは、台風の姿が上陸直前まで見えないこともあった。レーダーは高い所にあるほど遠くまで見える。
レーダー建設は大変な難工事だった。高山病に倒れる作業員、固い永久凍土。この様子は、新田次郎の小説「富士山頂」や、石原裕次郎主演の同名映画に詳しい。NHK「プロジェクトX」の第1回放送にも取り上げられた。
昭和52年、気象衛星「ひまわり」が誕生。衛星は、台風が日本から1000km以上離れていても、その姿を捕らえる。富士山レーダーの役割は徐々に小さくなって行った。老朽化が進み、平成11年に引退。現在は、ふもとの富士吉田市の「富士山レーダードーム館」に展示されている。
ところで、富士山頂が無人となった今、「日本最高所の住人」は誰だろう? 富士山や日本アルプスには、3000m以上の標高にも多くの山小屋がある。小屋の人達だろうか? でも、冬も営業している小屋はわずか。どうも、長野県と岐阜県の境にある「国立天文台 乗鞍コロナ観測所」の人達になるようだ。標高は2876mだから、富士山頂から、ちょうど900m下がったことになる。(R&S)
測候所の職員はまちがいなく「日本最高所の住人」だった。標高3776m、日本には、ここより高い所はない。4人ずつ3週間交代の勤務で、時には風雪の中、命がけで山頂に向かったとか。冬の富士山頂は、晴れていても写真のような感じ。とても寒い。気温マイナス20℃、風速20mは珍しくない。こんな所で冬を過ごすのはとても大変。
どうして、そんなにまでして観測を? そんな疑問が沸いてくる。最大の役目は「富士山レーダー」だった。昭和34年に日本を襲った伊勢湾台風は、5000人近い死者を出した。当時のレーダーでは、台風の姿が上陸直前まで見えないこともあった。レーダーは高い所にあるほど遠くまで見える。
人間の目と同じ。台風の姿をいち早くつかむために、少しでも高い所にレーダを置きたい。その答が、富士山頂だった。
レーダー建設は大変な難工事だった。高山病に倒れる作業員、固い永久凍土。この様子は、新田次郎の小説「富士山頂」や、石原裕次郎主演の同名映画に詳しい。NHK「プロジェクトX」の第1回放送にも取り上げられた。
昭和52年、気象衛星「ひまわり」が誕生。衛星は、台風が日本から1000km以上離れていても、その姿を捕らえる。富士山レーダーの役割は徐々に小さくなって行った。老朽化が進み、平成11年に引退。現在は、ふもとの富士吉田市の「富士山レーダードーム館」に展示されている。
ところで、富士山頂が無人となった今、「日本最高所の住人」は誰だろう? 富士山や日本アルプスには、3000m以上の標高にも多くの山小屋がある。小屋の人達だろうか? でも、冬も営業している小屋はわずか。どうも、長野県と岐阜県の境にある「国立天文台 乗鞍コロナ観測所」の人達になるようだ。標高は2876mだから、富士山頂から、ちょうど900m下がったことになる。(R&S)
編集部おすすめ