統一教会に解散を命じた東京高裁はまさに〝異端審問〟だった。異...の画像はこちら >>



 



 統一教会に解散を命じた東京高裁(三木素子)の決定(三月四日)には、示談・和解を「悪質な不法行為」と見なすとか、被害の訴えは確かに減っているが、“被害者”がまた増えるかもしれないとエヴィデンスもなく推測するとか、いろいろあるが、特に驚きだったのは、裁判所が統一教会の教義について独自の解釈を行い、それによって解散命令を正当化していることだ。大げさに聞こえるかもしれないが、これは、異端審問の発想ではないかと思った。



 教義をどのように理解し、実践するかは本人たち以外に知り得ないのであるから、法はそこに踏み込まず、教義の評価については中立性を保つというのが近代法の大原則だ。宗教戦争やキリスト教の異端審問など、教義をめぐる争いで多くの命が失われた西欧諸国では、教義の内容を問題にしないことが、当初から「信教の自由」の一部と考えられてきた。一七世紀の英国生まれの神学者で、アメリカのロードアイランド植民地の共同創設者であるロジャー・ウィリアムズ(一六〇三―八二)が「司法官を擁する全ての市民国家(civil states)は、それぞれの憲法と行政機構において本質的に世俗的(civil)であり、したがって精神的、あるいはキリスト教的な国家や信仰の裁判官、統治者、あるいは擁護者ではない」と言っていたのが最初とされている。司法は教義に口出ししないという原則がなければ、政教分離は成り立たない。





統一教会に解散を命じた東京高裁はまさに〝異端審問〟だった。異議を唱えない「劣化した法律家たち」こそ亡国の徒【仲正昌樹】
ロジャー・ウィリアムズ(1603-82)



 日本の判例でもこのことは確認されている。創価学会の板まんだらが日蓮正宗の信仰の対象であるかが問題になった事件で最高裁は、「宗教上の本質である信仰対象の真否や宗教上解決すべき教義の問題は、内心の信仰に直接かかわるものというべきであり、裁判所が法令を適用して終局的に解決できる事柄ではない」との見解を示している。オウム真理教の解散命令に対する特別抗告審でも最高裁は、「法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、…」と、教義面に立ち入った判断はしていないことを確認している。



 しかし、今回の高裁の決定では、肝心なところで統一教会の教義を独自に、かなり悪意に解釈している箇所が多々見られる。決定はまず、統一教会の教義の特徴として、①サタンによって支配されているこの世界の万物を神に象徴的に返して、神の支配を回復しないといけないとする「万物復帰」 ②神の世界的摂理において日本は再臨のメシアと神側の中心国家である韓国を支える、エバ国家あるいは母の国という特別な立場にあるという考え方を紹介している。



 これらの教義ゆえに、日本の統一教会信者が献金に使命感を感じ、かなり無理をした結果、脱会者が教団に騙され、高額献金させられたと言い出す事態が多々あるのは事実だろう。しかし、上記の教義自体は極めて抽象的なもので、具体的にいくら献金しろ、と命じているものではないし、そもそもお金のことを言っているのかさえはっきりしない。そもそも、献金に関して問題があったということを指摘するのに、教義を持ち出す必要があるのか。

理由は明らかだ。こういう教義を持っている以上、こいつらはほとぼりが冷めたら、また高額献金の強制をやるだろう、と言いたいのだ。



 



 裁判官も、万物復帰とエバ国家だけだと、将来の高額献金(の強制)を予測するのはさすがに飛躍と思ったのか、「先祖解怨」という儀式に言及する。これは、私が脱会(一九九二)して以降にできたもので、私にはなじみがない。ただ、これに関しては、何代前の先祖まで解怨する必要があり、〇〇代ごとにいくら献金すべきかの具体的な数値とそれを信者に奨励する指示書のようなものが証拠として文科省から提出されたので、エヴィデンスっぽく見えたのだろう。決定では、この儀礼に関して以下のように述べられている。



 「先祖解怨感謝献金についてみると、上記のとおり、『先祖解怨』には、先祖解怨感謝献金を完納することが必要とされており、しかも求められる献金の額は、信者の経済状態にかかわらず一定であり、かつ高額である(…)。したがって、対象者に対し、上記内容を伝えてその不安をあおり、『先祖解怨』の完了を求めることは、不相当献金等勧誘行為等になりかねない危険を内包しているというべきである」(高裁判決、一二八頁)と、教義ゆえに高額献金の強制は不可避であるかのように述べている。それらが実際に信者にどのように受けとめられたのか、そもそも個々の信者に対して強制力を持っていたのか、それはどの程度のものなのか、教団側に問い合わせることさえしていない。



 細かい話になるが、先に述べたように、「先祖解怨」は最近導入された儀礼である。新しい儀礼だとしても何代前までの先祖についていくらと決まっているはずである。高裁は韓国教団の「天宙清平修練苑」という所が発行しているガイドブックを参照しているが、それによると、210代までの先祖について解怨しなければならず、1~7代までの先祖に対して70万円、8代より前については7代ごとに3万円となっている。

これを全額払って完納すると、157万円となる。その後、430代まで遡って解怨するよう改められたようであるが、それでも251万円ちょっとである。結構な金額だが、「統一教会の高額献金」として世間でイメージされている額の二十分の一以下だろう。



 しかも、何代ごとにいくらかについてはいろいろ異なったことが言われており、信者の見解はバラバラだ。何人かに聞いてみたが、7代前までしか解怨献金しておらず、後は何年もかけてやるつもりだとか、そもそも解怨についてはあまり信じていない、全くやっていない、といった人などかなりバラバラだった。「万物復帰」や「エバ国家」に比べて、優先順位は低そうに思える。



 宗教の教義や儀礼と一口に言っても、基本的な原理/日常的な細かい規則、絶対守るべき戒律/努力目標、恒久的なもの/期間限定のもの、全信者に関わるもの/特定の立場の信者にだけ関わるものなど、いろんな性質のものがある。「先祖解怨」がまさにそうだが、信者によって理解や熱心さがまちまちの教理もある。そういうものを、外部の人間がとりあえずの手元にある資料だけ見て、表面的に判断するととんでもないことになる。



 たとえば、マタイによる福音書の五章に「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたのためである」というとんでもないイエスの言葉が書かれているが、これを真に受ける人間はいないだろう。キリスト教については、非信者にもある程度、実情知られているからである。

高裁の裁判官は、こういうのを真に受けて大騒ぎするのと同じようなレベルのことを、統一教会に対してやっているかもしれない、と自問しなかったのだろうか。



 法律家は本来、こうした素人解釈の愚かさを最も心得ているべき人たちである。素人が法律の条文や判例の一部を読むと、誤解して短絡的な議論をすることが多い。法学部の学生はしょっちゅうやっている。いろんな法律を体系的に組み合わせて読むことを学び、短絡的に理解しないように素人を戒め、自分自身も慣れによるひどい誤読をしないよう自戒するのが法律家、特に判事の仕事のはずなのに、高裁の判事は一体何をやっているのか。



 



 高裁は、教祖の名前で何かが推奨されたり、目標として呈示されたりすると、それが信者にとって逆らえない絶対的な命令になると考えているようだが、元信者の私からすると、信仰の実体からかけ離れた決めつけだ。教義に関連した文書が、信者にとって具体的にどういう意味を持っているか検証することなく、これによって信者は〇〇するに違いないと推測するのは無茶だ。 



 裁判所は、教団が再び「不相当献金等勧誘行為」を行うと推測すべきもう一つの根拠として、亡くなった教祖の夫人韓鶴子氏が、信者に対して、「日本という国が恵みを受けて経済大国になれたのは、天が祝福したから。天からの祝福を受けた者は、必ず恵みを施さなければならない」と発言したことを挙げている。こうした教義の内容を含む抽象的な表現が個々の信者に対する献金の強制に直結すると考えること自体無理な飛躍だが、裁判所は韓鶴子氏の発言が絶対的な命令であることを示そうと、小見出しで「抗告人の幹部が韓鶴子の過度な活動資金の拠出の要求を拒絶する意思も能力も有していないことがうかがわれること」としている。裁判所の決定に、こんな週刊誌の見出しのような表現が使われていること自体が驚きだが、「意思も能力もない」ことをどうやって論証しているのかというと、何もない。こういう見出しを付けるからには、ある時の韓氏と日本の幹部の生々しいやりとりについて記述しそうなものだが、そういう記述は一切なく、この時、韓氏は幹部を前にして〇〇と言った、という報道記事を並べているだけだ。





統一教会に解散を命じた東京高裁はまさに〝異端審問〟だった。異議を唱えない「劣化した法律家たち」こそ亡国の徒【仲正昌樹】
韓鶴子



 AさんがBさんを前にしてXという性格の発言をしたという事実がいくら集まっても、BさんがAさん対して逆らう「意思も能力もない」という証明にはならない。せめて、Bさんのリアクションをちょっとくらい書かないと、ダメだが、それさえない。無論、精神医学、心理学や社会学による論証などない。週刊誌で、見出し詐欺と呼ばれるレベルよりひどい。このような大雑把な教義の“解釈”で、数万人の信者がいる宗教団体の運命を決するのはあまりにも乱暴だ。信者たちの内心への不当な干渉だろう。



 国家がある宗教団体の教義を、当事者たちの意見を聞くことなく、独自に解釈し、それに基づいて信者たちの将来に重大な帰結をもたらす決定を行うのは、前近代のヨーロッパにおける異端審問の発想と同じ発想だ。異端審問以下かもしれない。異端審問は、一応聴くふりはするのだから。日本における教義の専断的解釈ということで想起されるのは、戦前の大本教に対する弾圧だ。



 



 大本教は、霊界に関して独特な教義を持った教派神道の一派で、明治後期、一八九〇年代に布教を開始した。第一次大戦後の混乱期に日本の建替て建直しを主張して、急速に信者数を拡大し、多くの知識人や軍人が入信し、新聞社まで買収し、亀岡城跡に巨大な道場を開設した。

そうした動きに政府が危機感を覚え、刑事事件を起こしたわけでもないのに、二度にわたって教義を根拠に弾圧に踏み切った。





統一教会に解散を命じた東京高裁はまさに〝異端審問〟だった。異議を唱えない「劣化した法律家たち」こそ亡国の徒【仲正昌樹】
出口 なお(1837-1918)新宗教「大本」の二大教祖の一人。大本での呼称は開祖。



 第一次大本事件(一九二一)では、大本教の発行する雑誌に掲載された記事が天皇の行動を妄評しているとか、統治権を無視しているといった理由で、教祖等は不敬罪で起訴された。この時は、大正天皇の崩御に伴う大赦令で免訴となった。





 第二次大本事件(一九三七)では、教義で言われている「現世ノ立替立直」「みろく神政成就」などが「国体変革」の試みであり、治安維持法違反と見なし、教祖等は起訴、関係八団体は結社の禁止、解散を命じられた。しかし、大阪控訴院(一九四二)は、大本教の教義を検討したうえで、「立替」というのは「神界」のことを述べているのであって、「地上現界」における国体変革の試みだと解すべき証拠はないとして、治安維持法に関しては無罪の判決を出している。当時の法体系が、個々の宗教の教義が国体に反するものか否か判定する権能を国家権力に与えていたので、無罪判決を出すにしても、教義にある程度踏み込まざるを得なかったわけである。



 大審院での審理は戦争中も続き、終戦直後、教祖等に対する不敬罪での有罪はいったん確定したが、GHQの指令で治安維持法などが廃止され、刑法から不敬罪が削除されたのに伴って、大赦という形で終結することになった。





統一教会に解散を命じた東京高裁はまさに〝異端審問〟だった。異議を唱えない「劣化した法律家たち」こそ亡国の徒【仲正昌樹】
出口王仁三郎(1871-1948)新宗教「大本」の二大教祖の一人。肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。



 戦前の政府が大本教の教義に目をつけたのは、たまたまこの宗教が目立ったからではない。明治政府は当初から、宗教をどのように管理するかを課題としており、一九世紀末から宗教団体を包括的に管理する立法を試みてきた。信教の自由との兼ね合い、どの省庁の管轄とするか、監督権限を具体的にどう設定するのか、全ての宗教を同等に扱うのか、といった論点が出てきてなかなかまとまらなかったが、国民総動員体制の一環として、一九三九年三月に(宗教法人法の前身である)宗教団体法が成立した。当然、大本教の問題が影響を与えており、信教の自由という観点は後退し、淫祠邪教を取り締まり、国家の難局を乗り切るため、国民精神を統制するという主旨が前面に出る形になった(小川原正道『「信教の自由」の思想史』筑摩選書、五一―一七一頁参照)。



 その第十六条を見ると、「宗教団体又ハ教師ノ行フ宗教ノ教義ノ宣布若ハ儀式ノ執行又ハ宗教上ノ行事ガ安寧秩序ヲ妨ゲ又ハ臣民タルノ義務ニ背クトキハ主務大臣ハ之ヲ制限シ若ハ禁止シ、教師ノ業務ヲ停止シ又ハ宗教団体ノ設立ノ認可ヲ取消スコトヲ得」と、「安寧秩序」や「臣民ノ義務」の名の下に、国家が宗教団体の教義や行事に干渉することが前提になっている。



 日本国憲法の一九条、二十条、宗教法人法は、戦前における宗教等の教義に対する、国家権力の不当な干渉を防ぐ目的で制定されたはずだ。宗教法人法は一条二項で、「この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない」と謳い、教義を広める自由を前提にしている。



 統一教会の教義の独自解釈によって、将来の危険を推測し、解散を命じた東京高裁の決定、それを何とも思わない法律家たちの感覚は、治安維持法や宗教団体法の時代に逆行しかねない危険を孕んでいる。



 



文:仲正昌樹

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