今年の初夏に発売された清志郎の写真集『SOUL忌野清志郎』。私はその写真集をキッカケに、清志郎の反原発ソングを思い出した。
当時、テレビのライブで歌っている清志郎を観て、なぜか歌詞やメロディーが、私の頭から離れずにいた。
ド派手なメイクと衣装が“印象的”だったから?
歌詞の内容が“過激”だったから?
『SOUL忌野清志郎』の中の清志郎はノーメイクであり、私服であった。
シカゴで撮影された中に、清志郎が眉間に皺を寄せている写真がある。サングラスの向こうの目はカメラのレンズを捉えているのだが、彼は何かを熱く訴えているのではなく、何かを感じ、納得して、静かに想いを巡らせているようだった。
『SOUL忌野清志郎』で清志郎を撮り続けたカメラマン・鋤田正義氏に、忌野清志郎のエピソードを伺った。
「地元の人しか足を踏み入れないような路地やナイトクラブ、様々なところへ臆する事なく入り込み地元の人と自然に接する清志郎さんが印象に残っていますね。ニューオリンズだったでしょうか、ホテルで清志郎さんの姿が見えなくなり、探してみると中庭で行われていた結婚パーティに飛び入りし、出席者と歌っていました(笑)。釣りをしている地元の人のそばに近寄り、眺めていたこともありました。この時の一連の写真の中に、沼のほとりに座り込み、淀んだ水面を見つめているものがあります。派手で華やかな清志郎さんと、この枯れ葉が浮かぶ静かな沼を覗き込む清志郎さん。清志郎さんの“静”の一面を垣間見られる一枚で、これは特に印象に残っている写真です」
清志郎の“静”が垣間見られるその写真は、見たものや感じたものを目に焼き付けている彼の姿であり、夏休みの一瞬一瞬を逃すまいと目を見張る少年のようであった。
清志郎は、体験したものは全てスポンジのように自分の中に吸収し、納得し、想いを発信するということを繰り返す、それが彼の魂の源になっているのではないか?
少年が思い出を忘れないように必死で絵日記を綴るように、清志郎は自分の想いをありのまま表現するため歌に替えてきたのだと、素の彼を見て感じた。
私は今まで、ド派手なメイクと衣装を身につける清志郎の姿しか見たことがなかった。
多くの清志郎の支持者は、派手で華やかな彼の姿やパフォーマンスに共感した者がほとんどなのでは……、と勝手に思い込んでいたが、違った。
自分の母親の日記を読んで作ったと言われている反原発ソングも、彼が衝撃を受けた当時の感情を歌で表現していて、その歌は世間を意識したり、うわべだけの感情で作っていない。ありのままの彼の感情を表現した歌だからこそ見栄やしがらみだらけの私の心に、歌詞やメロディーがストレートに伝わってくるのだった。
そして、そんな彼の歌は今なお多くの人に支持されるのだ。
鋤田さんから見て、ノーメイク・ノースタイリングの素の清志郎は
「自由さ、優しさのある少年のような心を持った人でした」
と教えてくれた。
少年のような心を持っている清志郎。
彼が感じたありのままの感情をよりストレートに訴えられる歌という表現方法で発信しているから、彼の魂は今もなお、私たちの中に生き続けているのだとノーメイク・ノースタイリングの清志郎の姿を見て、強く感じた。
なお、現在「鋤田正義展SOUND&VISION」が東京都写真美術館ほか各所にて開催される。
夏の暑さでちょっとけだるくなっているビジネスパーソンの心を刺激すること、間違いなし!
(茶谷/boox)
当時、テレビのライブで歌っている清志郎を観て、なぜか歌詞やメロディーが、私の頭から離れずにいた。
ド派手なメイクと衣装が“印象的”だったから?
歌詞の内容が“過激”だったから?
『SOUL忌野清志郎』の中の清志郎はノーメイクであり、私服であった。
シカゴで撮影された中に、清志郎が眉間に皺を寄せている写真がある。サングラスの向こうの目はカメラのレンズを捉えているのだが、彼は何かを熱く訴えているのではなく、何かを感じ、納得して、静かに想いを巡らせているようだった。
『SOUL忌野清志郎』で清志郎を撮り続けたカメラマン・鋤田正義氏に、忌野清志郎のエピソードを伺った。
「地元の人しか足を踏み入れないような路地やナイトクラブ、様々なところへ臆する事なく入り込み地元の人と自然に接する清志郎さんが印象に残っていますね。ニューオリンズだったでしょうか、ホテルで清志郎さんの姿が見えなくなり、探してみると中庭で行われていた結婚パーティに飛び入りし、出席者と歌っていました(笑)。釣りをしている地元の人のそばに近寄り、眺めていたこともありました。この時の一連の写真の中に、沼のほとりに座り込み、淀んだ水面を見つめているものがあります。派手で華やかな清志郎さんと、この枯れ葉が浮かぶ静かな沼を覗き込む清志郎さん。清志郎さんの“静”の一面を垣間見られる一枚で、これは特に印象に残っている写真です」
清志郎の“静”が垣間見られるその写真は、見たものや感じたものを目に焼き付けている彼の姿であり、夏休みの一瞬一瞬を逃すまいと目を見張る少年のようであった。
清志郎は、体験したものは全てスポンジのように自分の中に吸収し、納得し、想いを発信するということを繰り返す、それが彼の魂の源になっているのではないか?
少年が思い出を忘れないように必死で絵日記を綴るように、清志郎は自分の想いをありのまま表現するため歌に替えてきたのだと、素の彼を見て感じた。
私は今まで、ド派手なメイクと衣装を身につける清志郎の姿しか見たことがなかった。
多くの清志郎の支持者は、派手で華やかな彼の姿やパフォーマンスに共感した者がほとんどなのでは……、と勝手に思い込んでいたが、違った。
自分の母親の日記を読んで作ったと言われている反原発ソングも、彼が衝撃を受けた当時の感情を歌で表現していて、その歌は世間を意識したり、うわべだけの感情で作っていない。ありのままの彼の感情を表現した歌だからこそ見栄やしがらみだらけの私の心に、歌詞やメロディーがストレートに伝わってくるのだった。
そして、そんな彼の歌は今なお多くの人に支持されるのだ。
鋤田さんから見て、ノーメイク・ノースタイリングの素の清志郎は
「自由さ、優しさのある少年のような心を持った人でした」
と教えてくれた。
少年のような心を持っている清志郎。
彼が感じたありのままの感情をよりストレートに訴えられる歌という表現方法で発信しているから、彼の魂は今もなお、私たちの中に生き続けているのだとノーメイク・ノースタイリングの清志郎の姿を見て、強く感じた。
なお、現在「鋤田正義展SOUND&VISION」が東京都写真美術館ほか各所にて開催される。
夏の暑さでちょっとけだるくなっているビジネスパーソンの心を刺激すること、間違いなし!
(茶谷/boox)
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