「現存するアメリカ最高の短篇作家」(「ボストン・グローブ」紙)、「世界最高の短篇作家」(ロンドン・タイムズ」紙)といった絶賛は、本書の著者であるイーディス・パールマンのためのものである。とはいえ、何をもって「最高」とするかは難しいところ。

例えばここ1年の当コーナーで取り上げた海外の短編集だけに限っても、ジュンパ・ラヒリにジョージ・ソーンダース、故人も入れるならルシア・ベルリンやセアラ・オーン・ジュエットなどいずれも「最高」といって差し支えないように思われる作家の著書をご紹介してきた。20年ほど前アメリカに住んでいたとき、かかりつけの病院に"全米で最も注射が痛くない看護師"と評判の方がいらしたのだが(コンテストがあると聞いた気がする。どのような選考方法なのかまでは知らないけれど)、「最高の短篇作家」の地位というのもまた、決定が難しいものではないか。  

 そうはいっても、特に問題はない。別に誰が「最高」かということなど厳密に決める必要もないのだ("長嶋茂雄とイチローと大谷翔平の中では誰が野球選手No.1"かといった問いと同じくらい意味がない。王貞治とか松井秀喜とかダルビッシュ有とかとだって置き換え可能であろうから)。イーディス・パールマンは、他の何人かの作家たちと並び、「世界最高の短篇作家」たり得る存在であることは間違いない。訳者あとがきで古屋美登里さんが書かれているように、「なんとまあ大袈裟な、と思う方は、是非とも本書を読んで確認していただきたい」というところを、ぜひ私からも重ねてお願いしたい。

 人生とは無数の瞬間の積み重ねだ。決して忘れることはないと胸に刻んだ瞬間、何か重大なことが起こったわけでもないのに心に残り続ける瞬間、(そして圧倒的多数を占める)忘却の彼方へ行ってしまった瞬間...。記憶の濃淡はまちまちかもしれないが、さまざまな瞬間がパールマンによって切り取られ、いつかは流れ去っていくはずだった景色や感情は彼女の筆によって永遠のものとなる。

 彼女がもうひとつ描き出すものは、秘密。

決して他人に知られないよう墓場まで持っていく深刻なものもあれば、知られてしまったらそのときはそのときというライトなものまで、秘密を持たない人はいないだろう。そして思い出すだけで身を切られるようなつらい秘密もあれば、その記憶があるだけで生きていけると思えるような甘やかな秘密もあり、人の心を苦しめたり温めたりする。秘密なんてなければないに超したことはないように思えるのに、だからといって自分の心の内をすべて明らかにするのも不可能だ。そもそも、そんな状態を私たちはほんとうに望んでいるだろうか?

 パールマンの5冊目の短編集にあたる本書は、原書の20編の中から日本オリジナル版として10編が厳選されているとのこと。さまざまな登場人物たちのさまざまな人生が鮮やかに描き出されている。ジェンダーや人種に関するいくつかの記述を除けば、決して古びていない。特に衝撃を受けたのは、「帽子の手品」。こんなに影響力のある(?)母親っているんだと。幸せな作品だと思ったのは「お城四号」と「石」で、とりわけこわかったのは表題作か。

 短編集は売れないものらしいが、どちらかというと短編好きの私にはピンとこない。「あ、こういう感覚って共感できる」「こういうことってある」とピシッと自分の心情に添う作品は、短編に多いような気がする。ちなみに表紙の写真はパールマンご本人。

1936年生まれというプロフィールを思えば皺が刻まれているのも納得の横顔だが、なんというか神々しいような美しさだ。「石」のイングリッドにも通じそうな、"生涯現役"感が伝わってくる。恋愛方面の華やかさは必要ないので、私もパールマンのように感性をすり減らさずに生きていけたらと思った。

(松井ゆかり)

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