荒木伸吾はアニメーターとして活動をはじめる前、貸本劇画で作品を発表していた。1958年発売の貸本店向けスリラー短編誌『街』に掲載された「嵐と狂人」でデビュー。
朝昼晩、ウチで食べてました
――漫画はずっとご自宅で描かれていたんですか?
荒木 もう、どこにいても描く人だったから、家中散らかってました(笑)。それに、どんな紙にも描いちゃうんですよ。
――展示にもありますね。銀行のメモ帳にまで描いてる。
荒木 そうそう。それじゃよくないと思い、漫画家さんがつかっているような画材を調べて、Amazonで画材を注文して送るようにしたんです。そうしたら、「あれがいい」「もっと送ってくれ」ってどんどん言ってくる(笑)。
――アニメーターってずっと仕事場で作業をしていて、ほとんど家に帰らないイメージがあります。
荒木 全然そんなことないんですよ。仕事場と家を自転車で往復していて、毎日、朝昼晩、ウチでご飯を食べてました。父が家にいるのは、すごく自然なことでしたね。
――絵の描き方を教えてもらったりとかは?
荒木 ほとんどない。2歳位のときに、「下手だな」くらいのこと言われたらしく。ひどいですよね(笑)。やっぱり、本能的に父と同じ世界には行かないほうがいいかなと思いました。でも、心のなかでは父のやっているようなことをやりたいなとずっと思っていました。
――回顧展を開くにあたって、荒木伸吾さんのお仕事仲間とも改めてお話したんじゃないでしょうか。
荒木 とりわけ姫野美智さんにはお世話になりました。展示している原画のいくつかは姫野さんが所蔵していたものだったのでお借りしました。
――どういうことですか?
荒木 父が描いた絵じゃないものを載せていたんです。ほら、原画ってそれだけを見ても、誰が描いたかって載っているわけじゃない。姫野さんにたくさん教えてもらいました。(「SOURIRE D’ENFANCE」を開いて)これもね、最初は絵をさかさまに配置していたり……僕けっこう間違えてたんです。
――図録だけじゃなく、「SOURIRE D’ENFANCE」のほうも姫野さんのアドバイスを?
荒木 「Sourire…」はひとりで描いてましたが、姫野さんに相談はしていたみたいです。
姫野美智。荒木伸吾が1974年に立ち上げた作画プロダクション、「有限会社荒木プロダクション」に所属しているアニメーターだ。1970年代後半から荒木伸吾と組み、「ベルサイユのばら」(1979年)、「聖闘士星矢」1986年)などは、ふたりでキャラクターデザイン・作画監督を担当していた。取材のちょっと前、エキレビ!ライターの木俣冬さんに会う機会があった。アニメ関係の仕事をすることも多い木俣さんにも、アニメーター荒木伸吾について聞いてみた。
アニメ前と、アニメ後では、絵が違う
荒木 父が亡くなり、回顧展を開こうと思ってから、ほとんどの時間は「図録『荒木伸吾1939-2011 瞳と魂』」に費やしてきましたね。
――図録を開くと、まず荒木さんが描いていた劇画、そして「ジャングル大帝」(1965年)、「あしたのジョー」(1970年)などの原画が目に飛び込んでくる。そして最後には「Sourire…」が掲載されていて、荒木伸吾さんの仕事を時代順に見れるようになっている。
荒木 入り口にアニメーターをやる前の劇画があって、最後に「Sourire」とかまた漫画が出てくる。最初のころの絵って、まだそんなに動いてないんです。それが(展示をぐるっと指さして)ここからここまでいろいろなアニメを体験して父の絵は格段に力を帯びた。
――アニメをやっていなかったら「Sourire」は描けなかった。
荒木 そう思います。僕は父がいままでやってきたこととして図録をしっかりまとめて皆さんにお届けしたいけど、父は前ばかり見て生きる人間だったからなにより皆様には「Sourire」をお届けしたかったんじゃないかな。とにかく僕的には、このふたつに九割九分九厘の力を入れてきましたね。
――図録は380ページもあって、重さも2キロ、かなりずっしりきます。
荒木 多分、父の展示をやるのはこれが最初で最後でしょうし、図録も今のところ二度と出せない。
――物販にはあと、ポストカード、ポスター、クリアファイル、下敷き、エコバッグ、Tシャツなどもありますけど。
荒木 まあこれらは、そうですね、遊びです(笑)。
――サイトで見たんですけど、Tシャツの背中にアニメタイトルが入っているのがオシャレなんですよね。「Le roi Leo」(ジャングル大帝)、「Babel2」(バビル2世)、「Lady Oscar」(ベルサイユのばら)とか。
荒木 (スタッフに)あのー、展示のTシャツ、いくつか裏っ返しておいていいですか。やっぱりTシャツは背中でしょう(笑)あと、エコバッグは図録が重いからどうにかしないとなっていうことから生まれたのですが、エコバックに絵を印刷するのって繊細なやつはかなり難しくて。Tシャツやポスター、ポストカードに描いてある絵って、全部図録なり漫画本なりに入っているものなんですけど、ひとつだけ、バッグに描いてあるイラストだけは入っていないんです。あとからエコバックに印刷できる絵を選び直したから。
――あ~、バッグと図録で完結するんだ。
荒木 エコバックと図録と漫画本で完結します。全部買えとかそういうわけではなく。あと、物販に関しては、図録以外は権利もあって全て父のオリジナルの絵。今回、来てくれた人にはやはり父のオリジナルの面白さを知って欲しい。
――オリジナル展示コーナーの、ノートにちょこんと落書きしてある絵とか好きでした。
荒木 ノートはふたつ展示してあるんですけど、これらは日めくりでいこうかと。
――日替わりで見れる。
荒木 全ページいい絵があるんですよー。
取材前、公式サイトで「Sourire」を読む。いねむりのたびに不思議な夢を見る漫画好きの少年ゴロオ。貸本屋で借りた本に漫画募集の項目を見つけ、応募しようと描き始める。数週間が過ぎ投稿作が完成したとき、空飛ぶ林檎のリンゴーと出会って……。
荒木 僕は、父がアニメーターだっていうことは物心ついたときから知っていたんですけど、正直、知ってるつもりでなにも知らなかった。「ああ、美形を描く人なんだな」ってくらいは知ってましたが、こうして回顧展を催す中で、そうか、それまで他の国のアニメーションにもなかった、日本のアニメーションのパワフルな動きをつくりだした数少ないひとりなんだなということがようやく分かりました。それから、時間軸で見ると、普通、人間ってひとつ成功したら、なかなか次のステップに進めなかったりするし、「もうここまでがんばったんだからあとは遊んでれば」とも思うんだけど、父にはアニメーター時代だけでも何回かピークがある。で、その後も最後まであがいて、あがいて、漫画を描き続けた。僕は、最後の「Sourire」が一番すごいんじゃないかと思う。死んだその日がピークだったんじゃないかって思います。
(加藤レイズナ)