
主婦と生活社
先週放送の第5話は、仕事における“無駄”がテーマだった。校閲という地味な仕事をしているがファッションも表情も派手な石原さとみと、ファッション誌の編集という派手な仕事をしているがファッションも表情も地味な本田翼が、それぞれの仕事で発生した“無駄”にどう取り組むかが物語の鍵になっていた。
やるだけ無駄なんてこと人生にいっこもない
河野悦子が新たに校閲を担当する著者は“伝説のスタイリスト”フロイライン登紀子(川原亜矢子)。イタリア在住の彼女がイタリアで書いたエッセイを翻訳出版するのだが、事実確認は必要なく、文字校正だけすれば良いというお達しが出る。
現在もスタイリストとして強い影響力を持つ登紀子が、森尾(本田翼)が働くファッション誌『LASSY』に招かれてスタイリングを行うことになった。しかし、暴君として振る舞って若手編集者たちを困惑させた上、森尾に対しては「外れていい」と言い放つ。
かたや、事実確認という必要のない無駄な仕事をやりたい悦子。
かたや、権力者からの無茶振りに無駄な仕事を強いられている森尾。
2人は部屋で仕事について語り合う。
森尾はファッション誌の編集をやりたくてやっているわけではない。やりたくない仕事をやっているのだから、これ以上、無駄なことなんかしたくない。
悦子だって校閲の仕事をやりたいわけではない(ファッション誌志望なので)。だけど、やるからには徹底的にやりたい。それが自分の仕事のやりがいにつながっている。
「やるだけ無駄なんてこと人生にいっこもないと思うんだ。
たとえ誰にも褒めてもらえなくても、認めてもらえなくても。
できる限りのことは全力で全部したと思いたい。
だから、私も今から無駄だって思われることしてくるよ」
悦子のこの言葉は、校閲の仕事そのものを言い表している。
校閲者が事実確認を行っても、編集者がチェックすれば著者に伝わることはない。
誰かに認められることがなくても、結果的に本から間違いがなくなっていればそれでいい。
それが校閲の仕事というものである。
悦子は森尾に言った言葉通りに、無駄な仕事――登紀子の本の事実確認をやることにする。とはいえ、事実確認のためにイタリアに出張することはできない。
一方、森尾も幸人(菅田将暉)から聞いた悦子の仕事ぶりに感化され、休日出勤して、登紀子が気に入りそうなパッチワークを作りはじめる(これは悦子の助言)。
結局、悦子の努力も森尾の努力もフロイライン登紀子に認められる。悦子の事実確認は登紀子の書籍に反映され、森尾が作ったパッチワークは無事に撮影に使用された。2人の“無駄”な努力が無駄にならなかったのだ。
やっぱり長時間労働は重要なのか?
視聴者からは「感動した!」という声と「これでいいの?」という声が上がった模様。
前者に関しては、やりたくない仕事、意に沿わない仕事でも全力で仕事をすれば、楽しさが見つかる、という考え方だ。
これはドラマ『校閲ガール』のテーマに直結している。以前の記事で書いたように、小田玲奈プロデューサーは次のように語っている。
「自分の居場所はここなのだろうかと悩みながら働いている人ってすごくいっぱいいると思うんですよ。そんな人たちが、本当はやりたい仕事じゃなくても、本気でやれば自分をほめていいんだって思えるようなドラマにしたい」
では、「これでいいの?」とはどんな考え方だろうか。
これは、残業や休日出勤の成果で上司(権力者)に認められるという展開が納得いかないという考え方だ。
折しも、電通の新入社員過労死事件が起こったばかり。上司からの要求を短時間で効率よくクリアできればいいのだが、未熟な若い社員には難しい。どうしても長時間労働を強いられることになる。
無駄な仕事が、誰かに認められるとは限らない。ドラマでは2人の無駄な奮闘がフロイライン登紀子に認められたが、現実では無駄が本当に無駄に終わることも多い。それがその人自身の経験になるかもしれないが、長時間労働のストレスで命を落としてしまっては意味がない。
たしかに全力でことに当たることは大切だ。悦子(ドラマ制作者側)の考え方は間違っていない。筆者だって仕事で無駄なことはいっぱいやってきたし、それが血肉になっている実感もある。しかし、世の中はどうやら曲がり角に来ている。現実の世界でも、虚構の世界でも、われわれは知恵を絞って新しい働き方を考えなければいけない時期に来ているのかもしれない。
さて、今夜放送の第6話では、今回の記事でビタイチ触れなかった悦子と森尾と幸人の三角関係の行方が迷走しそうな予感。
(大山くまお)
参考→「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」の原作を絶対読むべき理由