「違う! そう!」
先週11月3日放送の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第41話を観ていて、私は思わずまーちゃんになっていた。

徳井義実がアレした件を受けて、「いだてん」もナニすることにしたと制作側から発表があり、せっかく撮ったのがアレになってしまうのではないかと心配したのだが、冒頭で「(徳井の出てくるシーンは)編集などで、できるだけ配慮をして放送いたします」と断りのテロップが出たあと、いざ放送が始まれば、本当に再編集したのかと思うくらい、不自然な感じがなかった。
通常より放送が1分短くなったのだから、再編集されていないわけはないのだが、それを視聴者にほぼ感じさせないためにスタッフが絞った知恵、かけた労力には頭が下がる。
「いだてん」本当にアレをナニしたのか?見事な再編集、鬼の大松、陽気な寝業師…新キャラ続々登場の41話
イラスト/まつもとりえこ

黒澤、亀倉、丹下……田畑が招いた巨匠たち


ドラマ自体は、前回ようやく第1回で描かれた1964年のオリンピック東京招致成功(1959年)の場面に戻り、この第41話からは田畑政治(阿部サダヲ)たちがいよいよ大会開催に向けて準備に入った。

私は最終章にあたり、新たに発表されたキャストの多さに、もしかすると1964年の東京オリンピックに関するエピソードを単に集めたものになってしまうのではないかと、ちょっと心配していた。しかし第41話を観たかぎり、それは杞憂だったようだ。続々と新たな人物が登場するが、スポーツ・オリンピックは国家や政治から独立したものでなければならないという、これまで嘉納治五郎から金栗四三、田畑政治へと引き継がれてきたテーマにはブレはない。というより、それがようやく田畑たちの手によって結実していく様子を描くのがこの最終章となるのだろう。第41話の展開は、そう思わせるに十分であった。


大会開催が決まってまもなくして、国立競技場にほど近い古い洋館(現在は迎賓館となっている赤坂離宮である)に開設された大会組織委員会事務局には、事務総長となった田畑政治(阿部サダヲ)を中心に、さまざまな人が出入りしていた。洋館というロケーションもあいまって、その描写は、いわゆるグランドホテル形式(ある場所を舞台に多くの人物のドラマを交錯させる手法)そのものだ。渉外担当には田畑の秘書の“岩ちん”こと岩田幸彰(松坂桃李)、式典担当には田畑の長年の“カクさん”こと松澤一鶴(皆川猿時)が就いた。選手村で各国の選手に食事を供するため、帝国ホテルの料理長・村上信夫(黒田大輔)が呼ばれ、田畑の注文に応えながらメニューづくりに腕をふるう。

さらにオリンピックに関するデザインの顧問として、田畑行きつけのBarローズのママ・マリー(薬師丸ひろ子)の推薦でグラフィックデザイナーの亀倉雄策(前野健太)が呼ばれた。亀倉は顧問は辞退したが、大会独自のシンボルマークとそれを選ぶコンペの実施を提案、自らもマーク作成に名乗りをあげる。
だが、コンペ締切当日、亀倉のマーク案だけ届いていなかった。田畑がBarローズにいる本人に電話をつないでもらうと、すっかり忘れていたとのこと。亀倉は赤鉛筆を借り、その場でチラシの裏にマークを描き上げると、事務局に届ける。それは日の丸を思わせる大きな赤い円に五輪マークと「TOKYO 1964」の文字をあしらった、シンプルながらも強い印象を与えるものであった。(参考→びっくり実話と脚色の妙「いだてん」亀倉雄策の東京オリンピックシンボルマークと愛国心

田畑はさらに大会の記録映画を映画界の巨匠・黒澤明(増子直純)に依頼する。すっかり乗り気になった黒澤は、聖火を科学的な操作でアテネから広島へ飛ばし、広島で平和祈願の祭典を行なったあと、国立競技場をめざすという映画のスケールを超えたプランを提案、都知事の東龍太郎(松重豊)をあわてさせる。
黒澤が予算は20億は必要と言うので、田畑は25億出そうと約束した。

このほか、国立代々木競技場(代々木体育館)の設計を建築家の丹下健三(松田龍平)に依頼した。亀倉はタクシーに丹下と乗り合わせた際、競技場のプールの設計案を見せてもらうと、その見事さに驚嘆する。丹下いわく「田畑さんに頼まれたら、手は抜けんからねえ」。亀倉もまた「何なんだろうね、あの田畑さんという人は。ガキ大将でもないし、かといってワンマンでもない」と、田畑政治という人物にすっかり魅了されていた。


鬼の大松、回転レシーブを思いつく


田畑は事務総長とともに選手強化本部長も自ら買って出ていた。まず競技種目の選定に着手し、新種目として「そろそろ柔道を入れないと」という声があがるなか、強化本部副部長の大島鎌吉(けんきち/平原テツ)がバレーボールを提案する。これを受けて田畑は大阪に飛び、女子バレーの強豪・日紡貝塚(大日本紡績貝塚工場)を視察に訪ねた。「なせば成る」の額がかかった体育館では、監督の「鬼の大松」こと大松博文(徳井義実)が、主将の河西昌枝(安藤サクラ)たち選手を相手にボールを投げ続け、猛特訓の真っ最中だった。

大松は戦時中、多くの日本兵が死んだインパール作戦に従事していた。それだけに特訓も軍隊式だった。見かねた田畑は、大松を柔道場に連れていく。
「ここには声を荒らげる者などいないだろう」という田畑の言葉に、大松は気にも留めず、柔道の試合を見るうち何かひらめいた。後日、田畑が再び日紡貝塚を訪ねると、選手たちは飛んできたボールを回転しながら打ち返していた。「回転レシーブ」の誕生である。

なお、大松が柔道から回転レシーブを思いついたというのは、ドラマの脚色だろう。たしかに柔道の受け身とよく似ているため、そう言われることもあったのだが、大松は著書のなかで《わたしは別に柔道の手から思いついたのではなく、レシーブの反則を避けるためにしたことで、しぜんと類似のものになったのです》と書いている(大松博文『おれについてこい なせば成る』講談社)。

従来、日本では9人制バレーが一般的だったが、世界選手権に出場するにあたって国際式ルールの6人制バレーへ移行した。
このため、同じ広さのコートを少ない人数で守らなければならなくなる。西欧の選手とくらべれば小柄な日本の選手はこの点で不利だった。そこで大松は、普通なら絶対に拾えない飛球も必ず拾うよう選手たちに要求する。それとともに、どうしたらうまく拾えるか、ひたすらに考えた。その末に思いついたのが回転レシーブである。飛びこんでボールを上に打ち返すのと、体をコート上で回転させる運動を同時に行なうことで、次の瞬間には攻撃態勢に戻るという回転レシーブは、攻守一体の離れ技であった。

当時の選手のひとり、谷田絹子(現姓・井戸川/ドラマでは堺小春が演じている)は、この回転レシーブを大松は、子供のおもちゃの起き上がりこぼしから思いついたと聞いたことがあるという。ただし、違う説もあるようだ(谷田絹子『東洋の魔女と呼ばれて 私の青春』三帆舎)。

再び話を「いだてん」に戻せば、組織委員会であらためて新種目を決めるにあたり、田畑は柔道をやめてバレーボールにしようと提案する。だが、そのとき「田畑、たーばた」という嘉納治五郎の声(役所広司)とともに、壁にかけられた彼の肖像画がガクンと傾いた(この様子に、ドラマの初期、体協の会議で嘉納が怒って机を叩くたび壁の肖像画が落ちそうになったのを思い出させた)。こうして嘉納の悲願だった柔道はやはり外せないとなり、結局、バレーに先んじて柔道が正式種目に決まる。

1961年のアテネでのIOC総会では、平沢和重(星野源)が、2年前の大会招致に続き、新種目を提案するスピーチを行なった。ここでバレーボールが正式種目に決定し、田畑は議場を抜けるとすぐに大松に国際電話で伝える。だが、決まったのは男子のみ。大松には「何で男子のみやねん。メダル取れんのは女子や」と怒られてしまった。それでも田畑は総会は来年もあるとなだめて電話を切る。

電話を終えてまた議場に戻ると、平沢が近代五種を外そうと提案したため、欧米の委員から猛抗議を受けていた。近代五種は日本ではなじみが薄く、必要な馬を手配するのも難しいと平沢は説得するも、各国の委員はそれならこちらから提供すると言って聞かない。田畑は横から「オートバイならそろうと言え!」と助言していたが、いかにも苦しまぎれであった。ちなみに田畑が「オートバイなら〜」と言ったのは嘘のようだが本当の話である。彼の回顧録には、平沢には《近代という名前の通り、いっそモダンにしてオートバイでも使ったらどうか》などと懸命に説得してもらった、と書かれている(田畑政治『スポーツとともに半世紀』静岡県体育協会)。

ただ、大松から女子バレーが種目に選ばれず怒られたというのは創作だろう。それというのも、このとき大松は翌1962年に迫った世界選手権で、宿敵ソ連を倒して優勝することで頭のなかはいっぱいだったからだ。東京オリンピックでの女子バレーの採用をめぐっては、今後、きっともうひと波乱あるはずなので、注目したい。

ラスボス? 川島正次郎、颯爽と現る


さて、第41話では、田畑の前に新たな宿敵として、津島寿一(井上順)、そして川島正次郎(浅野忠信)といった政治家が立ちふさがった。

津島は元大蔵大臣で、都知事になった東龍太郎に替わって体協会長となり、また東京オリンピックの大会組織委員会の会長に就任した。田畑とは選手村の場所をめぐって対立する。埼玉県朝霞の米軍キャンプ・ドレイクを推す津島に対し、田畑は25キロも離れた朝霞に強く反対、国立競技場まで移動が短くて済む代々木のワシントンハイツこそふさわしいと言って譲らない。結局、朝霞を視察のうえ、津島の独断で朝霞に決まり、記者会見も行なわれた。それでも田畑は納得しない。

一方、自民党の幹事長で、組織委員会の顧問となった川島と田畑のあいだには、都知事選の際にひと悶着起こしていた。それもあって川島にとって田畑は目の上のたんこぶだった。二人の対立が決定的となったのは、選手村の選定が再び組織委員会の公開討議で議題にあがったときだ。朝霞ならカネはかからないと主張する津島に対し、田畑は「二言目にはカネカネカネ。あんたら、選手のこと何もわかってないね!」と猛反発。これに川島が口を挟み、「貴様のオリンピックではない!」と田畑を一喝すると、「いいか田畑、はき違えるなよ。これは日本のオリンピックだ。『国民の』と言ってもいい。変わるんだよ、日本は。このオリンピックで」「諸君らのようなスポーツ関係者だけで勝手に盛り上がるなら、金輪際、政府は手を引く。そのつもりでいたまえ」と忠告した。

もちろん、田畑は引き下がらない。「国民のオリンピックとおっしゃいましたな、幹事長。おおいに結構、大賛成!」と手を叩いたかと思えば、「だったら渋滞、何とかしてくれよ。国民の生活、もっと豊かにしてくれよ。国民の一人ひとりがさ、俺のオリンピックだって思えるようにオリンピックを盛り上げてくれよ、先生方! 功名心で組織委員会に名を連ね、記者が集まる公開討論にしか顔を出さん。そんな役立たずの役人や政治家は出てってくれ」ときっぱり言い切った。

このあと、アテネのIOC総会から帰国した田畑は、平沢に最後の頼みとして、代々木のワシントンハイツを明け渡してもらうよう、水面下で米軍を交渉してほしいと頭を下げる。これに平沢は、なぜそこまで代々木にこだわるのかと訊き、そばにいた岩田も「朝霞だって環状七号線を使えば1時間で……」と言いかけた。これに対する田畑の答えは「1時間を5分にするのが開催国としての矜持だよ。スタジアムの興奮が冷めない距離でないとだめなんだ」というものであった。彼のなかには1932年のロサンゼルスオリンピックの強烈な体験があった。

「ロスの選手村は最高だった。さっきまで戦ってた選手同士が芝生に寝転がって、レコードかけて踊って、オレンジ食い過ぎて腹壊して、嘉納さんに白人がぶん投げられて。みんなヘラヘラ笑ってたよ。混沌だよ、カオスだよ! 選手の記憶に刻まれるのは選手村ですごした時間なんだ」

田畑は、東京に先立ちオリンピックの開催されたイタリア・ローマへ岩田を1年間派遣していたが、それも自分がロスで抱いたことを彼にも感じてほしいがためだった。岩田はそれを聞かされて、ローマでマラソンのアベベの走りとゴールの瞬間を見て感動した体験を語る。ゴール地点となったローマの凱旋門は第二次大戦前夜、エチオピアを攻撃する軍隊が送り出された場所だった。「攻めこんできたイタリア軍に対して、エチオピアの戦士は裸足で抵抗し、敗れた。その凱旋門をエチオピア代表のアベベが通る。拍手と声援で迎えられ、彼はまだ走れるとばかりに誇らしげに足踏みをした」……岩田はそこに平和を見出し、「これが田畑さんのおっしゃるオリンピックなのか」と思ったという。

これに田畑は「違う! そう! 違う!」といつものごとく相槌を打つと、「いや、アベベはすごいけどね。名もなき、予選で敗退する選手ですら生涯自慢できるような大会にしたい」と言い、さらに「共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人、白人、黄色人種、ぐっちゃぐっちゃに混ざり合ってさ、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。終わったら選手村で讃えあうんだよ」「そういうオリンピックを東京でやりたい。あくまで俺は代々木にこだわる。代々木でなきゃだめなんだ!」とぶち上げた。それを聞いて平沢が「私に考えがあります」と切り出す……。

そのころ、川島も東を座敷に招いて、何かたくらんでいるようだった。東京オリンピックに向け、さまざまな人々の思惑が渦巻く「いだてん」。きょう第42話も見逃せない。

志ん生と同い年だった「陽気な寝業師」


「いだてん」では、ドラマのあいまに記録映像が折に触れて差し挟まれてきたが、ここへ来てその数も増えている。なかには、劇中で演じられている人物の映ったものも多い。視聴者には俳優がどこまで似せているのか興味深いところだが、当の俳優にとっては本人の映像を出されるのは複雑なものがあるのではなかろうか。私は当初、浅野忠信が川島正次郎を演じると知ったときは、全然似てないじゃないかと思ったが、いざ登場すると、結構なりきっていたので驚いた。笑顔を見せながら権謀術数をたくらむ演技は、「陽気な寝業師」とも呼ばれた川島とはこんな人だったのかと思わせた。

ちなみに川島は1890年生まれと、古今亭志ん生と同い年である。生まれも選挙区も千葉(成田山に銅像がある)だが、早くに父を亡くし、伯父が日本橋に出した鼈甲店で育ったので、ほぼ江戸っ子といっていい。少年時代には、近所の芸者にかわいがられ、よく芝居に連れていってもらったという。その目鼻立ちと利発さに芝居小屋の座頭が目をつけて、「養子にもらってみっちり芸を仕込みたい」と彼の伯父に頼みこんだという話も残る(草柳大蔵『実力者の条件 この人たちのエッセンス』文春文庫)。長じてからも、ドラマで芸者遊びをする様子が描かれていたように花柳界に通じ、日本画や歌舞伎を愛した通人であった。

こうした川島の横顔を知るにつけ、幼いころより落語に親しみ、べらんめえ口調の田畑にとって、これほどふさわしい敵役もいないような気がしてくる。はたして今後、ドラマのなかで両者はどんなバトルを繰り広げるのだろうか。(近藤正高)

※「いだてん」第41回「おれについてこい!」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:一木正恵
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)