今夜8時15分からNHK総合で土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」がスタートする。高度成長期、コミックバンド・クレージーキャッツのメンバーとしてテレビや映画で大活躍し、歌手としてヒット曲も多い植木等(演じるのは山本耕史)を主人公に、その付人の松崎雅臣、のちの小松政夫(同、志尊淳)との師弟関係が描かれる。

今夜スタート「植木等とのぼせもん」クレージーキャッツの面々の華麗なる家系と逸話
ノンフィクション作家・戸井十月による『植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない』(シーオーツー)。巻末には小松政夫らのインタビューも収録

植木等やクレージーキャッツについては、植木が2007年に亡くなる以前より多くの人が語っており、関連書も多い。今回のドラマは、小松政夫の著書『のぼせもんやけん』が下敷きになっている。さらに放送にあわせて『時代とフザケた男』(扶桑社)、『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』(KADOKAWA、9月28日発売予定)と小松の著書の刊行が続く。

植木等と小松政夫の出会いなどは、ひとまず今夜放送のドラマ第1回に譲るとして、この記事では予習がてら、クレージーキャッツの面々をはじめ二人を取り巻く人々を紹介してみたい。

卑怯なことが大嫌いだったハナ肇


まずは、クレージーキャッツのリーダーで、ドラム担当のハナ肇(はじめ)。今回のドラマでは山内圭哉が演じる。

1930年東京生まれ。本名は野々山定夫。実家は池袋で水道工事業を営んでいたが、父親が亡くなり、長男である彼が家族を支えるべく家業を継ぐ。一方で、ミュージシャンに憧れて、夜はバンド活動にいそしんだ。

1955年、のちの渡辺プロダクション社長・渡邊晋に持ちかけられ、犬塚弘らとバンド「ハナ肇とキューバンキャッツ」を結成。以後、メンバーチェンジを重ねながら、グループ名も「ハナ肇とクレージーキャッツ」と改める。ジャズ喫茶や米軍キャンプをまわりながら、演奏中にギャグを披露する彼らに、ある米軍将校が大喜びして「ヘイ、クレージー!」と声をかけたのが、その名の由来となった。
この間、べつのバンドから谷啓、さらに植木等が移ってきて、ハナ・犬塚・安田伸・石橋エータローの6人がそろう(のち桜井センリが加わり7人組に)。

ハナは卑怯なことが大嫌いで、「悪事を働くなら、正々堂々とやれ」と言うような独特の正義感の持ち主だったらしい。他人への気遣いも人一倍だった。付人のなべおさみが、歌手の梓みちよのショーに出演したときには、こんなことがあったという。舞台の様子をテレビで観たハナは何を思ったのか、なべを自宅に呼び付けた。「おまえはいつからそんな卑しい舞台やるようになったんだ」と怒るハナ。しかしなべにはどこが悪かったのかまるでわからない。しばらくしてようやく、フィナーレで緞帳が降りる寸前、なべが一人だけ隙間から顔をのぞかせ、客に手を振っていたとハナは叱咤した。なべにはまったく記憶がなかったが、きっと目立とうという気持ちがそうさせたのだろう。ようするにハナは、主役の梓みちよを差し置いて、最後を自分のものにしようとした弟子が許せなかったのだ。

今回のドラマは植木等と小松政夫の関係に焦点を絞っているが、ハナ肇となべおさみにもエピソードは数多い。なべは、1993年にハナが病に倒れ、亡くなるまでの1ヵ月間、病院で付きっきりとなって世話をした経験も持つ。
そのときのことは、『病室の「シャボン玉ホリデー」 ハナ肇と過ごした最期の29日間』(イースト・プレス)に克明につづられている。先のハナに怒られた話も、同書で紹介されたものだ。

家の火事まで楽しんでしまった谷啓


1932年東京生まれの湘南育ち。本名・渡部泰雄。ドラマでは、元SAKEROCKのトロンボーン担当の浜野謙太が演じるが、クレージーのトロンボーン担当は谷啓だった。

谷は自らコントを考えるなどアイデアマンとして知られ、「ガチョーン」「ビローン」などの流行語も生んだ。かなり変わった人でもあったらしく、さまざまなエピソードが伝えられる。よくあげられるのは、自宅が火事になったあと、焼け跡で仲間と麻雀をやっていたという話だ。

後年、放送作家で劇団「WAHAHA本舗」主宰の喰始がこれについて、谷本人に訊ねたところ、事実はもっとおかしかった。火事が起き、消火器で鎮火しようとしたもののまにあわず、逃げ出したところ、これを8ミリフィルムで記録しておこうと急に思いついたという。すでに彼の頭のなかには絵コンテもできていた。結局、フィルムが見つからず映像には撮れなかったが、庭から車のライトで照らして、消防車が来たときわかるようにしておこうとか、いろんなことを考えながら、いつしか火事を面白がっていた。焼け跡で麻雀をしたのも、みんなに心配をかけるのはよそうという思いからだった。
実際、見舞いに訪ねたいかりや長介は、谷たちが麻雀をやっているので安心したとか(喰始『谷啓 笑いのツボ 人生のツボ』小学館)。

クレージーで活動したあと、ほかのメンバーと同じく俳優としても活躍したが、基本的に自分の好きなこと、興味のあることしかしなかったという。いかにも怪獣映画のコレクションなど、趣味人としても知られた谷らしい。2010年、自宅の階段で転倒し、それがもとで急逝したのが惜しまれる。

終戦直後、IBMに勤務していた犬塚弘


今回のドラマではモデル出身の深見元基が演じる。1929年東京生まれの犬塚自身、この世代には珍しく180センチ近い長身である。芸名は「ひろし」だが、本名は「ひろむ」と読む。江戸時代は旗本の家柄で、父親も三井物産のロンドン支店長を務めたエリートだった。

文化学院を卒業後、IBMに就職するも、アメリカ人の同僚や上司の差別的な態度が気に入らず、2年半でやめてしまう。兄のバンドで音楽活動を始めて以来、クレージーでもベースを担当。のちに俳優として活躍、多くの映画や舞台、ドラマに出演している。NHKの朝ドラ「こころ」(現在、BSで再放送中)で、江戸っ子のテーラーを演じたかと思えば、「おひさま」ではヒロインの幼馴染の老年期を演じた。同役の若いころを演じたのが柄本時生で、犬塚も柄本に寄せて演技していたのがおかしかった。


今年88歳。ほかのメンバーはすでに全員亡くなり、クレージーキャッツ最後の存命者ということになる。2013年には佐藤利明との共著で『最後のクレイジー 犬塚弘』(講談社)という自伝を刊行している。

監督コントで人気を集めた安田伸


1932年東京生まれ。本名・安田秀峰(ひでみ)。クレージーのサックス担当。今回ドラマで演じるお笑いタレントの西村ヒロチョも、日本大学芸術学部でサックスを専攻していた。

父は佐賀県出身で右翼活動をしていたが、その後商売を始める。安田自身は軍人志望だったものの敗戦ではたせず、学校でブラスバンドを始めたのを機に音楽の道へ。東京藝大に在学中、ジャズマンとなった。クレージー時代は、なべおさみとの監督コントで人気を集め、このとき監督役のなべが助監督の安田相手に怒鳴る「ヤスダー!」は流行語となった。1996年死去。

祖父は日本美術史に名を残す画家、石橋エータロー


1927年東京生まれ。本名・石橋英市。
クレージーのピアノ担当。今回のドラマで演じるパーマ大佐は、ウクレレやピアノを用いた音楽ネタで人気を集めている。

石橋の血筋もまた立派で、祖父は『海の幸』などで知られる洋画家の青木繁、父はラジオドラマ「笛吹童子」の主題歌の伴奏などで人気を博した尺八奏者・福田蘭童。両親の離婚後、資産家だった母の実家で育つ。クレージー時代より魚料理店を営み、1971年にフリーになると料理研究家として活躍した。1994年死去。
今夜スタート「植木等とのぼせもん」クレージーキャッツの面々の華麗なる家系と逸話
古山寛原作・ほんまりう画のマンガ『宵待草事件簿』では、若き日の福田蘭童がたまたま入った飲み屋で、植木徹之助という青年と顔を合わせる場面が出てくる。時代は下り、福田の息子・石橋エータローと、植木の息子・植木等は、クレージーキャッツで一緒になることに

ロンドン生まれの桜井センリ


父の赴任先のロンドンに生まれる。公式プロフィールでは1930年生まれだったが、実際は1926年3月生まれ。同年12月生まれの植木等より上で、クレージーでは最年長だったことになる。石橋エータローが結核で療養中、代わりのピアニストとして1960年にクレージーに加入、石橋の復帰後もグループに残った。後年はやはり俳優として活躍、晩年、ポカリスエットのCMで綾瀬はるかと共演していたのが記憶に残る。2012年死去。今回のドラマでは、作編曲家・ピアニストの小畑貴裕が演じる。
小畑は劇中歌も手がけるとか。

落下傘部隊出身の鬼監督・古澤憲吾


映画監督。植木等主演の「ニッポン無責任時代」をはじめ、クレージーキャッツの出演映画を多数手がけた。太平洋戦争初期、蘭印(現在のインドネシア)のパレンバンで大勝利を収めた落下傘部隊の出身で、ことあるごとにそのときの武勇伝を披歴するので、いつしか仲間内では「パレさん」と呼ばれるようになったとか。演技指導も軍隊ばりの厳しいものだったという。

撮影所へ来る時は、いつも全身白ずくめの服装で現れた。青島幸男によれば、電車がストライキで止まったとき、白い馬に乗ってやって来たという伝説まであったらしい。そんなスタイリッシュな鬼監督を、今回のドラマでは勝村政信が演じる。

青島幸男は出てこない!?


青島幸男といえば、クレージーキャッツの座付作家としてテレビ番組のコントの台本、「スーダラ節」をはじめ多くのヒット曲の作詞を手がけ、さらには自らタレントとして共演もするようになった。クレージーを語るうえでは欠かせない人物だが、なぜか今回のドラマの予告や公式サイトでの登場人物紹介には名前が出てこないのが気になる。

クレージー全盛期については青島も、エッセイ『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』(文春文庫)や自伝的小説『蒼天に翔る』(新潮文庫)にくわしく書いている。

反骨を貫いた植木等の父・徹誠


今回のドラマでは、植木等の父親・植木徹誠(てつじょう。1895~1978)を伊東四朗が演じる。伊東が徹誠を演じるのは、2006年にフジテレビで放送された「ザ・ヒットパレード~芸能界を変えた男・渡辺晋物語」以来2度目(ちなみにこのとき植木等に扮したのは陣内孝則)。伊東といえば、今回のドラマのいまひとりの主人公である小松政夫とは、バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などで絶妙なコンビネーションでコントを演じた仲である。

三重県出身の植木徹誠(出生名は徹之助)は、青年時代、社会主義やキリスト教などの影響を受け、浄土真宗の僧侶となってからも部落解放運動に身を捧げた人物だ。三男につけた「等」という名にも、人間はみな絶対に平等であるとの理想が込められている。

没後、植木等による評伝『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(構成・北畠清泰。朝日文庫)が刊行された。それを読むと、徹誠の反骨ぶりが十分うかがえる。たとえば、上京して母方の親戚筋にあたる御木本幸吉の御木本真珠店の工場で働いていたころ、関東大震災(1923年9月1日)に遭遇した際の話。ちょうどこのとき、皇太子(のちの昭和天皇)のご成婚を控え、御木本では皇太子妃のつける冠や首飾りなど装身具一切を製作中だった。徹誠は日比谷公園に避難すると、たまたま御木本幸吉と会い、「冠が大丈夫かどうか、工場に帰って確かめてこい」と言われる。しかしそれに対し徹誠は「冠みたいなものにはつぶれたってつくり直しがききますが、人間の体ってものはつくり直しがきかないんだから、私はいやです」と怒鳴ったという。

はたしてこの父親から、息子の植木等はどんな影響を受けたのか。きょう放送の第1回「誕生 スーダラ節」でも、きっと親子の会話が出てくるはずですから、よく見ていてくださいね。では、また放送後のレビューでお会いしましょう(と、小松政夫の持ちネタでもある淀川長治のモノマネで)。
(近藤正高)
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