というわけで、『銀河英雄伝説 Die Neue These』(→公式)第九話「それぞれの星」。
新装版も刊行開始『銀河英雄伝説 1 黎明篇』(マッグガーデンノベルズ版)。
ジェシカ・エドワースが学校を辞め生徒が悲しんでいるシーンからはじまる。
さらに、ジェシカがヤンに会いに行くが留守で会えないというくだりがあって、タイトル。
これらはアニメ版で追加された部分だ。
原作では描かれない、読者の想像に委ねられた部分だ。
今回のアニメ版は、脇キャラクターの情緒的なシーンの追加が多い。
ジェシカの演説も長くなり、ラストに配置されていた。
「ジェシカ回」として構成されていたと言ってもいいだろう。
原作では、ラインハルトとヤン・ウェンリーを中心に歴史を描いている。
大きな歴史に関わるシーン(今回の自由惑星同盟最高評議会とか)や、彼ら二人に関わる大勢の人物が描かれる群像劇だ。
ジェシカ・エドワースのことは、断片的な情報から、あれこれ思いを馳せることができるのが原作の良さだ。
なので、観ながらなんとなく頭の中で、ヤンとユリアンを軸に再構成してしまった。
ラストはやっぱり、ヤンとユリアンが夜道を歩いて、ヤンが「人は自分だけの星をつかむべきなのだ」って思うシーンだよなー、とか。
その後で原作を確認すると、同じ構成だった。
なんだ、ただ思い出していただけだった。
原作のブレのなさに驚く。
いっぽうで自由惑星同盟最高評議会のシーンでは、平均年齢の議論が省略された。
省略された部分を引用する。
“「現在、首都の生活物質流通制御センターで働いているオペレーターの平均年齢をご存知か」
「……いや」
「四ニ歳だ」
「異常な数値とは思えないが……」
ホワンは勢いよく机をたたいた。
「これは数字による錯覚だ! 人数の八割までがニ〇歳以下と七〇歳以上でしめられている。平均すればたしかに四ニ歳だが、現実には三、四〇代の中堅技術者などいはしないのだ。社会機構全体にわたって、ソフトウェアの弱体化が徐々に進行している。これがどれほどおそろしいことか、賢明なる評議委員各位にはご理解いただけると思うが……」”
という具体的な議論があって、都市交通制御センターの管制コンピュータの異常で車が止まり、ヤンとユリアンが歩いて帰るシーンにつながるのだ。
ここが省略されたことによって、議会で議論されている内容と現実がリンクしていることが判りにくくなってしまった。
小説とアニメでは表現形式が違うので、そのまま移し替えることはできない。
どこをどう省略し、どんなシーンを追加するのか。
難しいし、そこが面白さでもある。
ていねいにアニメ化されている作品だから、なおさら微妙な差異が気になってしまう。
次回は、第十話「幕間狂言」。(テキスト/米光一成)