貨幣(マネー)は価値ある大事なもの。
これに異論のある人はいないでしょう。
なにせ貨幣がないことには、財やサービスの入手が非常に難しくなってしまいます。
とはいえ、貨幣にはなぜ価値があるのか。
くだんの価値は何に由来するのか。
二つの考え方があります。
第一の考え方は、貨幣、とくに硬貨の素材として、金や銀といった貴金属がしばしば使われることに注目、「素材となる貴金属に価値があるから、貨幣は価値を持っているのだ」と見なすもの。
貨幣自体を一種の貴金属商品と位置づけるためでしょう、「商品貨幣論」とか「金属主義」と呼ばれます。
第二の考え方は、貨幣は「何らかの財やサービスの提供を受ける権利」を証明するものだから価値があると見なすもの。
この権利のことを「信用(クレジット)」と申します。
前回記事「フランス革命政府はMMTを実践していた!」では、信用について「何らかの財やサービスを提供した見返りを受け取る権利」と定義しましたが、くだんの見返りも「財やサービスの提供」という形を取るので、要は同じこと。
信用の存在を証明できればいいのですから、貨幣の素材が何であるかは問題になりません。
いわば、何にでも使えて、使用期限も決められていない「万能の権利書」のようなもの。
もっとも財やサービスの提供を受けるというのは、相手に「借り」をつくることですから、対価として差し出される貨幣も「万能の借用書」と呼んだほうがいっそう適切でしょう。
こちらは「信用貨幣論」とか「表券主義」と呼ばれます。
経済学においては長らく商品貨幣論が支配的でしたが、近年になって、信用貨幣論のほうが正しいことがハッキリしてきました。
後者の発想に基づく貨幣観を体系化したのが、MMTこと「現代貨幣理論」。
しかるに商品貨幣論と信用貨幣論では、政府の発行できる貨幣の量をめぐる判断が大きく変わってくるのです。
◆あんた、信用貨幣論の何なのさ?
商品貨幣論において、政府が発行できる貨幣の量は、保有する貴金属の量に制約される。
紙幣といえども、貴金属を使った貨幣と交換可能でなければならないからです。
他方、信用貨幣論において、政府が発行できる貨幣の量の制約条件となるのは、当の政府の信用のみ。
ここで言う「信用」は、「〈財やサービスの提供を受ける権利〉をいっぱい与えても、権利の行使に支障が生じないようにする能力」と解釈して下さい。
具体的にどんな能力なのかって?
「財やサービスの提供を受ける権利の総量」と、「提供可能な財やサービスの総量」の間のバランスを保つ、という能力です。
前者が後者を大幅に上回ると、財やサービスの価格がどんどん吊り上がってしまう。
早い話、インフレが過熱するわけですが、言い換えれば信用貨幣論において、貨幣発行の制約となるのはインフレ率だけなのです。
ただし厳密には、他の貨幣との交換比率、つまり為替の問題も考慮しなければならないものの、これは脇に置くことにしましょう。
すでに述べたとおり、信用貨幣論の正しさが広まったのは最近のこと。
ところが1789年に誕生したフランス革命政府は、財務総監のジャック・ネッケルが、貨幣に鋳造(ちゅうぞう)するための金や銀を、価格が割高であったにもかかわらず買いつけるなど、商品貨幣論に基づいた振る舞いを見せるかたわら、信用貨幣論に基づいた貨幣を流通させるという離れ業をやってのけたのです!
あんた、信用貨幣論の何なのさ?
私の新刊『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP文庫)に基づき、経緯をお話ししましょう。
◆借用書が貨幣になった!
商品貨幣論において、政府が発行できる貨幣の量には明確な限界があります。
すなわち財政赤字のときには、増税によって貨幣を回収し、財源にあてることが重要となる。
そして革命勃発時、フランスは財政危機に陥っていました。
しかも革命によって、税収はさらに激減する。
税関への襲撃まで各地で生じる始末。
革命の正当性を強調しようとするあまり、「旧政府=悪」の図式をぶちあげたせいで、そんな旧政府の決めた税など納める義理があるかという顛末になってしまったのです。
打開策として考案されたのは、革命によって没収された土地(主として教会領のもの)を売却して財源に回すこと。
しかし実際に売却するまでには、土地をめぐる権利関係の整理など、いろいろ手間がかかる。
こうして革命政府は、「アッシニア」と呼ばれる土地購入用の債券を発行するにいたります。
債券ですから、アッシニアの所有者は、政府にたいして「貸し」があることになる。
裏を返せば、革命政府にとり、アッシニアはれっきとした借用書。
当初の時点では、年率5パーセントの利子がついていました(のちに3パーセントまで引き下げ)。
この段階のアッシニアは、まだ貨幣とは呼べません。
あくまで土地購入用の債券です。
ところが肝心の土地売却が進まない。
大量の土地を一気に売りに出したら、価格が暴落してしまうところにもってきて、教会領の土地を担保に聖職者が借金をしていた事例が少なからず発覚したのです。
他方、アッシニアは転売可。
つまり金貨や銀貨といった「正貨」と交換できる。
商品貨幣論において、正貨は「貴金属商品」ですから、アッシニアと正貨の交換レートは「正貨高/アッシニア安(やす)」になってゆきますが、ここまで来れば、アッシニアが土地購入以外のさまざまな用途に使われだすのは自然のなりゆき。
財源不足に苦しむ政府は、アッシニアを大量に発行するしかない。
金貨や銀貨がまるで足りない自治体は、さまざまな支出をアッシニアで行うしかない。
国民にしたところで、革命の混乱を生き抜くためにも、貴金属商品たる正貨はなるべく手元に置いておきたかったに違いない。
となれば、アッシニアで財やサービスを手に入れようとするでしょう。
こうして商品貨幣論のもとでありながら(革命下、議会はフランスに銀本位制を導入することを決議したと言われます)、本来は借用書にすぎなかったものが貨幣になってゆくという、信用貨幣論を地で行く光景が展開されたのでした。
◆貨幣化の決定的瞬間
やがて決定的瞬間が訪れる。
『新訳 フランス革命の省察』の終章「フランス革命が残した教訓」から、該当箇所をご紹介します。
【各地の徴税官が、金貨や銀貨で税を受け取ったくせ、国庫に納める段になるとアッシニアを使っている。そう報告を受けて、ネッケル財務総監は愕然となった。】
ネッケル総監、議会にたいして「正貨で受領した税金は、正貨で国庫に納めるように」という指示を出すよう要望します。けれども、そんなことをしたらアッシニアの価値はいよいよ暴落してしまう。
【議会は腹をくくった。アッシニアによる税納入を許可することで、自分たちが刷った紙切れの信用をわずかでも高めることにしたのだ。同時にハッタリだらけの宣言を口々にぶちあげる。金貨・銀貨とアッシニアは、価値の点で何の違いもない!】
これは、きわめて重要な意味を持っています。
文庫版『新訳 フランス革命の省察』の解説も書いて下さった中野剛志さんの著書『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室 基礎知識編』(KKベストセラーズ)から引用しましょう。
【現代の現金通貨は、貴金属との交換が保証されない「不換通貨」です。では、その現金通貨は、なぜ貨幣として流通しているのでしょうか。(中略)私が最も有力だと思うのは、「通貨は、納税の手段となることで、その価値を担保している」という説です。この説を採用する経済理論は「現代貨幣理論」と呼ばれています。】
つまり貨幣は、納税の義務という「借り」を清算するのに使える借用書だから、特別な価値を持っているのです。
政府の発行した借用書(=政府の借り)をもって、税負担(=政府への借り)を相殺するわけですね。
納税に用いることが許可された時点で、アッシニアの貨幣化は完成したと言えるでしょう。議会が「金貨・銀貨とアッシニアは、価値の点で何の違いもない!」と宣言したのも当たり前。
はたせるかな、1790年9月、アッシニアは正式に紙幣となりました。それまでつけられていた利子は、この時点で廃止されています。
残念ながら革命政府は、貨幣発行にあたって維持すべき信用、すなわち「財やサービスの提供を受ける権利の総量」と、「提供可能な財やサービスの総量」の間のバランスを保つことができませんでした。革命を抑え込もうとしたヨーロッパ諸国を相手に戦争を始めてしまったこともあり、アッシニアは数年のうちに紙切れとなってしまいます。
しかしそれは、フランス革命において生じた「貨幣観の革命」の意義を否定するものではありません。現代貨幣理論の正しさは、230年前、すでに証明されていたのです。
ひるがえってわが国は、21世紀になっても、商品貨幣論の発想を脱却できず、新型コロナのパンデミックという危機的事態においてすら、財政出動(=思い切った貨幣の発行)を渋るありさま。
フランス革命政府のレベルにさえ達していないと評さねばなりません。
中野さんは『フランス革命の省察』について、「『現代日本の省察』と言っても過言ではあるまい」と述べていますが、この革命から学ぶべきことは、今なお沢山あるのです。
(了)