10月31日に開催されたトークイベントでは、なんと金子修介監督(平成『ガメラ』シリーズ、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』、『デスノート』など)が登壇しています。

聞き手は同展を企画したKADOKAWA代表取締役専務の井上伸一郎氏に、司会進行役は森ビルメディア企画部部長の矢部敏男氏が務めました。


平成『ガメラ』ではあまり死傷者を出したくなかった
まず、平成『ガメラ』1作目の予告編映像を観てから、トークはスタート。実は平成『ガメラ』シリーズの1、2作目において、金子監督は意図的にある配慮をしたそうです。

「戦闘時のビル倒壊で犠牲者が出るというのは、なんか嫌な感じだったんですよ。あえて避けて。『ガメラ2』の時も仙台が消滅したけど、死傷者を最小限にしてそんなに人が死んでないようにしています。子どもの頃から『怪獣同士が戦ったら一般の人が巻き込まれて大変なことになるだろうな』って、みんなで言ってましたからね。それで抑えてたんだけど、最後(ガメラ3)はやっちゃったっていうか(笑)」(金子監督)
『ウルトラマンマックス』を撮った時は『ウルトラマンの世界ならいいんじゃんないか?』と、ビルを投げて怪獣にぶつけたりしていましたが、そうするとやはりネットで叩かれてしまったそうです……。
怪獣に壊される建物にもメリットがある
また、当時は建物を“壊す側”(特撮制作者)と“壊される側”(建物側)の関係性が良好だったとのこと。
「『ガメラ3』の時は、京都駅ビルの方にも歓迎していただきました。イベントの時、ビルの関係者の方が『私はガメラを許さない』って前田亜季のセリフをそのまま使ってウケてましたけどね(笑)。その後、『日本沈没』の時期辺りからだんだん世知辛くなってきた気がします」(金子監督)
ここで重視されるのは、特撮では“壊される側”にもメリットがあるということ。例えば『ガメラ3』を観ると、京都駅の中で戦うという斬新なアイデアにしびれてしまいます。

「建造物としては下手な宣伝費を使うよりも映像として永遠に残るんで、コストパフォーマンス的にも壊してもらった方が全然いいんですよね。いまだに私は京都へ出張すると、駅ビルにあるグランヴィアに泊まり『ここにイリスが入ったのか』って毎回楽しんでいるんですけど。追体験ができる、非常に贅沢なフィルムでした」(井上氏)
なぜ、『ガメラ2』の舞台が仙台になったのか?
続いて、会場内では『ガメラ2』の予告編映像が上映されました。

この作品では、なぜ仙台が舞台になったのでしょう?
「あの時は、会津城を壊そうと思って樋口さんらと会津若松をロケハンしたんだけど、冴えないっていうか(苦笑)。それで、その足で仙台にロケハンに行ったら『これは大都会じゃないか!』って。あと、最初(『ガメラ 大怪獣空中決戦』)は東京タワーだったので『次は城だ』って。でも、結局はロケハンしてやめることにして。結果、瓦をボロボロこぼすっていうテーマが特撮としては残ったんですよ」(金子監督)
また、この作品では足利も戦いの舞台に選ばれています。
「やっぱり、景観でこの辺かなっていうのがあって。足利の景観はいいですよね。道路の周りにドラッグストアやスーパーが集まっているというのはどこにでもあるので、みんなが共感できるんじゃないかと。
「ガメラ」と「自衛隊」の関係性
この日は、『ガメラ』と『自衛隊』の関係性についても言及していました。

「『ゴジラvsモスラ』の時に、自衛隊が幼虫を攻撃したんです。それで、子どもから『モスラはいい怪獣なのに、なんで自衛隊は攻撃するんですか。攻撃しないでください!』という投書があって、それ以降、ゴジラに自衛隊は協力しないことになりました。でも、ガメラの時に台本からして自衛隊が出てこないと困るという状態になりまして……。それでも、最初は大映側は『警察で何とかできないか』と考えていたんですけど(苦笑)。でも、プロデューサーが交渉して『自衛隊の正しい姿を伝えてくれるなら』ということで、ガメラでは協力してもらったんです」(金子監督)
『ガメラ3』では泣かせに走ったかもしれない
ここからは、お客さんが登壇者に直接質問をぶつけるコーナーに突入です。
●昭和の『ガメラ』のジャイガーの映画を観た時にガメラのピンチを感じたんですが、それ以上に『ガメラ3』のイリスとの戦いでガメラが殺されそうになり、泣きそうになっちゃったんです。あの辺は、インパクトを与えるような演出を考えられたんでしょうか?
金子監督 そうですね。『ガメラ3』は、泣かせに走ったというのがあるかもしれません。

●怪獣映画の出演オファーを出した時、面白い反応があった役者さんがいたら教えてください。
金子監督 みんなやりたがってくれました。
そんなこんなで、貴重なトークイベントは無事閉幕です。

来秋公開の映画『こいのわ~婚活クルージング』撮影で広島から帰ったばかりで、風邪を引いてしまい体調不良だったにもかかわらず登壇していただけたというこの日の金子監督。バッドコンディションでありながら飄々と貴重なエピソードを話していただき、感涙です!
(寺西ジャジューカ)