むしろ過去や歴史を忘れることが平和のため!? カズオ・イシグロの問題作「忘れられた巨人」

日本生まれの英国人作家カズオ・イシグロの作品『忘れられた巨人』について、ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが語り合います。

『Fate』や『乖離性ミリオンアーサー』好きは読むべき!


飯田 カズオ・イシグロは長崎生まれ(両親は日本人)で5歳からイギリス在住の作家です。執事小説『日の名残り』やクローンSF『わたしを離さないで』は人気も高く、映画化されています。
エンタメ的な設定をつかって、でも文体や主題は文学的なものをやる書き手ですね。今回は俺らの好きなアーサー王伝説ですよ。
 アーサーネタなので、『Fate』や『乖離性ミリオンアーサー』好きは読むべき!w 『Fate/EXTRA』シリーズでのガウェインさん(アーサー王の円卓の騎士のひとり)は問題発言の多いアレなキャラでしたが、『忘れられた巨人』のガウェインも相当おかしい! ここ、読みどころです。

藤田 今作は、ファンタジー小説なんですよね。前作『わたしを離さないで』が、クローンを扱ったSFだったので、途中でアーサー王伝説とか、龍の退治の話が始まって、本当にびっくりした。

飯田 5世紀~7世紀ころのイングランドが舞台で、記憶があいまいな老夫婦が息子を探しに旅に出るんだけど、行く先々のひとたちもみんな記憶があいまいで、だんだんとその記憶をぼやかしている原因がわかってきて、記憶をとりもどすかどうかという争いになっていく、と。そこにガウェインさんも登場。あ、アーサー王伝説についての事前知識がなくてももちろん楽しめます。
 この作品はサクソン人とブリトン人が争っていたのをアーサー王が平定したあとの話です。でも、忘れられていた事実を人々が思い出したら再び敵同士になってしまうとか、敵味方がひっくりかえるとか、お互いいい関係だと思っていたら実は……と。

藤田 カズオ・イシグロが来日して講演した内容が、NHKの『文学白熱教室』として放送されたのを見たのですが、その内容やインタビューから察するに、ルワンダやボスニアヘルツェゴビナ、それから、第二次世界大戦の日本など様々な国や民族の争いの「メタファー」として読まれるように書かれたと判断していいようですね。

飯田 で、読書メーターとかを見ると、みなさん主人公の老夫婦を軸に読んでいるわけですけど、この話、あきらかにガウェインさんがおかしい。
本作におけるこいつのことを考えると、イシグロが描いている記憶テーマのたくらみのおもしろさがよりわかると思うんですよ。どこがおかしいか?

『忘れられた巨人』のガウェインさんのどこがおかしいのか?


飯田 順番に説明しますよ。
1)どうもガウェインが、アーサー王と、アーサー生誕を予言した魔法使いのマーリンから命令を受けて行動しはじめたのは、アーサーが石に刺さった剣を引き抜いて、サクソン人を退けてブリトンを統一したあとであると。この物語の中心になっている記憶忘却の一件は、マーリン絡みらしいことが、読んでいくとわかります。

2)え、「じゃあ、マーリンが生きて動けてたってこと?」というのが疑問その1。というのも、マーリンはアーサー王伝説では、早々に幽閉されて表舞台から姿を消していたはずだからです。じゃ、幽閉される前なのか? それともずっと後なのか?

3)マーリンがカムラン(アーサー最後の戦いである、息子モードレッドとの戦い)のさいに幽閉状態から脱して出てくるバージョンのアーサー王物語もあります。でももし『忘れられた巨人』の時制がカムランのあとなら、ガウェインは死んでるはずなんです。死んでたらこの話に出てこられない。じゃあ、マーリン幽閉前なのかな? と思いますよね。

4)いや、しかし、『忘れられた巨人』を読むと、ガウェインと主人公のアクセルは、ある時期まで仲間だったけど、ある時期に決裂したらしいとも言っている。
 ガウェインが途中まで仲がよかったけどあとから対立するに至った事件といえば? やはり円卓の騎士であるランスロットがアーサーの嫁を寝取った件でいざこざがあり、ランスロットにガウェインの近しい人物がぶっ殺されて以降、かつての盟友ランスロットと交戦状態になった、というものですよね。作中で言及はされていませんが、ふつうに推理すればそうなる。

 ということは、『忘れられた巨人』はランスロット派とバチバチしたあとの話っぽい。でもその時期だとするとマーリンは幽閉されているはずだし、ランスロットの一件がかたづいてモードレッド戦のあとだとすると、ガウェインは死んでいる。

 結局、「この記憶忘却問題は、マーリンが絡んだ一件らしい」という話は、いったいいつのことなのか、この物語の時制はいつなのか、よくわからない。
 だいたいガウェインの愛馬といえば「グリンガレット」のはずなのに、『忘れられた巨人』では「ホレス」が愛馬だと言っている。
 総合すると、『忘れられた巨人』では
「ガウェインを自称するマジキチじじいが適当なことを言っている」
と解釈するしかないんじゃないか。
 もっとちゃんとアーサー王伝説に詳しいひとに整合性のある解釈ができるかを訊いてみたいし、専門家に「矛盾はない」と言われたらいつでもこの説は撤回するけど、通りいっぺんの知識から判断すると、おかしくね? と思った。

藤田 おかしいかもしれませんが、アーサー王伝説も「伝説」ですから、集団的な記憶の集まったものですよね。それがあやふやになっていることも、ぼくはテーマに合っていると思いました。ガウェインはどこか『ドン・キホーテ』も思わせますね。ちなみに「記憶をなくしたままがいい派」がガウェインで、「取り戻したい派」が主人公の奥さんですよね。

飯田 記憶を取り戻されたらウソつきだということがバレちゃうから取り戻したくないんだと思う、ガウェインさんは。

「忘れること」をポジティブにとらえるという、衝撃の「記憶」テーマ


藤田 東日本大震災や第二次世界大戦に対して、「記憶すること」「記録すること」「伝承すること」が大事だという社会的な風潮があります。現代アートでも一大テーマになっていますし、様々な番組が特集を組みました。
そのような時代に、「忘れること」こそが憎悪の連鎖を止めて、平和な共存をするために大事なのではないかという、「忘却すること」の積極的価値を検討しているのが、スリリングでした。
 統治者はひとびとを忘却させる霧を利用しているわけですが、それは平和と共存のため。霧が晴れたら憎悪を思い出して殺し合いが始まってしまう可能性が高い。主人公の奥さんは、いま感じている愛がなくならないために記憶が消えないようにしたいのに、記憶が戻ったら、かつての不愉快な夫婦関係も思い出し、むしろ愛が薄れる。
 なかなか皮肉な話だと思います。社会における「記憶」をどう扱うのが良いのか、簡単には解きほぐしがたい問題を大胆に扱っています。なのに、一気に読ませてしまうエンターテイメントの力もある。
 直木賞受賞作『流』とも、テーマ的には共通している部分がありますよね。共同体や社会の「記憶」をどう扱うかについては。料理の仕方や提示することは違うのだけれど、このような力作が同時代に発表されたことに、何か時代の呼びかけを感じますね。

飯田 そうですね。表に見えている顔と、裏の顔が違う、とかもね。
「ものごとは白黒つけないほうがいいこともある」という、年をとってからのほうがよくわかる話。
 覚えているけど忘却したそぶりを示す、忘れたふりをする、気にしないふりをする、ということも含めて、どうするか。主人公の老夫婦が最後に行く島はアーサー王が行き着いたアヴァロンだと思うんだけど、オチはこれまた考えさせられるものでしたね。

藤田 アヴァロンでしょうね。英雄たちが死んでいく場所ですよね、あの島は。結末は、多義性に満ちているものでした。

飯田 なんでアーサー王伝説を題材に選んだんだろう? と考えると、アーサー王自体、実在しないと言われている。だけどある時期までは実在すると思われていた。
 つまり歴史書(と言われていたもの)やフィクションを通じて、ひとびとは「存在しないもの」を、あたかも事実として記憶していた。
『忘れられた巨人』におけるガウェインさんが自称にすぎないであろうことも、そう考えれば、やはり事実や記憶を思い出す/思い出さない、あるいはひとびとが信じていた神話が崩れ去った(霧が晴れた)あとでどう評価するか、いかに振る舞うかというテーマから導き出された設定だなと。
 NHKの番組でカズオ・イシグロが言っていたことばを借りれば「(客観的な)事実と(その人間にとっての主観的な)真実は違う」ということをさまざまな角度から描いている。
 ……ただのボケ老人の話かと思って読みはじめたら、ぜんぜん違った!

藤田 最初は、洞窟で焚火から遠い部屋をあてがわれた可哀想な老人が、不満のあまり出ていって、荒野をさまよって死ぬという姥捨て山みたいな話なんじゃないかと思いましたよw そう思っていたら、いきなりチャンバラ小説になったり、転調がすごい。
構成上の企みが、大胆。

『忘れられた巨人』を野球の話だと勘違いして読みはじめても……大丈夫!?


藤田 ぼく、正直に言いますけど、『わたしを離さないで』は面白くなかったんですよ。 SFとして読んじゃったから、「この設定おかしいんじゃない?」「いや、こういう結末にならない手段あるんじゃない?」「社会制度がよくわからない」とか、不満が出まして。
 いきなりだったので、ノスタルジイとか、失ったものへの哀感をベースにして読むべきものと理解しないで読んじゃったから。それは、未来世界でSFの設定でやられると、焦点が合わなかったんですよ。けど、今回の『忘れられた巨人』は、焦点がしっかり合った。

飯田 『忘れられた巨人』はタイトルから巨人退治の話かと思ったら違うし。原著はおもっきし表紙に聖杯らしきものが描いてあるんだよね、たぶん、アーサー王ものだから。聖杯出てこないんだけどさ。そのへんのミスリードされた感も、含めておもしろかった。

藤田 野球の話だと勘違いする可能性もありますよw

飯田 ボケた長嶋茂雄の話だとw

藤田 かつて、栄光を誇っていた、野球というスポーツがあった! という話。できそうw 続編は『忘れられた阪神』。……こういうくだらないことを書いていると、翻訳されて本人の目に入るかもしれない時代だから、恐ろしいw

飯田 あながち間違ってないかもよ。
カズオ・イシグロ作品ってだいたい全部「自分にとっての最盛期、もっとも幸福で充実していた時代はすぎてしまった」というところから始まるからね。

藤田 村上春樹と似てるんですよね、そこは。戦後の長崎を舞台にした一作目『遠い山並みの光』は、主人公の娘が自殺していて、そこから過去の追憶が始まって……って。初期の村上春樹作品と通じる喪失感の物語でした。

飯田 村上春樹のことは「もっとも興味がある作家」と言っているね。あ、でも一作目のころは読んでないよ、たぶん。カズオ・イシグロの一作目は82年作だから、そのころはまだイギリスでは村上春樹の翻訳も出てないんじゃないかな。ただ、『わたしを離さないで』刊行後のインタビューでは「国を超えた作家」として意識していると言っている(『文學界』2006年8月号)。

ファンタジーの次は人工知能を使って記憶ネタ?


飯田 カズオ・イシグロはインタビューによると次の作品は今のところ人工知能テーマを考えているらしい。機械に仕事が奪われ、さまざまな能力で劣る存在になってしまったら、人間の人間たるゆえんはどこにあるのか? と。それはイシグロはイシグロでもマツコロイドとか作ってるロボット研究者・石黒浩の領域じゃないか! ちなみに石黒さんはカズオ・イシグロが大好きというのが、おもしろいところだけど。

藤田 ひょっとすると、人間そのものが、ノスタルジイや追憶の対象として描かれるのかもしれませんね。人工知能や進化した人類に置いていかれてしまう人類の哀しみを描く作品は、SFでけっこうありますから。カズオ・イシグロ流の料理が楽しみです。
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