──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は...の画像はこちら >>
畠山重忠(中川大志)|ドラマ公式サイトより

 『鎌倉殿の13人』の第36回「武士の鑑」は一話まるごと、畠山重忠、そして彼を演じた中川大志さんという役者さんに光を当てた回だったと思います。

 二俣川で義時軍と重忠軍が対峙し、和田義盛(横田栄司さん)が停戦交渉をするべく、重忠のもとに使者として向かいました。

「(不利を承知で戦をするのは)ヤケではない。筋を通すだけです」と冷静に語っていた重忠が、「戦など誰がしたいと思うか!」と実に激しい表情で、揺れ動く内面を義盛相手に吐露したシーンは印象に残りましたね。これまでずっと、気が合わないとされてきた二人がほとんど初めて心を通わせ合った場面でもありましたが、彼らがたどり着いたのは、手加減は抜きで戦で決着をつけるしかないという結論で、それは停戦交渉の決裂を意味していたのは皮肉なことでした。

 重忠が義時(小栗旬さん)の嫡男・泰時(坂口健太郎さん)を狙い、わずかな手勢で奇襲をかけてきた場面からは、息子の重保(杉田雷麟さん)を三浦義村(山本耕史さん)たちに殺害されたことが、重忠の開戦の決断に大きく影響していたことがうかがえた気がします。それは、大軍を率いる大将として多くの兵から守られている義時をおびき寄せるための策でもあったわけですが……。

 最初は騎馬のまま戦った重忠と義時ですが、途中で示し合わせたように兜を脱ぎ去り、最後は拳と拳で激しく殴り合うという衝撃的な展開になりました。

合戦の描写は具体的にはしないのが近年の「大河」の定番といわれたこともありましたが、「畠山重忠の変」ではまるで舞台を見ているかのような凄まじいテンションでの闘いが続き、中川大志さんと小栗旬さんがギラギラとした存在感を放っていて非常に見応えがありました。

 『吾妻鏡』では、重忠は4時間ほど義時軍と交戦した後、矢で射られて亡くなったとしています。ドラマの重忠は、義時に殴り合いで勝ったもののあえてとどめは刺さず、満足気に笑いながら馬でその場を立ち去るところで出番を終え、時房(瀬戸康史さん)のセリフで『吾妻鏡』同様に愛甲季隆に射止められたと説明されました。

 その後の鎌倉では、重忠の首をめぐって、時政(坂東彌十郎さん)を義時が激しく責める場面がありました。「次郎(=重忠)は決して逃げようとしなかった。逃げるいわれがなかったからです。

所領に戻って兵を集めることもしなかった。戦ういわれがなかったからです。次郎がしたのは、ただ己の誇りを守ることのみ。あらためていただきたい。あなたの目で。執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ!」とまで義時に言われた時政ですが、見ることを拒み、その場を立ち去ってしまいます。

 第36回「武士の鑑」は、鎌倉幕府の「執権」として君臨するには、時政の資質に数々の問題があることが露呈した回でもあったわけです。そしてついに次回・第37回では、史実で「牧氏事件」と呼ばれる、時政と牧の方が義時・政子の手によって鎌倉から追放された事件が描かれていくと思われます。

 ドラマでは宮沢りえさん演じる「りく」が牧の方にあたりますが、京都でたった一人の愛息・政範(中川翼さん)を失ったりくは、悲しみのあまり、畠山重忠の息子・重保が政範を殺したとする平賀朝雅(山中崇さん)の言葉を信じ込み、重忠を討つよう時政を動かしました。『吾妻鏡』にも、平賀朝雅の讒言を信じた牧の方が時政を説き伏せ、重忠を討って息子の敵討ちを遂げるように仕向けたという記述は出てきます。

 また牧の方は、「畠山重忠の乱」の後も、鎌倉殿である源実朝を殺害するよう、渋る時政を説き伏せたともいいます。元久2年(1205年)閏7月、時政・牧の方夫妻による実朝殺害計画があることを知った義時と政子は結託し、三浦義村や(第36回でドラマに初登場した)長沼宗政などをすぐさま派遣して、時政邸にいた実朝を保護、義時の屋敷に移動させました。

このことから「牧氏事件」は、北条政子と、彼女にとっては継母にあたる牧の方が激突した事件でもあるとも言われます。

 同月20日、「掌中の玉」であった実朝を義時と政子に奪われてしまった時政と牧の方は出家させられ、早くもその翌日には伊豆国の北条領に送られています。それから約10年後、時政は当地にて建保3年(1215年)1月6日、腫瘍の悪化で亡くなりました。初代執権として権勢を振るった時政ですが、鎌倉を追放されてからは最後まで政界には復帰できぬままの死でした。

 牧の方は、自分の血縁でない実朝は排除し、娘婿として関係の深い平賀朝雅を将軍位に据えようとしたともいわれますが、実は『吾妻鏡』にこのことは明記されてはおらず、義時が時政・牧の方夫妻を追い落とす時に用意された、義時側を正当化するための作り話である可能性もあります。いずれにせよ、時政夫妻が追放されただけで事件は終わらず、京都にいた平賀朝雅は武士の手で殺されました。

(1/2 P2はこちら

『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
りく(宮沢りえ)と北条時政(坂東彌十郎)|ドラマ公式サイトより

 同月26日の早朝、鎌倉から派遣された武士たちが「院の御所」、つまり後鳥羽上皇の住まいに押しかけました。彼らは、平賀朝雅を謀反の罪で処刑する旨を上皇に承認してもらうため、鎌倉の実朝からの書類を預かっていたのでした。

 殺される直前の朝雅の行動については、天皇の御所にて絵を見ていた(『明月記』)、もしくは上皇のもとで囲碁会に参加していた(『吾妻鏡』)など情報が錯綜していますが、その場を暇乞いして離れ、そのまま二度と戻ることはなかったそうです。時政夫妻は出家と謹慎だけで済んだのに、朝雅は処刑されてしまうとは不幸な最期でした。平賀朝雅は、彼の先祖が源頼朝と同じ河内源氏の一族であるがゆえに、父親の代から鎌倉で優遇されてきました。しかし朝雅の場合、時政と牧の方夫妻と関係を深めてしまったことが、運の尽きだったといえるでしょう。

 それにしても、執権として御家人の頂点にまで立った時政は、なぜ妻である牧の方の言葉にそこまで耳を貸してしまったのでしょうか。中世の武士社会において、当主の正室などのしかるべき立場の女性の発言権はそこまで低いものではなかったのは確かですが、それにしても『吾妻鏡』はあまりに牧の方を「主犯」として描きすぎている感があります。

 鎌倉時代後期、当時の北条家の手で成立したとされる『吾妻鏡』は鎌倉幕府の公式史であると同時に、北条家の先祖たちを礼賛する書でもあります。それゆえ、北条家の当主だった時政の罪と責任を、その正室・牧の方と「共犯」にすることで減らそうとしたと考えることもできます。その一方、「悪妻にそそのかされ続けた、実に情けない男」として時政を描き、どうしようもない父親だったからこそ追放せざるをえなかったとして、義時の「(親)不孝の罪」を軽く見せようとした……と見ることもできるでしょう。

 ドラマでは、野心をのぞかせる場面はあっても、これまでは冷静沈着だったりく(牧の方)ですが、愛息・政範を失ってからは、いかにも怪しい立ち居振る舞いの平賀朝雅の讒言を簡単に信じてしまったり、自分たちの権力の座がいつ他人に奪われてしまってもおかしくはないとヒステリックな態度を見せたりする“変化”を見せ、驚かされるものがありました。頼朝とも対等に話していた普段の彼女であれば、もっと全体を俯瞰できていたはずなのに……という違和感もありました。この極端な変化の理由もドラマで描かれることになるのでしょうか。

 『鎌倉殿』は、弱気な夫を叱咤し、何度も罪を犯させたマクベス夫人(シェイクスピア『マクベス』)のようにりくを描いていることは当初から明らかでしたが、宮沢さんが熱演してきたりくが、どのようにドラマから退場していくのかは、マクベス夫人のたどる道を考えると少々恐ろしくもあります。

 史実では、平賀朝雅の妻だった娘(ドラマでは八木莉可子さん演じる「きく」)が京都の公家・藤原国通と再婚し、牧の方は時政が亡くなると、この娘夫婦を頼って当地に移住したそうです。謀反の疑いのあった平賀朝雅と結婚していた娘によくすぐに再婚相手が見つかったものだな、と思われるかもしれませんが、当時の京都の人々は、朝雅は濡れ衣を着せられただけと考えていたのではないでしょうか。

 藤原定家の『明月記』に見られる「牧氏事件」の記述を言葉を補って紹介すると、「義時が時政に背き、将軍母子(=実朝と政子)と同心して継母の党(=平賀朝雅)を滅ぼした」とあります。時政夫妻と平賀朝雅は、実朝を味方につけた北条義時によるクーデターの犠牲になったのだという見解を「或説(あるせつ)」として紹介しているのです。朝雅未亡人だった牧の方の娘がスムーズに公卿と再婚できたのも、京都の上流社会の理解と同情を受けてのことかもしれません。

 この「牧氏事件」は、北条家の子孫たちの間に暗い影を落とし続けました。温和な人柄で知られた泰時ですら、時政は自分の祖父であるにもかかわらず、実朝を暗殺しようとした犯人だからという理由で供養を拒絶しており、その姿勢は子孫たちにも引き継がれたそうです。

 最後に……次回・第37回のタイトル「オンベレブンビンバ」ですが、「外国語では?」といぶかる人たちの姿が目立ちました。かつて三谷幸喜さんが「義時は映画『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネ」だとコメントしたことが影響したのかもしれません。ただ、「オンベレブンビンバ」は外国語ではなく、三谷さんの造語だと筆者には思われます。第35回に登場した大竹しのぶさん演じる「歩き巫女」が再登場し、なにか祈祷でもするのではないでしょうか。果たしてどうなるか、楽しみです。

<過去記事はコチラ>

『鎌倉殿』畠山重忠誅殺における北条時政の“迷い”と三浦義村の“変わり身”──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ...

『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
日刊サイゾー2022.09.18『鎌倉殿』畠山重忠は時政の怒りを買ってハメられた? 「忠義一徹の男」の悲しい最期──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ...
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
日刊サイゾー2022.09.11三代目「鎌倉殿」源実朝は繊細なだけじゃない? 兄・頼家同様に気性が荒い一面も…──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ...
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
日刊サイゾー2022.09.04『鎌倉殿』でも“稀代の悪役”を見せ始めた北条義時…死の直後は神聖視されていた?──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ...
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
日刊サイゾー2022.08.28『鎌倉殿』北条家の「悪名」さらに…? 時政討伐を頼家に命じられた仁田忠常の最期──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ...
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
『鎌倉殿』の「りく」=牧の方は稀代の悪女? 史実の平賀朝雅は義時にハメられた?
日刊サイゾー2022.08.21