原作者の杉浦日向子が2005年に46歳で亡くなってから、今年でちょうど10年が経つ。そのためか、『百日紅』のほか、今秋には『合葬』の実写映画版(小林達夫監督、渡辺あや脚本、柳楽優弥・瀬戸康史主演)の公開が予定されるなど杉浦作品の映画化の企画があいついでいる。
この機会に、原作の『百日紅』を十数年ぶりに再読した。1980年代に雑誌に連載されたこのマンガは、全30話それぞれが独立した連作である。現在出ているちくま文庫版では、上巻に「其の一」から「其の十五」まで、下巻に「其の十六」から「其の三十」までが収録されている。
『百日紅』の舞台は文化11年の江戸、西暦でいえば1814年ということになる。当年とって55歳の北斎に対し、お栄は23歳。もっとも彼女の生没年は不詳だから、これは杉浦の推定だろう。年表をひもとけば、この年、「隅田川花御所染」が初演された歌舞伎作家・四代目鶴屋南北は実力・人気とも絶頂にあり、曲亭馬琴は大長編小説『南総里見八犬伝』を世に送り始める。江戸を中心とした文化が爛熟期を迎えようとしていたこのころ、北斎は馬琴の読本(よみほん)の挿絵も数多く手がけていた。人物・動物・器物などあらゆるものを対象とした絵手本『北斎漫画』の初編が出版されたのもこの年のこと。
作中に登場するのは、お栄と北斎のほか、北斎の弟子で居候の池田善次郎(のちの渓斎英泉。映画では濱田岳が演じる)、10代にして売れっ子絵師の歌川国直(同、高良健吾)など。国直は北斎のライバル・歌川豊国の弟子にもかかわらず、北斎を慕ってしょっちゅう家にやって来る。
この北斎とお栄の家というのがまた散らかり放題で、絵の依頼主を連れて来宅した版元の主人など、よく見れば着物が汚れないよう畳の上に敷物を広げて座っている(「其の二 ほうき」)。親子そろって片づけられない性分なのだからしかたない。一説には、北斎が90年の生涯で93回も引っ越しを繰り返したのは、家がゴミの山になるたびに逃げ出していたからともいわれる(瀬木慎一『画狂人北斎』)。
北斎から「アゴ」と呼ばれるお栄だが(娘は娘で父を「鉄蔵」と本名で呼び捨てしている)、絵の腕前はお墨付きで、父が気乗りしない仕事はもっぱらお栄が代筆している。それでも枕絵だけはいま一つ色気が出せない。北斎に言わせると、女はいいけれど、男はいつでも俺の絵をはめ込んでいるだけだと手厳しい(「其の三 恋」)。のちには版元にも同様の指摘を受けたお栄が、ふと思い立ち蔭間(男娼)茶屋に足を向けるという話も出てくる(「其の十九 色情」)。
蔭間茶屋に出かけたのはお栄が色恋にはとんと無縁で、男を知らなかったからだ。
まだ20代だった杉浦日向子が描くところのお栄はまさに等身大、その心理描写にはリアリティがある。ただし実際のお栄は、いったん南沢等明という絵師に嫁いだものの離縁して出戻っているという。当然のことながら、『百日紅』は実在の人物が登場するとはいえ、物語自体はあくまでフィクションだ。北斎の家族についても、お栄以外は詳細はほとんど伝えられていないが、同作中には、たとえば北斎二男でお栄の弟の多吉郎が、養子先の加瀬氏(御家人)で元服して崎十郎と改名したと報告に来るエピソードがある。このとき北斎は多吉郎の堅物ぶりを見かね、善次郎と組んでいたずらを仕掛けている(「其の十五 春浅し」)。
■あの世とこの世が地続きだった江戸
さて、この作品を再読してひときわ強く感じたのは、この時代の人たちにとっては、この世とあの世は地続きで、亡霊や妖怪の存在も本気で信じられていたのだな、ということだ。現代とくらべたら平均寿命も短く、はるかに死が身近だったし、灯りも少なく夜ともなれば暗闇だらけだったのだから当然だろう。
杉浦描くところの北斎は、写生していた死体がいきなり動き出しても(「其の二 ほうき」)、花魁・小夜衣(映画では麻生久美子が演じる)の首が伸びるのを目撃しても(「其の二十 離魂病」)驚きこそすれ、けっしてそのことを疑ったりはせず、現実のできごととして受け止める。
「其の九 鬼」というエピソードでは、お栄がある武士の依頼を受けて地獄絵を描く。
さらに「其の二十九 夜長」は、文字どおり生死の境をさまよう男の話だ。愛人のお久宅で、酔って階段を踏み外し意識を失ったこの男、てっきり死んだものと思われ、寺の前まで運ばれたうえ放置される(このとき善次郎がお久に請われて手を貸している)。やがて息を吹き返してからも、自分はまだ夢のなかにいるものと思い込みあちこちをさまよう。その様子がじつに滑稽で、まるで落語のようだ。味わいとしては「粗忽長屋」などといった噺に似ている。「粗忽長屋」は、「おめえは自分が死んだことをうっかり忘れちまったんだ」とそそっかしい友人に説き伏せられる男の噺だったが、案外、江戸時代の人間にとって生死の区別はそれぐらいあいまいなものだったのかもしれない。杉浦日向子のマンガを読んでいると、ふとそんなことを考えてしまう。
誰もが死と隣り合わせにいた江戸時代、一寸先は闇と腹をくくりながらも、日々を明るくすごす、それこそが江戸っ子の粋であった。
最終話「其の三十 山童(やまわろ)」では、北斎が先輩絵師で作家の山東京伝からフグ鍋を勧められるも、毒を恐れて頑なに食べようとしない。「そんなに命惜しみをして 百までも生きる気か?」と訊く京伝に、彼は「百二十まで生きるつもりサ」とうそぶいてみせる。いわゆる江戸っ子なら、あたって死ぬなら本望とフグを堪能するだろう。杉浦は北斎を、江戸っ子らしい奔放さを持つ一方で、妙に慎重なところもある人物として描いたのだ。
■「江戸に学ぶなんてちゃんちゃらおかしい」と断言した杉浦日向子
先に書いたとおり『百日紅』というマンガは、史実をもとに杉浦独自の見方や想像を交えたフィクションである。しかし死生観も含め、その作中で描かれる江戸人の生き方はまるで見て来たかのようにリアルだ。
杉浦はあるところで、自分のイメージのなかの「江戸」と、過去に実在した「江戸」とのあいだにどれほどの隔たりがあるかはわからないとも書いている。ただ、それはイメージと呼ぶにはあまりに明確で、まるでずっと住んでいた土地を思い出すがごとく細部までを感じることができたという(『大江戸観光』)。
それほどまでに江戸を愛し、細部まで思い描くことのできた杉浦だが、「昔はよかったなんて意地でも言わない」「現在いる場所が、いつでもどこよりも良い」とも繰り返し語っていた。最近になって妙に江戸を賛美する風潮がますます強まっているが、そんないまだからこそ、彼女が『ちくま日本文学全集』の岡本綺堂の巻に寄せた解説(『うつくしく、やさしく、おろかなり――私の惚れた「江戸」』に再録)における次の言は傾聴に値しよう。
《近年「江戸ブーム」とやらで、やたら「江戸三百年の智恵に学ぶ」とか「今、エコロジーが手本」とかいうシンポジウムに担ぎ出される。正直困る。つよく、ゆたかで、かしこい現代人が、封建で未開の江戸に学ぶなんて、ちゃんちゃらおかしい。私に言わせれば、江戸は情夫だ。学んだり手本になるもんじゃない。死なばもろともと惚れる相手なんだ。うつくしく、やさしいだけを見ているのじゃ駄目だ。おろかなりのいとしさを、綺堂本に教わってから、出直して来いと言いたい》
今回のアニメ版「百日紅」にはこうした原作者のメッセージはどれほど反映されているのだろうか。いや、あの「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」の監督が、まさか安易に過去を賛美するはずはあるまい。安心して映画館へ向かいたい。
(近藤正高)