金正日死亡の報が流れて数時間後にtwitterを賑わせたツイートがある。いくつかあるが、代表的なものがこれだ。


「ポルポト69歳没、フセイン69歳没、カダフィ69歳没、金正日69歳没」

独裁者69歳寿命説というか、運命の数奇さに思いを馳せたくなるツイートだ。
ところが金正日に関していえば、彼の69クラブ入りには待ったがかかる可能性がある。公称では1942年2月16日に朝鮮の抗日運動の聖地・白頭山で金正日は生れたことになっている。これは彼に神秘性を付与するための捏造であり、実際の生年は1941年、生れたのはソ連領内だという説があるからだ。だとすれば金正日の享年は70である。
もっとも手っ取り早く読める金正日の入門書『マンガ金正日の正体』はこの捏造説を採用している。
『マンガ金正日の正体』は現在小学館文庫に収録されているが、元版は2003年8月に飛鳥新社から発売された。文庫化に際して付された「まえがき」には著者の李友情が以下のような出版事情を記している。

――こうして「漫画 金正日」は1998年、韓国で出版された。だが、当時の大統領、金大中の有名な「太陽政策」という幼稚な対北政策のおかげで、本書は韓国の読者の手に届くことなく消えてしまった。対話の相手(金正日)を刺激するなという理由だった。
そして、この本を出版した出版社も一緒に消えてしまった。

こう聞くと、遺憾極まりない事態だと感じる。李はさらに太陽政策を断罪し、「金大中とその政府は歴史の罪人である」とまで決めつけている。
金正日の死にとまどい、不安を感じている。海峡を隔てた日本にいる私がそうなのだから、地続きで国境を接している大韓民国の人々の不安はいかばかりかとお察し申し上げる。こうしたときにはやはり、正しい情報を収集し、あってはならないが不測の事態に備えなければならないだろう。
私は決して北朝鮮問題に詳しいわけではないが、自分ではできる限りの資料を読んで学びたいと考えている。そこで得た知識を、エキレビ!読者にもお分けしようと思うのである。もし関心があったら、今日以降の記事を読んでください。

さて『マンガ金正日の正体』を読むと、金正日総書記の生涯がだいたい概括できるようになっている。特にパルチザン元老に取り入って金日成の後継者問題のライバルであった金英柱(日成の弟)を追い落としたり、日成の信頼厚かった人民武力部総参謀長・呉振宇を篭絡したりしていく過程が、マンガならではのわかりやすさで描かれている。単純化して言ってしまうと、金日成政権は1949年の南北労働党の合党期は、パルチザンの対日遊撃隊系(金日成)と親中国の延安系、ソ連から派遣されてきたソ連系の3勢力によって支えられてきた。
1950年に金日成は朝鮮戦争を起こし、1956年までに他の派閥を粛清してしまう。金正日は幼時にソ連式に金ユーラという名をつけられていたが、金日成が修正主義に転向したフルシチョフのソ連から離れようとしたために正日と改めた、というのが先の捏造説支持派の提唱する説である。
政治上のライバルを追い落とした金日成が自身の独裁体制を正当化するために打ち出したのが有名な「主体思想」であり、これを言語化するのに貢献したのが、後に韓国に亡命した金日成総合大学総長の黄ジャンヨプ(長+火へんに華)だ。
1970年代には金日成の独裁体制は磐石のものとなったが、別の問題が発生した。後継者選びである。先に名前を挙げた金英柱のほか、金日成の妻である金聖愛とその息子の金平一も、一時は金正日のライバルに浮上していた。
これを滅ぼしたのは、言うまでもなく金正日である。1974年の党中央委員会第5期第8回全員会議で、公式に正日は金日成の後継者に指名されている。
『マンガ金正日の正体』で描かれている金正日は、以上のように狡猾かつ非情な人物像だ。また、部下たちに対しては金をばら撒き、宴会への出席を要求するなどして人心掌握にいそしむ一面もある(「わしのあだ名を「金撒き男」としてちょうだい。自分の金でもないのに惜しいことなんてあるかい?」とうそぶいている)。欧米文化の象徴として映画や高額な嗜好品を集め、25歳未満の美女を集めて喜び組を作るなど色を好んだ、という説は聞いたことがある人も多いはずだ。
ここで描かれているのは、品性下劣極まりない独裁者なのである。

だが、ご用心。独裁者を憎むあまりに、その人格を貶めることばかりに腐心するのは危険なことだ。鎖された軍事国家を率いるのが悪の権化のような人物だというのは実にわかりやすい物語である。いや、わかりやすすぎる。わかりやすすぎる言説を聞いたときは、一歩引いて冷静になってみる必要があるだろう。だからこそ、複数の書籍に当たる必要がある。
試しに、2011年4月に刊行された『真実の金正日 元側近が証言する』を読んでみた。著者の鄭昌鉉はソウル大学大学院博士課程終了後、中央日報現代史研究所に専門記者として入社し、10年間わたって南北関係についての企画連載に携わってきたというこの問題の専門家だ。その彼が、元労働党で韓国への亡命を果たした申敬完(元朝鮮労働党対外情報調査部副部長)などへの聞き取り他を元にして記したのがこの本である。
申敬完は1980年代の初めに亡命しているので、金正日についての見聞はそれ以前のことにとどまる。しかし朝鮮労働党発足時のメンバーであるから、金父子の権力闘争についてはある程度信頼できる情報提供者ということができるはずだ。
たとえば金正日の出生地の問題について、申はソ連説を否定して白頭山説を支持している。著者の鄭も、ソ連説は成立しにくいと考えているようだ。中国の公式文書によれば金日成と金正淑(正日の母)は1940年10月23日に沿海州に到達しているが、その後金日成は二度にわたって長期にソ連を離れ、満州に派遣されているからだ。その任務に正淑が同行したという記録はない。この他複数の証拠を持ち出して、鄭はソ連説を退けている。
また申は、金正日の人格的欠陥の根拠としてしばしば引き合いに出される喜び組についても「資本主義の人間が来れば、彼らの趣向に合わせて(接待を)やらなければならないからだ。公演や宴会は、金正日が統治次元の必要から組織的に行っているとみるべきだ」と個人的な趣味で組織されたものという見方を否定している。これに対して鄭は以下のように述べる。

――喜び組の実体は置くとしても、女性問題や習慣、身体的欠陥がそのままリーダーシップの欠如に繋がらないことは、自由民主主義国家の事例でも証明されている。問題は、「喜び組」に関する帰順者の証言がいかなるフィルターも通すことなく月刊誌や週刊誌に引用され、その正確な実体とは無関係に、金正日は「好色漢」だという印象をわれわれに与えている点にある。ややもすると金正日に対する理解自体が、煽情的かつ通俗化したものに堕する危険が、あまりにも大きいと言わざるをえないのである。
 問題を矮小化してはいけないという戒めは重要なものである。

前に書いたとおり申の知る北朝鮮内部の情勢は1980年代初頭までのものなので、正日支配の体制が自壊する可能性をかなり低く見積もっている。1990年代以降の経済政策の失敗によって国民の不満は大きく膨らんでいるはずだから、その見方はやや楽観的(西側から見れば悲観的?)に過ぎるだろう。そうした欠陥はあるものの、金正日に関する誇張のフィルターを取り除くという意味で、本書はかなり役に立つ本である。最初に挙げた『マンガ金正日の正体』のようなわかりやすい概説書を手引きに、こうした一次資料に近い書籍から得た知識を補っていくことで、金正日体制の実像に迫っていけるはずだ。明日以降は、さらに多くの書籍に当たってみたいと思う。続く
(杉江松恋)